神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)

風吹くままに 流れるままに
(yottin blog)

少し落ち着いたけど後始末が

2024年01月06日 05時58分51秒 | 自然災害
 たった今、6日午前5時26分また強い揺れが起きて目が覚めた
当地は震度3程度、数秒の揺れで津波は心配ない
震源地は能登の穴水町で震度5強だから、最大の地震時のわが町の恐怖の揺れと同じだ、富山県では能登の根元の氷見市で震度4だった。
発生以来、もう6日目に入ったが、相変わらず強い余震が続いている。
津波が無いのが少しは救いだが、奥能登地方では救助活動がようやく開始されたばかり、しかも道路は各地で通行不能箇所が多い。
行方不明者も、どれだけいるのかわかっていない、揺れるたびに地盤や家屋が弱体化していく

震源地の穴水町は輪島市と接しているが、輪島市や珠洲市が外海の日本海に面しているのに対して、穴水町は穏やかな内海の能登北湾に面している、能登島を挟んで七尾市は能登南湾に面している
加賀屋などがある和倉温泉は中間の能登島の付け根に位置する、今は全面的に休業中、いつ再開するかは不明だ、大きな経済打撃も受けている。
いったいいつ、この恐怖心が能登の人々から無くなるのだろうか

 3日になってようやく精神的疲労は遠のき始めた、反動で寝坊するほどぐっすり寝るようになったので、ようやく外出する余裕もできた。

4日は、まだ様子を見ていなかった旧宅を見に行って来た
途中、一の神社に初詣した、ここでも3mほどの大きな石塔が崩れていた
近所の家の屋根瓦がかなりの範囲で剥げていた、他にも寺のブロック塀が5mほど3段で倒壊していた、わが町の被害も相当なものだ

旧宅でも唖然とした、一階の調理場横の玄関戸が2枚とも内側に倒れて壁に寄りかかっていた
反対側だと隣家の外壁に当たるところだったから危なかった。

持ち上げてレールにはめようとしたが、下に合わせると上に隙間が出来て戸が収まらない。
仕方なく、そのままにして調理場の中を見ようと扉を押したがびくともしない
それで別の戸口から入ったらコンクリートの床が隆起している、ひびが入っている、北側の土台が3cm✖3mほど隙間が空いていて外が見えた。
陥没した部分と隆起した部分があって、液状化現象なのか、それで玄関戸も浮いてしまったのだ。
たまたま畳が2枚あったので、それを玄関に立てかけて、外れた重いドアを2枚とも抑えにして一応入り口は閉じた。

5日は、友達の工務店社長を訪ねて相談した
雑談の中では通信障害の話が出て、社長も私同様2日間スマホやPCが全く使えなかったそうだが彼はKDDIだそうだ。
製材会社の社長の地域は問題なかったそうだ、この町でも一部の範囲でだけ通信不能地域があって、その中に私と社長の地域が含まれていたのだ。
因みに工務店社長宅と我が家は直線で3km程度、製材会社とは川を挟んで6kmくらいだ。





ちょうど製材工場の社長も新年のあいさつに来ていたので、3人で地震のあれこれと復旧工事の現状、市の対応などを聞かせてもらった。
一応、市からは建築業者や配管業者などに対応の話はあったらしい、応急処置の補助金も出るようだが、その前に罹災証明書の必要があると言うが、その受付体制が市では整っていないらしくて10日過ぎからの受付になるらしい。
すでに200件から300件の被害が明らかになっていて、保険などで復旧できる人は工事を独自で始めている。

補助金は原状復帰の費用ではなく、あくまでも雨漏りなどに対する応急処置にのみ出されるものなのだそうだ。
その意味は早急に水漏れ対策をすることらしいが「10日過ぎまで受け付けも始まらなくて、早急とは矛盾しているのでは」と社長は言った。

その話を聞いて、私も気長にしていられないし、社長に「ベニヤ板を打ち付けておこうと思う、出入りには必要ない玄関だから」と言ったら
「その方が良いと思うよ、ベニヤはうちにコンパネがあるからあげますよ」
そして、旧宅までトラックで持ってきてくれると言う
ありがたく頂戴することにした。

旧宅は、もう住むこともなく、管理義務もない家なのだが、さすがに誰でも入られる状態にはしておけない
不審者が入り込むのも嫌だから応急処置をしておくのだ、相談して良かった。

今日は天気が良かったので、工務店まで片道30分かけて往復したら1万歩を越えた、これで三日続けて歩いているが、ぐっすり眠れるのもこれのおかげだと思う。



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