神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)

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(yottin blog)

ビルマ戦線 インパール作戦

2014年08月16日 20時22分22秒 | 昭和という時代

親戚のおじさん(「はっつあん」としておこう)は、まるでチャップリンのようにひょうきんで
とぼけたことを言ってはみんなを笑わせていた、もう亡くなって10年になる

今の店で30年ほど前から10年間ほど一緒に仕事をしたので色々人生の先輩の話を
聞かせてもらった、「はっつあん」は父とは一代ずれたいとこ関係だが年齢は似ている
だから戦争にも3年ほどは行ったらしい
「はっつあん」の戦場は中国南部から、ビルマと転戦したらしい、ビルマでの話をよく
聞かされた。
南方の戦線では日本軍は開戦以来優勢で、今のベトナム、ミャンマー(ビルマ)、ラオス
インドネシア、シンガポールを植民地としていたイギリス、フランス、オランダ軍を追い払い
八紘一宇(日本を中心としてアジアの国々を解放して共栄圏を作るという理想)政策を
推し進めていた。
更にビルマからイギリスのアジアの拠点インドへ攻め込み、インドを独立させるという作戦
インパール作戦を敢行した、これは無謀な作戦であったらしい・・・
作戦は失敗して日本軍は数万の戦死者を路傍に置き捨てて敗退せざるを得なかった。
敗走した道は日本兵の死骸おびただしく「白骨街道」と呼ばれたという
まさに「はっつあん」はこの作戦に参加した一兵士だった

戦況が次第に不利になり、最前線の部隊に後方からの支援物資が滞るようになった
砲弾はその最たるものであった、それでもたまに砲弾が部隊にとどく「よおし!」と
張り切って敵陣に砲弾を撃ち込んだ、するとその10倍も敵陣から「おつり」が帰ってくる
しばらくそんなことが続くと「これでは敵に位置を教えているようなものだ、危険極まりない」
ということで、後方から弾薬が届いてももう撃つことをやめたので砲弾は溜まるばかりだった
ということだ。

たまに斥候(偵察兵)として最前線に出ていくことがある、敵陣近くの藪の中や畑をほふく前進
していく、すると腹のあたりに何やらごつごつと触るものがある、はて?と確かめると
それはパイナップルだった、へいぜい腹を空かせているので「これはご馳走」と2つほど
ポケットに入れて持ち帰ったとか・・・

こんな話を聞いていると、のんびりとした風景が浮かんでくるが、この後「はっつあん」の最大の
ピンチが訪れる
いつものように敵陣から砲弾が降ってきた、突然近くで砲弾が破裂したので、あわてて逃げようとした
ところが足に力が入らず、そのうちにへなへなと膝から崩れ落ちた、違和感があって手を太ももに
あててから両手を見ると「べったり」と血が
なんと砲弾の鉄の破片が「はっつあん」の右の太ももから入り、突き抜けて今度は左のももも貫通
衛生兵が駆けつけて血止めをしてくれたが、それ以後立つことも歩くこともできなくなった
それでも「貴様は運が良いぞ、これがあと20cm下で、膝の皿をやられていたら死んでいたぞ
それと破片が突き抜けて良かった、中に残っていれば確実に足が腐って死んだろう」

それから毎日、仕事は傷口に蠅が卵を産み付けないように追い払うことばかり
冗談ではなく、別の兵隊はかかとのあたりの傷が膿んでそこに蠅が卵を産み、幼虫になって傷の中
で動き回るので激痛で泣きわめいていたそうだ。

ある日、後方への撤退(とは言わぬらしい、「**へ転進」とか言うのだろう)命令が出た
どうなることかと心配していたら、兵隊が来て傷病兵に手榴弾を2個ずつ渡して
「貴様らを同行させるだけの余裕はない、いざとなったら・・・」と手榴弾を指さした
敵が来たら捕虜にされる、そのような恥だけはさらすな、一発敵に投げつけ、もう一発で自決せよ
ということなのだろう
もちろん「はっつあん」にも手榴弾が2個渡された、部隊が去ったあと木に持たれて思った
(これで俺もおしまいなのか・・・)そう思ったら泣きたいほど悲しく哀れな気持ちになった
どこか近くで手榴弾の破裂音が聞こえた・・・絶望感が増幅して

それでも「はっつあん」は死にきれずにいた、まだ手榴弾は手元にある
自分が死ぬということに納得できずにいたのだろうか、人間は命ある限り生き続ける努力するべき
だ、それは正しかった
撤退した部隊の兵隊が一人か二人か馬を引いて戻ってきた、そして「はっつあん」の前に立ち
「馬に乗れ」
両ももの傷が馬の背に擦れて、激しく痛む、だが命は助かった
「どうして・・・」と随行する兵隊に聞いてみた
「中隊長(小隊長?)殿が貴様を探しておったので(置いてきました)と言ったら、(すぐに連れてこい)
と命令をくだされたのだ、貴様は運の良い奴だ」

中隊長(小隊長)は実は「はっつあん」と同じ町の出身で、狭い町でもあり部隊では目をかけてくれていた
「お前を死なせて俺が田舎に帰れるか」
「はっつあん」はことあるごとに中隊長(小隊長)から受けた恩を語っていた






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