【写真:やまびこ園の保育士との再会を喜ぶ悠作君=大津市立やまびこ総合支援センター】
■揺れる「成長の場」/県、補助金を削減へ
「悠作くん、元気やった」「ちょっとほっぺた熱いかなあ」。悠作君(7)の小さな手や、ほっぺたを、保育士たちが次々になで、さすっていく。のどに自分の身長ほどの長さがある人工呼吸器のチューブが付いている悠作君。保育士らとの久しぶりの再会に車いすの上で力いっぱい頭を動かし、手を伸ばす。さっきまで伏し目がちだった瞳はみるみる輝き出した
昨年8月、悠作君はいま通う県立北大津養護学校の夏休みを利用して、同年春まで通っていた知的障害児通園施設やまびこ園を訪れた。母の政子さん(34)に車いすを押され玄関に入ると保育士たちに囲まれた。
悠作君は仮死状態で生まれ、脳性まひと慢性肺疾患を発症。1歳2カ月の時、同園に入った。入園後も気管支ぜんそくで入退院を繰り返し、通園もままならなかった。3歳の時、呼吸を楽にするため気管の上部を切る喉頭気管分離手術を受けた。医者からは、声が出なくなるという説明を受けたが、政子さんは決断した。「やまびこに通って悠作の表情がとても豊かになった。呼吸を楽にして、なるべく通わせたいと思った」
障害者の自立訓練施設などが入る、大津市馬場2丁目の市立やまびこ総合支援センター。1階のやまびこ園は市の障害児保育の中核施設だ。発達に課題や困難があり、療育が必要な乳幼児が週に5日通う。親と一緒に週に2日通園する児童デイサービス施設やまびこ教室もあり、保育士や看護師、発達相談員ら約45人が子どもと向き合う。園で数年間過ごし、集団に慣れた後に保育園へ移る子が多い。
大津市は「希望するすべての障害児の保育園への入園」を掲げ、早期に子どもの発達上の課題を見つけるため、1970年代から、乳幼児健診と発達相談員や保健師の家庭訪問を始めた。課題のある子にも合った保育が受けられるよう、保育園に国の基準を上回る保育士を配置。十分な数の保育士を雇えるよう補助金を出してきた。この障害の早期発見、早期療育システムは「大津方式」と呼ばれ、全国の保育関係者から注目されてきた。
だが、来年度から大津市が中核市に移行するのを前に、大津方式の存続が危うくなっている。財政難の県が、中核市への権限移譲などを理由に、市の保育にかかわる補助金の削減や廃止を打ち出したからだ。
これまでのような充実した態勢を取り続けることができるのか--。親や保育関係者の不安は尽きない。
やまびこ園には今、悠作君の妹の春音ちゃん(3)も通う。春音ちゃんは4月から保育園への入園が決まった。母親の政子さんはつぶやくように言う。「特別なことは望んでいない。他の子と同じように、悠作も春音も成長する場が欲しいだけ。お金がないから補助しないなんて……」
◇
障害児に健常児と同等の発達の機会を保障することを目的に35年前に本格的に始まった大津市の障害児保育。大津方式と呼ばれ、全国の障害児保育の先駆けとされたが、これまでの保育が維持できるかが問われている。障害児を持つ親の苦悩と保育関係者の苦労によって生まれた大津方式の歩みと、現状を3回にわたって紹介する。
(3月17日付け朝日新聞・電子版)
http://mytown.asahi.com/shiga/news.php?k_id=26000000903170003