一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

一二三の名局・2

2016-12-05 23:18:54 | 名局
今朝の夢には渡部愛女流初段が出演した。途中で目が覚めたが、続きを見た気がする。あれは夢だったか、あるいは渡部女流初段のことを考えていたのか。

   ◇

第30期竜王戦6組ランキング戦で、加藤一二三九段VS藤井聡太四段戦が実現した。いわゆる現役最高齢棋士と最年少棋士の対戦である。加藤九段は元旦生まれだから、来年の対局となれば「77歳VS14歳」、実に63歳差の対戦となる。
カードの抽選は立会人を介した厳正なものだから偶然の産物ではあるが、ちょっとできすぎの感もある。いずれにしても、対局が楽しみだ。
当ブログでは今年の1月23日(いわゆる1、2、3の日)に加藤九段の名局をアップしたが、今日はその第2弾である。
今回は1982年に行われた名人戦第8局を挙げる。相手は中原誠名人。第「8」局という数字からも分かるようにこの期は大激戦で、中原名人から見て本局の前まで、「持○●○●千●○千」の双方3勝3敗…いや正確に書けば、当時は持将棋を0.5勝としていたので、双方3.5勝という星だった。
また当時の千日手は原則的に後日指し直しだったので延長局が続き、本局は7月末の対局になってしまった。

第40期名人戦七番勝負第8局指し直し局
1982年7月30日・31日
於:東京「将棋会館」
持ち時間:各9時間
▲十段 加藤一二三
△名人 中原誠

第1図までの指し手。▲7六歩△8四歩▲6八銀△3四歩▲7七銀△6二銀▲2六歩△4二銀▲4八銀△3二金▲5六歩△5四歩▲7八金△4一玉▲6九玉△5二金▲3六歩△7四歩▲5八金△3三銀
▲7九角△3一角▲6六歩△4四歩▲6七金右△4三金右▲3七銀△6四角▲6八角△3一玉▲7九玉△2二玉▲8八玉△8五歩▲1六歩△7三銀▲4六銀(第1図)

中原名人2手目の△8四歩、加藤十段の▲7七銀で矢倉確定。この名人戦では10局目の相矢倉で、ということは全局矢倉であった。どちらも矢倉でケリをつける腹だったわけだが、それにしても意地っ張りだ。
定跡形から加藤十段は▲3七銀~▲4六銀。後に加藤流▲4六銀戦法と呼ばれる得意形で、これが十段獲得の原動力となった。

第1図以下の指し手。△7五歩▲同歩△同角
▲3七桂△7四銀▲5五歩△同歩▲5八飛△8六歩▲同銀△同角▲同歩△8五歩▲7九玉△8六歩▲8八歩△5六銀▲同金△同歩▲同飛△5四歩(第2図)

このまま▲3七桂~▲3五歩と進んでは攻め倒されるから、中原名人は△7五歩と先攻する。
△8六歩と突き捨て▲同銀に△同角が名人決断の一手。
当時私は(角銀交換の駒損を甘受してまで攻めるとは、すごいなあ…)と感嘆したのを憶えている。
しかし数手後に金銀交換となり、結局角金交換で8筋を凹ましたのだから、名人十分の形勢になったと見てよいだろう。

第2図以下の指し手。▲5五歩△同歩▲同銀△7五銀▲6一角△7七歩▲同金△7六金▲7八銀△7七金▲同角△7六銀▲6五歩△同銀▲8六飛△8五歩▲4六飛△7六歩▲6八角△5六金▲6六歩△4六金▲同角△5六銀(第3図)

加藤十段は▲5五歩とこじ開ける。以下、組んずほぐれつの激闘が展開される。
しかし加藤十段の左辺は壁になっており、守りも薄い。アマ同士なら8割方後手が勝つ。
実際、第3図では後手が有利。ここで加藤十段は渾身の一着を放つ。

第3図以下の指し手。▲5四銀△同金▲8二角成△6七銀打▲6九金△4九飛▲5九歩△7八銀成▲同玉△4七飛成▲4一銀△5三金▲7二飛△5二歩(第4図)

▲5四銀と出たのが魂の一手。対して中原名人も強く△同金と取ったが、わずかに疑問だったようだ。
ここは△4二飛と逃げ、▲4三銀成△同金で後手が優位をキープしていたらしい。
△6七銀打に▲6九金、△4九飛に▲5九歩とギリギリのウケ。
△4七飛成も厳しいが詰めろでない。ここで▲4一銀とカケ、▲7二飛と反撃した。
△5二歩に次の一手は?

第4図以下の指し手。▲5二同角成△同金▲3二銀成△1二玉▲2二金△同銀▲同成銀△同玉(第5図)

ここで加藤十段の残り時間は11分。「ヒョーッ!!」と叫び、9分を使って▲同角成と、歩をむしり取った。
この場面、対局者に立ちあえていたのは、立会人と記録係と観戦記者のみ。後日「将棋マガジン」の対局日誌で川口篤氏がこの辺の模様を活写していたが、この時ほど私は、対局室に入りたいと思ったことはなかった。
▲3二銀成に△同玉は▲5二飛成で詰み。△1二玉に▲2二金と使わざるを得ず、後手玉が残していると思われたが…。

第5図以下の指し手。▲3一銀(投了図)
まで、105手で加藤十段の勝ち。

▲3一銀が絶妙手。これで中原名人の投了となった。以下は△3一同玉▲3二金△同玉▲5二飛成△3三玉▲4三金△2四玉▲2五歩△1四歩▲1五歩まで(参考図)。

また▲3一銀に△3三玉も、▲3二金△4三玉▲4二銀成以下詰み。まさにギリギリの詰みで、将棋史上十指に入る名投了図であろう。
当時中原名人は9連覇中で、名人の交代劇は考えられなかった。よって「加藤新名人誕生」は大ニュースだったはずだが、当時の「将棋マガジン」は、巻頭ページに中川大輔中学生名人のグラビアを持ってきた。私には理解できないページ構成であった。
しかし本局は紛れもなく加藤十段の名局であり、生涯の代表局である。
コメント (2)
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