



小田原の一夜城は、思いのほか規模が大きかった。
冒頭が天守台跡で、一夜城からはご覧のとおり左側中央に小田原城が見える。
石垣山一夜城と呼ばれるのは、秀吉が築城にあたり、山頂に塀や櫓の骨組みを造り白紙を張って白壁のように見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を伐採し、それを見た小田原城中の将兵が驚き士気を失わせたという。
実際には、天正18年4月から約80日間が費やされた。
城か櫓を見せて驚かせたと思ったら、城郭全体を一気に見せたということだった。
[小田原城内にある清閑亭は、黒田官兵衛の直系が建てた。]


二の丸跡 櫓台跡
井戸曲輪:さざえのような石垣であることから「さざえの井戸」。淀殿が化粧に使ったことから「淀殿化粧井戸」ともいう。




展望台からの相模湾 一夜城ヨロイヅカファームの木組み馬の親子

一夜城の目の前の小田原にフィリピン海プレートと北米プレートの境目がある。数千年にも渡るプレートの活動が富士山を形成し、箱根を作り出した。


小田原城からすぐ傍ですね。
城にいた北條氏直は驚いたでしょうね。
結局、この日から3カ月後に降伏することになりました。
その石垣が今も残っている。
歴史を感じさせますね。
>「早雲寺」の記事を、らいちゃんのコメントの後に少しふくらませました
更にご説明いただきありがとうございました。
勉強になります。
らいちゃんご案内の幾箇所は、観光したiinaも気づかなかったポイントで、ホテル前のお城に佐和口多聞櫓と馬屋の
> 有名な秀吉の一夜城ですね。小田原城からすぐ傍ですね。
小田原を数え切れぬほど通っていますが、一夜城をはじめて訪ねました。石垣が立派ですから石垣山一夜城の名づけに
納得しました。
きのうの「山上宗二」追記については、茶人の墓を見ましたが、興味をひかなかったです。ところが、記事アップ後に
ブログ巡りしていきさつを教えられ、感慨を改めました。
追善碑の写真を撮っていまませんが、宗二惨殺の1年後に利休が切腹させられたことから追記しました。
来年は行くつもりです。
湿布をしてまで奥州街道踏破を目指すとは、さすがに (ウォーク更家)さんです。
順調なようでなによりでした。^^
> 小田原の一夜城祭りは、今年は10/15(日)で、・・・悪天候と体調不良で行きませんでした。
一夜城は、仮のお城が役割りと思いきや見ごたえありました。バス便は、土日と祭日しか走らぬようです。
来年の一夜城祭りは晴れることを祈ります。
なかなか古風なたたずまいです。
小田原では、北条氏をNHK大河ドラマと採用してもらうよう働きかけているようです。
北条氏が滅ぶときに作られた一夜城に行きましたが、たいした造りだったのに驚かされました。
小田原の「一夜城まつり」は、ことしは10月20日(日)だそうです。
http://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/event/OCT/ichiyajoumaturi.html
* sugi713さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上(iina)に置きました。