



満福寺は、讒言を受けた源義経が兄の頼朝との和解のため、鎌倉に入るべく一時宿所とし兄への手紙を書いた寺である。
満福寺が相模国腰越にあったため、その手紙を「腰越状」と呼ばれる。
弁慶が下書きしたと伝わる「腰越状」が残る。
弁慶の腰掛石、弁慶の手玉石があり、また「腰越状」を書く時に墨を摺る水を汲んだ硯の池、弁慶手沢の椀、錫杖等々がある……。

義経手洗いの井戸
開山は行基(668~749)で、寺紋が笹竜胆なのは満福寺が源氏ゆかりの寺であるということを示している。
本堂内襖絵と天井

弁慶の立ち往生 天井は龍

安宅関

境内前を江ノ電が通った。

> 「
湘南の鳥」につづく >>
私は義経が好きなので、映画やドラマで観る源平合戦での彼の活躍に胸を躍らせていたものです。
純真な彼は、当時の政治情勢に翻弄された一人なのでしょうね。
>せいぜい、定価を「値切る」ことを店員に試みています。
関東の人は値引き交渉はせず、定価で購入するのが普通と聞いていましたが、少しずつ関西流が浸透しつつあるようですね。
自分は初めて知りました
万福寺はまさに 夢とロマンのお寺ですね
本堂内襖絵と天井
歴史を物語る絵ですね、同時に源氏の哀れみを感じます
天井画やふすま絵も見ものですね。
「ごうら」でも、強羅なら箱根にあって温泉が湧いています。
>関東の人は値引き交渉はせず、定価で購入するのが普通と聞いていましたが、少しずつ関西流が浸透しつつあるようですね。
そんなことはないと思います。むかしの江戸っ子は、宵越しの銭はもたないと粋がってますが、実態は日銭しか稼げないので
そのような言い方をしていたようにも思われます。
丹念に 助けられては 登りきる / iina川柳
助けるのに「丹念」とはいいませんが、「かんべん」ください・・・m(_ _)m
きょうも、稲村ケ崎を歩いて、さらに極楽寺にも足を延ばしました。
行ってみたくなりました。
本堂内襖絵は、生々しくて迫力があります。
オープンしたり、大学も建って変わりました。
下書きの「腰越状」が残ると伝わる満福寺は、小さなお寺でした。真ん前を電車が通るのが好かったです。(^^ゞ