兵頭新児の女災対策的読書

「女災」とは「女性災害」の略、女性がそのジェンダーを濫用することで男性が被る厄災を指します。

『LGBTの不都合な真実』の、不都合な真実

2022-07-16 19:32:40 | セクシャルマイノリティ

 

 少々予告から間が空きましたが、『Daily WiLL Online』様でLGBT関連、フェミニズムと小児性愛との関連についての記事が発表されています。
 今回のテーマとも重なる、かなりヤバ目のモノですが、どうぞご愛顧のほどお願いいたします!


 ――随分前、UFO信者の書いた文章で、以下のような感じのものを読んだことがありました。
「もし近い将来、現実にUFOが人々の前に姿を現わし、我々が言ってきたことが実証されたとしたら。我々を今まで馬鹿にしてきた人たちは、その時の覚悟はできているのでしょうね。『ごめんなさい』では我々は許しません
 うろ覚えですが、何か、そんな感じです。
 1970年代くらいのニューエイジの時代には、実際、本当に明日にもUFOの大群が出現し、大統領と握手、なんてことがひょっとしたら……といった機運が、少しはあったのです。
 UFO信仰それ自体が、ある日突然に空の彼方からやってきて不遇な自分の人生を大逆転させてくれる救世主を待望するカーゴ・カルトである……まあ、そんなことは今までもお話ししてきたかと思います。
 上の文言はそんなUFOの飛来を待ち望む人たちの不遇感、世間への復讐心がよく現れています。
 さて、リベラルにとってはLGBTや女性といったマイノリティも「UFO」と同じ救世主として認識されている、といったこともよくお話ししてきました。
 ジェンダーフリーというUFOが到来し、世界の価値観は「アップデート」という名の「次元上昇(アセンション)」を迎える。そして自分の真価が認められ、世間が自分にひざまずく。
 それが彼ら彼女らのビジョンです。

・LGBTの不都合な運動


 さて、今回のお題は参院選に出馬するとやらで、勢いタイムリーになった松浦大悟師匠の著作。もっともこの『LGBTの不都合な真実』については、既に動画でも採り挙げています。



 本書はタイトルを見てもわかるように、同性愛者でありながら保守派の政治家でもある松浦師匠が左派のLGBT運動の欺瞞を批判するというもの。ことに近年のトランスの暴走について舌鋒鋭く批判した箇所などは大変貴重で、そこについては絶賛することにやぶさかではないのですが……しかし読んでいてどうもむずむずするのは、松浦師匠のスタンスが今一、不明であること。
 いえ、当記事は言うまでもなく、基本は松浦師匠批判なのですが、まずはアンフェアにならないよう、誉めるべき箇所について挙げておきましょう。

 例えば、「股間タック」というのがあるのだそうです。女性になりすますための股間覆いです。
 LGBTは自分たちは女性用施設に入ったりはしないと自称する(そうしたことをするのはLGBTではない性犯罪者の仕業だということなのでしょう)のですが、師匠は「それは違う、先の単語でググるとこれをつけて女性用施設に入ってはチンコを出しているヤツの動画がいくらも見つかる。そうした人たちはオートガイネフィリアと呼ばれ、彼らもまたトランスジェンダーの一ジャンルとなっている」といった指摘をします(大意・111~112p)。
 スポーツにおけるトランスの狼藉についても「トランス男性、つまりは肉体は女性の者は男子スポーツに出場することはない。不利だとわかりきっているからだ。むしろスポーツで結果を出した後、『トランス男性だ』とカムアウトする者がいて(つまり、女性として結果を出した後、「男だ」と名乗るということなのでしょう)極めてアンフェアだが誰も問題にしない」などとも(大意・119p)
 また、人権派弁護士がオカマが女湯に入る問題について「トランスジェンダーかどうかは性別変更の有無やホルモン治療歴を調べればすぐわかる、つまりトランスジェンダーが女性用施設に入るのと、トランスを装った性犯罪者とは容易に区別がつく」と言ったのに対し、松浦師匠は千田由紀師匠の「本人の性自認を尊重するのではなかったのか」とのツッコミを引用しています。本人の自己申告を尊重するのなら、捕まった性犯罪者の「俺はトランスだ」という苦し紛れの言い訳も当然、尊重せざるを得ないわけで、まさに彼ら彼女らがいかに自縄自縛に陥っているかの一例なのです。
 いえ……ただ、そこまでは正しいのですが、松浦師匠は続けて以下のようにも言うのです。

 毎日新聞の弁護士の提言に従って法律を制定すれば、どんなに頑張って性自認だけで戸籍を変えたとしても女性器/男性器を除去していない以上は男湯/女湯を利用することはできない。これはトランスジェンダーにとってみれば「あなたは本物の男/女ではない」と国民全体から言われていることに等しい。こんな悲しい法改正があっていいのかと思います。
(173~174p)


 素直に読めば、ペニスを持ったまま女湯に入れてしかるべき、と言っているように読めます。
 どうなってるんだ、相手の矛盾を鋭く突っ込んだと思いきや、自分もまた矛盾に陥り、それに気づいてもいない。
 全くもってわけがわかりません。
 或いは相手の過ちを指摘するための、一つの極論として言っているのかも知れませんが、どうにもLGBT同士の喧嘩に市井の女性が巻き込まれているようにしか、ぼくには見えません。
 以上のように、松浦師匠の目には「気に入らない、自分にとっての政敵であるLGBT」は非常によく見えているようなのですが、もうちょっと広く社会全般を見渡す視線に、いささか欠けているのではないかなあ……というのが本書を読んでの、ぼくの感想です。
 師匠はおそらくトランスがあまりお好きでないのでしょうが、以降もぼくの目から見ても「ちょっとそれは言いがかりでは」と思える箇所にぶつかったりするのです。

・LGBTの不都合な驕慢


『新潮45』騒動について、松浦師匠自身は『新潮45』擁護派というか、中立派と思しいのですが、いくつか著名人のおコトバが引用されている箇所があります。

哲学者・千葉雅也氏
《とにかく、マジョリティの人たちに言いたいのは、君たちは15年前に同性愛とかトランスとかの人々のことをこんなふうに支持しようと思っていたか? その後考えを変えたのはいいが、いま急に味方のつもりになっているということの恥ずかしさを改めて心に刻め、ということです》
《マジョリティどもは、今日のネトウヨ対リベラルのわかりやすい二元構図においてリベラルの側に立てば、もうおのれの罪責性が許されたかのようにふんぞり返って弱者の味方とか言ってるわけ。シンプルに言って。罪責性思い出せよ、と》

ジャーナリスト・北丸雄二氏
《『週刊新潮』が小汚い記事を書き続けても廃刊・休刊や大規模抗議行動なんか招かないのに、『新潮45』がちょいとLGBT逆張りテキストで稼ごうとしたらこんなに炎上してすぐに降参する。LGBTって、ついこないだまでみんなでオカマだ変態だキモいって嗤ってたのに、この代わり身の速さと虚ろな処世。ま、いいけど》
(41~42p)


 両者とも同性愛者なのですが、ちょっと驚くべき、ただただマイノリティの傲慢さの炸裂している文章だと思います。
 一応、この引用は『新潮45』騒動でにわか仕込みの知識でLGBT側に立って杉田氏を叩いた「ノンケ」たちを腐すという文脈でなされているものではあるのですが、読んだ方は冒頭のUFOの話に大変近いものを感じられたのではないでしょうか。
(後、これら発言、恐らくツイッターと思われるのですが、出典が書かれていません)
 左派もLGBT活動家も「LGBTを当たり前のセクシュアリティとして認める(その実態はヘテロセクシャル男性を弾圧する)社会」という「UFO」を待ち望んでいた者たちであり、既にUFOは着陸した。
 いまや彼ら彼女らは復讐のターンに入ったわけです。

 他にも、動画でも紹介したように師匠の主張は、同性婚についてちゃんと改憲した上で認めてもらうべきというもの。LGBT運動家の多くは現行の憲法を(やや強引に)拡大解釈して認めてもらおうというスタンスであり、師匠はそこを批判しているわけです。
 そりゃ、どっちのスタンスもそれはそれで考え方としては理解できますが(運動家側も師匠に対し「改憲なんて待ってたらどれだけかかるかわからん」と再反論しています)、どっちにせよ「小さな小屋の中の小さなバトル」なのではないかなあと。
 既に動画でも引用したように、師匠は以下のように主張します。

私たちのゴールは同性婚ではなく、同性婚を祝福できる社会なのですから。
(88p)

日本においてLGBT政策の不備はたくさんあると思いますが、一番の問題は国家による承認がいまだなされていないことだと思います。当事者の中には、小学校や中学校でいじめられて育ち、自己肯定感を持てない人もいる。だからこそ、国が自らの生き方を認めてくれたという安心感が欲しいのです。
(中略)
国家が「LGBTは国民の一員であり、我々の仲間だ」と宣言し、その存在を丸ごと承認すれば、格段に生きやすい社会になるはずです。
(281p)


「国家に認めてもらう」というのが具体的に何を指しているのかは曖昧ですが、おそらくは改憲し、同性婚の権利を明記してもらうということなのではないかと思います。
 しかしそんなこと言ったって、それで大衆の誰もがLGBTを「祝福」する社会になるとは思えません。
「個人的なことは政治的なことではない」のだから、わざわざそれを国家に求めるのも、ましてや(動画で言った通り)それによって世間一般の通りがよくなるのを期待するというのもどうなのかなあと。
 左派というのは国家というものの力を過度に大きく見積もって反発する「ツンデレ愛国者」ですが、こうして見ると師匠はただ、国家というものの力を過度に大きく見積もって重い愛を抱く「ヤンデレ愛国者」なのではないでしょうか。
 しかしいずれにせよ大衆の感覚から乖離したところで空論を弄んでいるという意味では、両者とも変わりがないのではないか……とぼくには思えます。
 そして、そんなことを言っておきながら、師匠はこの直後、続けるのです。

ただし、私たち当事者が求めていることは弱者救済ではないのです。あくまでもフェアな扱いを望んでいるだけで、決して特別待遇をしてもらいたいわけではありません。
(281p)


 しかし伊是名師匠もJR職員に大変な負担を強いながら、その主張は「健常者と同じ扱いにせよ」というものでした。「自分が車椅子というハンデを背負っているのは、自分の責ではないのだから、全くそのハンデを感じさせないよう、健常者と同じ扱いにせよ」というのが彼女にとっての「フェア」だったのです。
 もし松浦師匠の「フェアな扱い」に例えばですが「結婚を祝福してもらえる権利」が含まれるのだとしたら、伊是名師匠以上のムチャ振りだなあ、としか思えません。
 それに「同性婚の権利」を憲法に明記せよと言うなら、「フィクトセクシュアル(などというものはこの世にないとぼくは思いますが、あるという師匠のスタンスに倣えば)」の権利を守るため、「二次婚」の自由も憲法に明記してもらわねばならないでしょう。
 後は『新潮45』の記事にもあったように機械婚も動物婚も植物婚も何でもかんでも明記しなければならなくなる。キリがないわけです。
 師匠はさらに、NHKが「福祉枠」でLGBTを採り挙げることにも憤ります。
 LGBTの子供は自殺念慮が高いといったデータが決まって出されるが、LGBTはカワイソーな人たちだとの印象を植えつけるので好ましくない(282p・大意)、また(本人ではなく)「あるゲイ当事者」の言葉として、差別禁止の法律ができれば、ホモが被差別民だと認めることになる、プライドが傷つくといった主張も(283p・大意)。
 正直、「どうしろと?」という感想しか湧いてきません。

 ――さて、もう結構な文字数を費やしてしまいましたので、今回はこの辺りで。
 まだ内容的には半分残っており、そこでようやく師匠の持つ、最大の問題点が語られるのですが……ともあれ、来週後編をうpしますので、どうぞそれまでお待ちください。



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