みな様、目下『Daily WiLL Online』で兵頭の記事が公開されております。
『映画秘宝』の例の問題ということで、それなりに話題性はあると思うのですが、話が少々マニアックで難しいかもとも思え、反応が気になっています。
ランキングは目下のところ、五位。
より以上の応援をよろしくお願いいたします。
――さて、いよいよ感動の()最終回です。
元は匿名用アカウント氏の本作品評への感想であり、まずは本ブログの前回と前々回と前々々回と前々々々回、前々々々々回、前々々々々々回、前々々々々々々回、及び匿名氏のnoteを読んでいただくことを推奨したいところですが、まずは匿名氏のnoteをご覧いただいて、そっから(お気に召したら)辿っていただくことを推奨します。
まあ、気が向きましたら、上の第一回から辿ってください、すごい長編ですが……。
それとおわかりでしょうが本作のファンの方、ネタバレを回避したい方はお読みになりませんよう。
ものすごい勢いでネタバレした上、貶しますから。
・肉、やっぱ食っちゃダメだってよ
さて、記者会見でルイが「肉食を認めよう」と語ったため、街には大暴動が巻き起こります。
が、肉食獣は決して牙を立てようとはしない。殴りあいはするものの、そこに食うという選択を持ち込まずにいるのです。ここも意味がわかりませんが、「市民たちは意外に理性的であった」という「いいシーン」のようです。
そんな最中、いきなり発生する大規模停電。
メロンは大量食殺が起こる、などと言うのですが――復旧してみると草食も肉食も仲よく手をつないでいました。よかったね。要は和解が成立したという描写なのですが、過程がすっ飛ばされているので、何だこりゃとしか。
大体、クライマックスがメロンとのバトルというのが微妙と言えば微妙。本来であれば草食と肉食の双方の大物が争うみたいな話であるべきですが、そうした役目を果たすはずのヤフヤとゴーシャは、終始傍観者ですし……。
さらに、ルイの演説につられ、草食が裏市へと入ってくるのですが、それを見た裏市の住人たちは「草食にこんなものは見せられない」と街を壊し始めるのです。草食にも武器を手渡し、一斉に裏市そのものを壊し始める一同。草食的な優しさを持つ、平和的な暴動でいいと思いま~す。
要するに肉食が自らを省みて恥じ入る、ということのようです。
で、この騒動の後、裏市は正式に取り壊されることに。
メロン自身が最後まで改心しなかったり、また裏市は別に作られてしまうだろうとの言葉があったりで、そこまで甘ったるいラストではないのですが。
結局、ルイの発言の真意はよくわかりませんが(本気だったのか、何故いきなりあんなことを言ったのか)、そしてまた、ハルがメロンに自分を食べていいと言ったことも回収されてないように思うのですが、話としては「肉食否定」で終わるんですね。
まあ、植物性タンパクを取っていれば死にはしないので、「お前らがそれでいいんならそれでいいんだろうな」以上の感想は湧きません。卵とか昆虫を食う選択もありますし(それらについてはここでは言及されないのですが)。
ただもう一つ、最後にはクジラとヤフヤの会見がなされ、「これを食ってはどうか」とクジラの差し出した魚肉ソーを(手もないのにどうやったんだろう)、ヤフヤが「貿易は争いを生む」と断る様が描かれます。海生生物は死生観が違う(死をあまり悲しまない)ため、海生生物を食うならば問題ない、という選択肢があったのですが、どういうわけかヤフヤは(自分は肉食でもないくせに独断で)それを断るのです。
何だよそれ! 海生生物出した意味ねーし!
上の経緯と並行してレゴシとお隣さんであったセイウチとの別離も描かれるのですが、一度は海へ戻ろうとしたこのセイウチはあっさり「やっぱりやめた」と元の鞘に納まる。もうわけがわかりません。「海生生物とは棲み分けよう」というヤフヤの判断からして意味不明ですが(だってその前に肉食と草食が棲み分けろよと思いますから)、そう結論づけた上でセイウチが陸上に永住するんじゃ、さっぱり意味がわかりません。
正直、「草食対肉食」の対立構造を、本作が描き得たとはとても言い難いと思うのですが、作者の感情レベルでは「男は女の肉体を得られないまま、ただ女に奉仕せえ」といった辺りが結論なんじゃないでしょうかね。
これを現実世界で喩えるとするならば、アレですかね、頼んでもいないのに女が男の場(例えば、少年漫画誌)に入ってきて、「エロがけちから~ん」とか言って、で、男の中のチンポ騎士が「女性様をお迎えしなければ~」と彼女らに平身低頭して武器を与え、ともにエロ漫画の打ち壊しをするとか、何かそんな感じの話だったんじゃないスかね。
・恋人たちのオチ、つけるってよ
はい、もう数話で終わりです。
もうちょっとです、ガンバりましょう。
ルイ×ジェノ。結局ルイはエラいさんの娘かなんかと政略結婚せざるを得ず、ジェノとは別れることに。ジェノは「私とのキスはよかったでしょ(忘れられなくなったでしょ)」的なことを言って、自分からルイの下から立ち去り、一人になって「食らえ! 可愛いオオカミの呪い」などとつぶやきます。
かあぁぁぁぁっっっっこいい~~~~~!!(大爆笑)
だぁぁぁぁいてぇぇぇぇ~~~~~~!!
ジェノが当初はレゴシに惚れてたとか、作者自身忘れてそーだなー。
後、当初はこの人、「私がビースターになる」と言ってた(肉食であり政治的にも上の位置に立つことを目指すという、「男」足らんとした)とかも、作者自身忘れてそーだなー。
さて、最後はハル×レゴシ(嫌味でレゴシを後にしました)。
えぇとね、もう書くのもヤです。
平和になった中、デートする二人ですが、その最中、ずっとハルは耳をおっ立てています。これはウサギが不機嫌でいる証拠。ハルも顔は終始ニコニコなのですが、レゴシはずっとおろおろしています。
案の定、最後に「イラつく」と切れ出すブス。
「レゴシ君、結婚しよ。そしてすぐ離婚しよ。そうすればあなたは一生私を追いかけてくれる。今のあなたは歴史を変えたヒーローであり、私には勝てる部分が何もない。そこが苛立たしい。あなたが私を追ってくれれば対等になれる」。
あぁ、そうですか。〇ねばいいと思うよ。
一応、この後、レゴシがそれを一度拒否して、自分からプロポーズをする、ブスが自分の負けを受け容れるというオチにはなります(「また負けたわ」とぼやく程度であり、自分がいかに身勝手なことをやり続けたかについての反省があるわけでは一切、ありません)。
まあ、何かいずれにせよ最後までこのままです。
あとがきでは作者からハルへのメッセージとして、「絶対浮気すんなよ! 世界一幸せになってね」と呼びかけています。これ、最低最少限の倫理を説いているようにも見えるんですが、まさか反語的な意味で言ってたりは……いやいやいやいやいや、さすがにしない……よなあ……?
……以上、読後感は「やれやれ」以外のものがありません。
以前述べたヒツジも似たことを言っていましたが、結局「草食獣は肉食獣に勝てないからイキっていい」という倫理観がわけがわからない、無残なものとしか言いようがありません。
メロンの母親についても当初は肉食獣の女性という存在を登場させ、価値感の転換を狙ったようにも思えるが、手に負えずに結局父親をクズにすることで母親を免責してしまいました。
それに対し、ゴーシャの妻はゴーシャの毒で死んだわけで、それは男の「原罪」を強調するため、男に罪悪感を植えつけるためそうしたように読めます。
先にも書いたように、ハルがそこまで「レゴシに敵わない」ことが気に入らないなら、自分も戦場に出ればいいのです。しかし彼女は、前にも述べたように食殺事件篇では最終決戦の夜、家でテレビを観てましたし、このクライマックスでも姿を見せません。キューというウサギは妙な超能力で肉食以上の力を得るのだから、「ハルにはそれができない」との言い訳は効きません(考えればこの能力もクライマックスでは登場せず、尻すぼみです)。まあ、「女は守られるべき」「その上で守られたことに文句を言うべき」なんでしょうね、レゴシの(テンとの戦いの時の)言からするに。
一体、どこまで甘えきってるんでしょうか。
時々書くように、オタク文化以前の漫画界では少女漫画が聖書のように持ち上げられていました。まあ、価値ある傑作も存在することは別に否定はしませんが、基本、少女漫画ってすごい若い子が描くんですよね。だからぶっちゃけ稚拙だったり節度がなかったりするものもあったりしました。しかし何より読者の少女たちに同世代感覚を持ってもらうことが大事だとされ、そのためそうした欠点もよしとされてきたのだと思います。要するにラジオDJだったんですね。
ぼくが時々オタク文化を「裸の男性性」と形容するように、オタク文化もそれに倣ったもので、実のところ昔の同人誌とか、クオリティ非道いの多かったんですわ。描きかけで投げたようなのをぼったくり価格で売ってたり。でもそれも、友だちとだらだらしゃべってるような面白さがあったわけです。DJの別に面白くもないアドリブが親しみを感じさせる感じですね。
だから、本作についてもクオリティが低いとか道徳的にけしからん、といった文句をつける気は、ぼくには全然ありません。少女漫画誌に連載されていたら、文句を言うこともなかったはずです。『ガガガ』でも全く同じことを言っていましたけど。
しかし漫画界は女性様へと男性向けメディアを明け渡してしまいました。テレビとかが女性向け一色なのは、マーケティングでやってると思うんですが(何しろ日本人女性ほどテレビを長時間観る民族はいませんから)、漫画界ってフェミイデオロギーで無理からに女性を重用してる感じがします。
もう四十年以上前の話ですが、内田春菊とかがそうですよね。「女の子のホンネ」とやらに多大な意味と価値とがあると勘違いした人たちが、単なる馬鹿女の戯言が並んでいるだけの落書きを聖骸布のように崇拝した。時々言うようにそれは「萌え」の台頭により消え去った……はずが、オタク文化の衰退と共に、彗星のようにカムバックし始めたのがこの十年でした。
『ガガガ』について書いた時、ぼくは「おもちゃのかんづめ」の男の子向けと女の子向けの違いがなくなっていることを漫画界の現状に準えました。
そう、今の漫画界は「女の子向け」のおもちゃを男の子に押しつけることが「ポリコレ」になってしまっているのです。
それはきっと、漫画界を、否、人類を衰退させる役にしか、立たないことでしょう。