「ゴミを売ったこと、食べたこと」ここを考えたい

2016-01-23 07:10:12 | 日記

 「ゴミを売ったこと、食べたこと」ここを考えたい

 

   暖冬と言われているが、ここ数日の寒波は中途半端じゃない。いわゆる「爆弾低気圧」である。その中での灯油の値段は助かる。市内の中から低価格のスタンドを探し求めた。18リットル830円。確か昨年は1800円前後であったと記憶している。また低温続きの毎日であった。「毎日が日曜」である二人暮らしの年金生活者である。どちらかはいつも部屋にいる。一人であろうが二人であろうがストーブは燃やし続ける。そこで部屋の設定温度を下げたり、上げたりの毎日が昨年の今頃であった。ところが今年は違う。燃え続けることもタンクの目盛も気にはならない。燃焼時間は同じでも灯油の消費量は段違いである。「ガソリン続落明暗」と称する見出しの新聞記事に「価格がどんどん下がるのを見ているだけでも楽しい。買い物に行く回数も増えた」と語る笑顔の主婦の話が載っていた。「見ているだけでも楽しい」この気持ちはよくわかる。庶民の率直な表現である。

 「ジャンジャン焚いて、どんどん使って」。でもそこに「消費者の良識のブレーキ」がかかるのだろうかと考える。

 今、原発再稼動の是非をめぐる国民的論議がある。そして薩摩川内の再稼動をはじめとして第二・第三の原発の再稼動が進められている。その争点の柱に「排ガス規制」があり、それをめぐる原発是非論はこれからも続く。「安い、暖かい、そして利便」のなかで「油」の低価格が歓迎される。

 私たちは自らの生活防衛策として低価格商品を求める。広告を手にしての買い物もしかり、安いと言えば多少の買いだめにも走る。毎日の新聞紙に挟まれてくる広告の枚数の多いことも庶民の感覚をくすぐる。しかし、ここで立ち止まって考える必要はないか。いつしか止めることができない「安物期待意識」の陰に潜む危険性を忘れはしないかということである。また、その意識にブレーキを掛ける勇気も必要ではないかということである。

 昨日書いた軽井沢スキーツアーの事故もそうである。料金の明細は知らないがかなりの低価格ツアーであったろう。この時期、過当競争の中での低料金であったと受け止める。その低料金の陰に潜む危険性が現れたと考えられないか。バスツアーだけではない。今盛んに利用されている「格安航空券」がある。「早割、あるいは当日の飛行前の購入」を条件とする料金割引はともかく、根っからの格安料金がどうして成り立つのか。通常の航空機との違いは何か。そこに危険の要因が隠されていないか。考えても良いことであろう。

 さらに「廃棄物を食わされた」事件がある。産業廃棄物の処理には、廃棄物を出した業者は処理業者に応分の処理費を払って処理を委託する。だから廃棄物を出した業者はその廃棄物が適正に処理されているかを確かめる権利があり、そのことが法的にも求められている。よって、今般の廃棄処分業者「ダイコー」の廃棄の確認をしなかった「カレーハウス一番屋」の責任は問われなければならない。しかし、それ以上に「ダイコー」の商法である。「廃却契約で金を受け取り、そしてその廃却品を売って金を得る」。まさに二重利益の悪徳商法である。そして廃棄物処理業者と知りながら「安いから」ということで購入し、店頭に並べた各々の業者の行為もまた問われなければならない。素材を安く仕入れで店頭に並べ利益を増幅しようとした。

 そして店頭に立ったお客である。「ゴミ」とは知ってはいなかったろう。しかし、「低価格で買える。食べられる」ということで手を出した、消費者の「低価格志向の感覚」も考える必要があるのではなかろうか。その感覚が「消費者の常識」に曇りが生じさせ、危機感覚を鈍らせてはいないかということである。

 生活防衛、家計優先も大事であるが、疑問、危険を感じ取る敏感さも必要であり、場合によっては欲望をひかえる勇気と習慣も必要ではないかと痛感した「生ごみ」問題である。


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