燃やしてはならない「消せない火」を私たちは燃やしてしまった ・その8

2019-08-30 06:41:59 | 日記

2011年3月19日

 

迷われるところに大切さがあると思います

 

「家族を守れないものが、どうして他人を守れるでしょうか」

もちろん瞬時には「自ら顧みずに危険に飛び込む」ということはあるでしょう。誰しも、自分を安全なところに身を置いて物事を考えます。それが人間です。別記しましたように、多くの被災地での悲しみや混乱、そして多くの避難先での苦渋の映像をコタツに入り、ストーブがついている部屋で見ている、そして晩酌をやっている。それが今の私です。そのこと自体否定、卑下することはできないはずです。

問題は、その中で何ができるか、何をやるか、何を残せるかだと思います。

ガソリンもありません。ですから私は今メールの交信行動を続けています。そこで貴方からのメールを頂けたことが嬉しいのです。

今まで何人に送信したでしょうか。でも受信したとの報告も含め、返信を頂けたのは極少数です。この人であれば、多分メールを駆使しているだろうと思い「メール見てくれた」と電話をしますと、開いていないとなっています。

今、思想を問うとか、あるいは「原発運動の総括」をすべきなどの発言があります。私は何を考えているのかと怒りさえ込みあげます。この期に必要なものは、相互の意見交換、安否の確認、そして励ましあうことだと思います。

言葉を交信しあう機会や、道具(パソコン、電話)は最大限に使うべきです。そしてこの事実をしっかりと自分の目で見て、きっちりと記憶し、自分の言葉で語り広めることだと思います。それが後世に残す私たちの運動であろうと思います。

貴方も、是非ブログを発信して下さい。

本日も封書を5通持って投函してきました。メールでは届けられない知人への手紙です。だからといって、全ての仲間の皆さんが同様のことをすべきとは思っていません。自らの条件の中で、やるべきこと、やれることを、意識的に行動に移すことだと思います。  

「何も、寒い寒空の下に立つ必要はありません」。「大変だろう、きついだろう、その身にならなければそのきちさはわからないだろうと言って避難所に住みつく人要はないと思います」「暖の取れているところにいるがそこで何をできるか」。そのことを考え実行することではないでしようか。

どうぞまた返信ください。

 


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