燃やしてはならない「消せない火」を私たちは燃やしてしまった ・その7

2019-08-29 04:54:24 | 日記

2011年3月19日

 

浜の友人の返信メールを読む

 

次の文章は、私のメールに対する友人の返信です。

「今日避難所から、息子宅にきて久しぶりに貴方のメールを見ました。ありがとうございました。今回、避難所に長期間入っていていろいろと感じるところがありました。大変な事態にあるのに、避難所の中は醜い嫉妬や非難、悪口など、どろどろの醜態が渦巻いています。また私自身が、どのような行動をとるのが正しいのかを、現実の場にあって大変悩みました。自分の家族を守らねばならないし、事故の経過も見通せないなかで、いったい、誰をどこに避難させるか本当に身をきる思いの決断でした。しかも、一刻の猶予もない中で、私は14日の水素爆発で決断しました。息子、孫を引き連れ仙台に向かいました。しかし地元では津波被害に汗を流している仲間がいます。燃料がなくて避難できない仲間がいます。結局のところ、私は仲間や地域を捨てて逃げた負い目も感じています。子や孫を守る責任と、自分の思想に生きることと、そして現実の行動です。

自分は、地域の社民党を担う資質に欠けた人間かなと滅入ることも度々です。この問題は、自分の中で整理するには死ぬまでかかるかも知れません。またギリギリの選択の中で、家族や親子との関係、仲間や地域の皆さんとの関係にも大きな影を落とすかも知れません。あなただったらどうお考えになるでしょうか。

重い課題を抱えて自分のこれからの進路にも迷いを感じています」。

 


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