「患者申し出療養」について考える。命を金で買う医療制度に物申す

2014-06-11 12:05:48 | 日記

   「患者申し出療養」について考える。命を金で買う医療制度に物申す

通常国会も残すところ僅かとなった。5月のはじめの記者会見で、安倍首相は「期限ありきではない」と発言をしている。「集団的自衛権の行使」をめくる論議は丁寧に進めなければならないという趣旨であった。ところが最近の首相の対応は、なにがなんでも「集団的自衛権」の文言を残す閣議決定に向けてがむしゃらに進んでいる。その手法は極めて意図的である。国会の論議もそうだが、国民向けにおいても「かく乱、目くらまし、そして籠絡」の手法の使い放題である。それは安倍晋三的性格からくるものなのか、それとも用意周到に準備されたスタッフの工作によるものなのかは知らない。どちらにしても、この手法は、反論反撃を容易にすることができない性質を持っている。聞く耳を持たない、答える誠意を全く示していない国会答弁がそれを明らかにしている。その姿に「政治家、私、安倍晋三は祖父さまを超えることができました」と。その報告のためとも勘ぐりたくなるのが昨今の安倍首相の姿である。そう思うのは私だけであろうか。

せまりつつある閣議決定もあるが、本日のニュースにもあった「混合診療」の拡大に触れたい。

ここにも安倍政権の特徴である「運用仕法」が出てくる。それが「患者の申し出療養」である。患者には治療を選択、それを要望する知識はない。ただただ回復したい、生きたいでいっぱいである。家族も同様だろう。そのとき医師から「このような治療方法がありますよ、いかがですか」と問われれば藁をもすがる思いとなろう。しかし、問題は治療費である。「この治療費は保険が使えません。しかし、『申し出療養』の制度を適用すれば、入院費など保険の利く医療費は保険から支払われます。よってその部分の貴方の負担は1割(2割・3割)で済みます。この制度の適用を受けないと丸々全額が貴方の負担となります。いかがですか」と。

それは、何ら現在の混合診療を限定的に認めた「保険外併用療養費制度」とは変わらない。変わるのは、混合診療としてその併用が許される100余に及ぶ医療行為に、医師が勧め、そして患者が受諾(申し入れ)をした医療行為が加わったということである。治療の選択が広まったと言えばそうであるが、言い換えれば保険の利かない「自由診療」がさらに増えたというだけでしかない。その治療の安全が確かめられ、承認されるまでの期間が短縮されるということになったてはいるが、安全の保障が確立されるとは別である。むしろ急ぐがあまり省略、改ざんをしかねないのが、昨今の製薬会社とグルになった事件も見ても想定できよう。そしてあってはならないが、「患者の申し入れ」という名のもとに、「医療事故」の病院側の責任がまぬがれるという危険性があることも確かである。

さて、この制度の改定によって、誰が利益を受けるのだろうか。申し入れをした治療には高額な支払いがある。治療の選択幅が広がり、患者の命を救う道も広がるということはあるだろう。しかし、その自由診療の費用をまかなえる人はともかく、申し入れのできない人は蚊帳の外におかれることには変わりない。そうであっても何とかして高度な医療を受けたいとする人は増える。結果して、個人の全額負担の自由診療分と保険適用分は拡大する。総体として医療費総額は増え、医療関係に集まる収入は拡大する。

同時に、そこに隠されたものがある。かつて小泉内閣のブレーンであった宮内オリックス会長は次のように述べている。「医療はGDPの7%という一大マーケットである。よって公と民を混合にすればよい。公は『保険が使える』部分。民は『民間保険』を使う部分。その支払いによって、全体の医療費が上がればGDPを押し上げ、おのずと経済成長を成し遂げる」と。かく述べるオリックス社は大手の保険会社である。今、アメリカ参入の保険会社も含め、生命保険、介護保険の宣伝合戦は激しい。さらに保険会社は有力、最大の投機会社である。

最後に強調したい。

第二次大戦前には農村部の小作農や都市部の貧困層では、重病人が出れば家どころか子女を売らなければ医療を受けられないというのが常態化していた。このような悲劇を予防するために公的保険制度が順次導入された歴史的経緯があることを忘れてはならない。

 


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