燃やしてはならない「消せない火」を私たちは燃やしてしまった

2019-08-23 09:50:02 | 日記

覚悟を決めて、ブログを開設したのが2013年4月。タイトルも「高齢社会に生きるための知恵と工夫・そして言葉」とした。

6歳当時、空襲警報におびえ、そして近所の兄さんやお父さんを「日の丸を振って送り」、そして「白木の箱に納まっての帰還」を家の前に立って迎えた経験を持つ一人として、何かを発信したいと思っての開設であった。しかし、日ごろの怠惰も含めて久しく書くことをサボってきた私だが、東京オリンピックを前にして、あの「3.11」を忘れ去るかの動きに「掉さす意味」でも、爆発後の3日後から全国の知人、友人に発信を続けたメールを引っ張りだそうと考えたのが再開の理由である。なお、一部は、すでに書き込み済みのものがあるがその重複をまずことわりたい。

  

これからはじまる、混乱と不安

そして仲間との対立・解決の道が見えない長い道程

 

 3.14

 原発災害は最悪・長期化は覚悟すべきだ

1000年に一度とか、世界史上第四位の大災害と言われていますが、ひどく恐ろしい出来事です。犠牲者数は、25000名を超えるのではないでしょうか。そこに原発災害です。第一・第二原発、合計10基です。1号機と3号機が水素爆発しました。盛んに容器は安心だと主張していますが、これも史上初のことであり、日本の原発技術からしても、マニュアルもノウハウも無いと思います。「消せない火」となってしまいました。さらに2号機・4号機と続くことが考えられます。最悪の状態は覚悟しなければならないと思います。枝野官房長官の発言も、国民のパニックを考慮してのものであるがために不明確です。

政府は、現地住民に「安定ヨウ素剤」を使うなどの、最悪事態を覚悟する対応をすべきです。 

「部屋から出ない、窓を開けない、濡れたマスクで口を覆う」などの対策で済むものではないところまで行くと考えるべきです。

また、経営の責任としても、東電と原発メーカーである東芝のトップが、現地で指導する姿があって良いはずです。それが企業の社会的責任と言うものでしょう。

避難者は郡山まで来ています。

今朝、社民党がんばれOB・G全国の会の宇都木事務局長から電話がありました。どのような支援があるか、今日、党本部に赴くので注文があるかというものでした。

私は、最悪の事態に対する対策を取らせること。そして避難してくる老人、乳幼児、病弱者などの弱者には集会所などではなく、せめてホテル、旅館(今ガラガラです)などに収容すること。その金額は東電・東芝に持たせることくらいの注文をしてくださいと述べました。今もって余震(4程度)が続いています。もうこれ以上の被害がないようにと祈ります。

 

 

  

 

 

 

  


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