悲しい高齢者運転事故に私の想いを重ねる

2016-12-05 05:09:32 | 日記

  悲しい高齢者運転事故に私の想いを重ねる

 

   高齢者の運転ミス事故が毎日のように報じられています。以前もあったのか、それともここにきて一段と多発をしたのか。具体的な統計は不明ですが確実に増加していることは事実でしょう。そして80代の高齢者が「過失運転」として容疑者になることは悲しいことです。しかも自分の孫にもあたる小学生の命を奪うとなれば、当人にとってはまさに「地獄」としか言いようがありません。

   かく言う80歳の私も運転免許証を保持しています。そして小回り運転や駐車場などでのヒャリは幾度も経験をしています。そのとき思い出すのが、65歳の時にきっぱりと免許証を返上した今は亡き一人の先輩の言葉です。「バス停まで歩きそこで待つ。暑い日もあり寒い時もある。またダイヤの遅れに次のバス停まで歩く。その体力、気力を持っているときに車を手放すべきです」と。車社会にあって、しかも60代でのこの決断には驚き、また納得をした私でしたが手放せないまま今日まで来てしまいました。しかし昨今の事故ニュースに「その決断の時が来た」との想いを強くしたところです。

 となると私の町の公的交通手段は路線バスとハイヤーとなります。とりわけ路線バスは年々ダイヤが削減され、また廃止される路線も増えています。そしてすれ違うバスには乗客が2名または3名、場合によっては空車という光景をよく目にします。

 市は「路線の確保補償」を名目に年間1億余円をバス会社に交付をしています。しかし路線の縮小、ダイヤの削減は続きます。そのことがまた乗客を遠ざけるという悪循環となっています。

 現在、家族に頼ることのできない「独居」あるいは「老々世帯」が増えています。買い物、通院の足をどうするのか。そのことが高齢者運転を無くすことのできないものとなっています。日々報じられる「高齢者運転事故」を目の前にしても、なお「日々の生活を確保するためにハンドルを握らなければならないのだ」という悲鳴が聞こえてきます。

 「保育園落ちた、日本死ね」という叫びが政治を動かしました。そこでもう一つの叫びをあげたいと思います。「車を捨てたらその日から生活が成り立たないのだ」と。

 今幾つかの自治体では「免許証返上特約」として路線バスやハイヤー料金の補助を実施しています。しかし、もはや自治体任せて済まされない実態にあることを知るべきです。

 そして来年早々の総選挙が推測されます。

 「またも高齢者が」と、その責めを追及するだけでは済まされません。政治を動かす要求の一つに「高齢者の足を確保する公的交通機関の充実と免許証返上特約の全国化を図れる」との声を上げて良いはずです。

 今日一日、悲しい事故ニュースの無いことを、そしてこの私も無事故であることを念じる早朝のひと時です。


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