数の力にものを言わせる安倍首相・どこに丁寧な討論が

2015-05-14 20:10:10 | 日記

 数の力にものを言わせる安倍首相

   11の法案を一括して上程、どこに丁寧な討論があるのか

 

  安保法制関連法案の閣議決定を終え、各閣僚が首相官邸を後にする場面がテレビに報じられていた。その画面には、官邸前に抗議のため集まった皆さんの叫び声が入っている。そしてその前を通り過ぎる閣僚の車の中にも、官邸内の首相の耳にも届いていることだろう。そして6時からの記者会見である。前もって質問内容は提示されていることであり、安倍首相はいろいろな例示をもって説明に臨んでいるつもりだろうが、形式的な言葉の羅列であり、緊迫したものを感じないのはいつものことである。鋭い記者からの指摘があって良いのだろうが、それは見当たらない。多分所属会社の報道部から抑制されているからだろうか。

  さて谷垣自民党幹事長は次のように述べている。「アジアの力関係も、アメリカの力も、昔と変わってきた。そういうなかで、日本がどういうふうに自らの国を安定させるか。いろんな試行錯誤をしながら一歩一歩、展開してきた議論のなかで、こういう(新たな安全保障法制の)結論が出てきた。「戦争法案だ」とか言う人がいるが、やはり大事なのは日本が戦後、平和国家として国際法を尊重し、法の支配を尊重し、国際紛争の解決には平和的な手法を重んじる国であると、高く評価をされてきたことだ。そのうえで、大きな国際情勢の変化に日本がどう対応していくのか。なぜこういうこと(安全保障法制)が必要なのかを丁寧に説明していくことが極めて大事かなと思う」。(自民党のインターネット番組で)

  歴史の受け止め方、そして現状の分析についての違いはある。それは当然である。だからこそ丁寧な説明が必要であると与党の幹事長は述べていると思う。しかし実態はどうであろう。閣議決定された安全保障法制を構成する11法案のうち、新たな恒久法案を除く10本の改正法案を一括して「平和安全法制整備法」との名称で国会に提出するというのである。つまり11本の法律を2本にまとめて審議するやり方であり、まさに異常であり乱暴である。安倍首相は記者会見で主張している。「私たちは選挙によって国民の信託を得たのだ」と。先の米国議会における発言にしても「私の決意を述べた事、決して国会を無視したものではない」とも発言している。そこには、昨年2月の集団的自衛権行使をめぐる衆院予算委員会において「最高責任者は私だ。政府の答弁には私の責任において答える。その上で選挙の審判を受けるのは私だ」と宣言した。あの時の記憶と重なる。そして「私は国民の信託を得た」と居直る。

  とはいえ、そのような中でも麻生副総理の言葉が漏れてくる。自らの派閥の会合での発言である。「これから国会で『平和安全法制』の審議が始まるが、みなさん方の奥さんに『この問題について、全然地元で説明ができない』と言われた。誰か紹介しなさいということになったので、岩屋毅先生を予定していたら総務会が入ってしまった。そこで、初級者向きの(岩屋氏)ではなく超上級者向きの(内閣官房副長官補の)兼原信克氏に説明に行ってもらったが、全然わからなかったと。なかなか難しいものだ。有権者、後援会の方々に丁寧に説明していただけるよう努力していただきたい」と。

  有権者、後援会の方々に丁寧に説明するとは、開かれた国会の場で、国民を前にして、各々の違いを明確にし合う討論があってこそはじめて成り立つものであろう。はじめから意見の違いを、数の力によって否定する国会論議は麻生副総理も納得しないし、諸先生の奥様方も地元にあって苦しむだろうと思うがどうだろう。