戦死者を出さなかった日本の「戦後歴史はダイヤモンド」

2015-05-10 14:31:33 | 日記

戦死者を出さなかった日本の戦後歴史は

            世界最高のダイヤモンドである

  何度も、何度も述べることだが、あの3.11から4年を経過。しかし、福島は原発事故の先が見えない収束で未だに揺れている。「記憶とは時間の経過の中で薄れる。また残るとしても脚色され形骸化されるものである」。私はこのことを意識し記録することに専念した。そして、その証として全国の交信者にメールの送信を続けてきた。その記録を今めくってみる。

  その一つに次の一文がある「4月15日・いずれは国民的討論となる『自衛隊の災害支援と日米共同支援』」

  「・・・・・・『日米安保を絵にかいたような作戦』であったと。現地の自衛隊幹部は発言している。これが自衛隊幹部の発言となると『待てよ』となる。しかし、自衛隊の支援なくして、物資も運び込まれなかったし捜索もできなかった。米軍の敏速な支援活動もすばらしいものがあったことは事実である。いずれは「原発」に対する国策の変更も含め、自衛隊の災害支援と外国からの支援〈軍隊・民間支援〉については今後の課題となるだろう。そのためにも、今のこの事実をしっかりと見極め、記憶にとどめることが大切であると考える。さて、現地で見たもう一つの具体的な事実がある。自衛隊が被災者支援のため福島の現地に到着した。しかし、その時の放射能物質の高い数値に、司令部は隊員の生命を守ると称して撤退した。自民党は、憲法改定草案の中で自衛隊を軍隊へ改組することを提起している。軍隊とは、まさに有事において命を賭して前に進む集団である。我が命を守るためには、敵より早く引き金を引くというのが軍隊である。原発の現状はまさに有事であり、敵は『原発』。厳しい言い方をすれば、その司令部の姿勢に『自衛隊の限界』を目のあたりに見た思いであった。しかし、誤解してもらっては困る。若き自衛隊に命を落とせと言っているのではない。自衛隊を平和建設隊に改組する運動に、火をつける格好の材料を今回の惨事は与えてくれたと考えるべきであろう。だから、マスコミよもっともっと自衛隊の活動を宣伝しろと言いたい」。

  さて、現在安保法制をめぐり論議が巻き起こっている。そして、あちらの国米国の議会は、オブスレィ17機を日本へ売却することを決定した。その金額3600億円。今後日本国内における大規模災害救済に有効な働きをするだろうと述べている。さらに「軍事下における米日共同作戦に強力な力となるだろう」との説明を忘れていない。キーワードはここである。

  このオプスレィであるが、ネットでの検索(フリー百科辞典)によれば「飛行距離3000㎞。輸送人員24〜32名、最大積載量9000㎏とあり、貨物を載せず24人が乗りくんだ場合はヘリコプターのように垂直離着陸が可能であるが、最大積載量を積んだ場合は垂直離着陸はできない。離着陸には約487m(1,600フィート)を必要とする」と解説している。何のことはない。3600億円の値打ちは3000㎞の飛行。つまりお隣の国の奥深くまも飛んでいけると言うことに尽きるとすることではないか。

  東日本大震災で、壊滅的な破壊を被った仙台空港を、短時間で回復させた米軍の驚異的な働きにはこの種の装備は必要としなかった。飛び地も含めその救助にどうしてオブスレィが必要か、通常のヘリコプターで十分である。その説明を聞きたいとするのは私だけではないだろう。

  福島県の南相馬市議会が「集団的自衛権行使の閣議決定」に反対する決議を行っている。それは「あの混乱時、現地において救助活動に専念した自衛隊の姿を見ている。そしてこの若き自衛隊員を戦地で殺してはならない」という想いが全会一致の決議になった。

  その自衛隊も、一時は「高線量という『敵』を前にして撤退」をしたのである。その記録をも報告したい。