1人お参りをする老婆のつぶやき、そして背には晩秋の陽がさしていた

2015-05-03 16:53:18 | 日記

 1人お参りをする老婆のつぶやき、

    そして背には晩秋の陽がさしていた。

 

  最近、よく目にするものに「墓じまい」・「墓の引っ越し」・「改葬」という記事がある。78歳を迎えた私も60代の頃は、死後の後始末の一つである「焼骨」の扱いを海にでも撒いてくれということを子どもに述べていた。当時の「流行り」もあってか、「言い恰好」の散骨話であった。しかし、60代を経て70代になったあの夜亡き母の夢を見た。それは吹雪の道を母親の角巻きの中にすっぽりと入り歩いていた姿である。それは確かに記憶がある。戦後、夫を亡くした母は3人の子を抱え、実家に無心に行った帰り道である。あの時の母の顔には期待した物を得ることのできなかった寂しい面差しがあった。でも私にとっては、そこに母の体温の暖かさがあった。そして朝食後の私は、コンビニでワンカップと花を買ってお墓に向かっていた。

  私の子どもも60を過ぎ70歳を迎えたある日、ふと親の墓参りを思い立ったとしても、父のお骨は撒いてしまってない。もちろんお墓もないということはどうしたものであろうかと考えたのが「合葬式墓」の実現であった。以来8年にわたり、紹介議員を通し、あるいは市内の高齢者団体へ呼びかける等、その建設の実現に向けた運動を行ってきた。そして2015年3月末に完成した。

  少子高齢化の時代である。子どもは生家を離れ遠距離居住という実態が普通になっている。海外居住や国際結婚も決して珍しくはない。そういった中で、もはや「墓の管理」は不可能になっていく事実は今後さらに拡大していくだろう。そこに「墓じまい」・「墓の引っ越し」が現実になっていることを誰もが痛感しているはずである。

  私の町は人口35万人。平成27年度の高齢化率23.1%。戦後のベビーブームに生れた者が後期高齢者に突入する2025年度は28.5%と推定している。いわゆる典型的な地方中堅都市の姿である。

  行政との協議の中で供用の範囲は緩やかにすること。個別埋葬(20年間の管理と生前申込み)と直葬(焼骨を直接合葬施設に埋葬する)を受付すること。個別埋葬料は一体10万円以下とする事などを中心に話し合いを行ってきた。そして4月1日に申込受付が開始された。行政の担当課長が述べていた。「私どもの認識に誤りがあった。すでに400体の申し込みがあった」と。申し込み開始後僅か半月余りの中での感想である。さらに「申し込みがあった場合、それはダメ、あなたは対象外という回答はしないよう心掛けたい」と。

  またここに、地方紙の「声欄」に投稿した原発被災者の声がある。「自宅は富岡町、戻れません。家の屋根は壊れ、雨漏りで畳は腐りキノコが生えている。ネズミ・蛇・そしてイノシシ。私は80歳、戻れる状態にはありません。故郷の墓は流され、親友の骨は納骨するところがない状態です。早晩私もそうなるでしょう。共同墓地の建設を進めて欲しい」。ご本人、そして家族の意思もあるでしょうが戸籍を移し、避難地の市民となって安住の地を求めることを勧めたいと思う。そうすることにより多分心が和らぐはずである。

  そして私が見学に行った千葉県市川市の霊園で目にした一人の老婆の姿を記した文章を掲載したい。「市川市の墓地を訪問した時である。一人の老婆が正面の祭壇で花を手向け、焼香し手を合わせていた。多分長年連れ添った夫の遺骨が奥の納骨壇に納まっているのだろう。そして、その骨壺の隣には一人分の空間がある。老婆は『そのうちに行きますからね』とつぶやいていたであろう。来たい時にいつでも訪れ、しばしのお喋りができる。そこに、これからの墓参の姿を見たように思った。その老婆の背には暖かい晩秋の陽がさしていた。そこに静かな時間が流れていた」

 

    本年完成した、東山霊園合葬墓の全景「地下1階は個別埋葬ロッカー・地下2階は合葬スペース」