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子曰く
「教え有りて類なし」
衛霊公十五―39
安岡定子先生
人は良い教育、よい先生によって
立派な人になります。
生まれつき差があるわけではありません。
この言葉は教育の力の大きさを述べたところ
この「教」という漢字
「」
白川静先生
爻(こう)と子と攴(ぼく)とを組み合わせた形
爻は屋根に千木(ちぎ)<交叉した木>のある建物の
形で、校舎をいう。
子はそこに学ぶ子弟。
爻と子は学(まなぶ)のもとの漢字。
爻に攴(鞭)を加えて、学者で学ぶ子弟を
長老たちが鞭で打って励ますこと、鞭撻することを
示し、は「「おしえる」意味となる。
「教・教」という字は
長老たちが鞭を打って励まし、鞭撻することだそうだ。
教えには「よい先生」が“鞭”を打って
教わることが大切なんじゃ~
フレンドリーな先生と生徒の関係では
「・」は実現されない。
教える側も教わる側も
真剣なる「厳しさ」の中で
「教・教」が成り立つのだと思う。
よき先生もよき生徒も
真剣さが大切であり
それが分かれ目になるのだと思う~~
パッションのぶつかり合いがいいねえ~