細沼園のお茶飲み話

お茶の時間のひとときに、思いつくまま書きました。

葦舟、飛んだ   津島佑子

2011-08-18 17:43:33 | 読書メモ た行

《内容》

夏のある日。道子がスズメバチに刺されて亡くなった。その死をきっかけに、幼なじみの雪彦、達夫、笑子、昭子、理恵は、約五十年ぶりにつき合いを再開する。ともに小学校時代の謎を探ろうと、「報告ごっこ」をするうちに、戦争時代の暗い影が浮かび上がる。あの優しかったヒロシくんはどこから来てどこに行ってしまったのか。道子がその存在を秘密にしていたロシア人、サーシャ氏の正体は?大連、シベリア、ニューヨーク。物語は国境を越え、時を越え、人類の闇に放たれる。そして最後に見えるものは…。     (紹介文より)

 

―――極限状態の人間には、今この瞬間しか存在しなくなり、したがって、記憶という能力も消え失せる、と以前、政治犯としてシベリアに流刑になった人が書いた文章を読んだことがあります。飢えで死にそうになると、すべての感覚、自尊心とか敵意すらも、目の前の食べ物に吸い込まれてしまうと。

―――そっと、なんの痕跡も残さず、できれば一筋の風になって、この路地を通り過ぎたい、そんな気持ちに誘われる。

―――「悲惨」とは、外側から見れば、醜いものです。そして醜いものを、人間は本能的におそれます。大連の子どもたちも、公園で、学校で、広場で、難民を見かけるたび、そのおそれに包まれていました。

―――犬だって、人間だって同じ。死とは、二度とその眼を開くことがないということ。耳の先まで冷たくなること。命があるときには知らなかった絶対的な静けさにつつまれること。

―――矛盾きわまる罪深いこの世界に生まれることができなかったにしても、いつかきっと、より良きべつの世界に生まれ、その世界の美しさ。かぐわしさを心ゆくまで楽しんでくださいますよう。   そして苦に充ちたこの闇の世をお忘れくださいますように。


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