ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

飽き性とは?

2011-08-13 | 雑念
今日の話の中で、「『飽き』は才能だ」という言葉を聴いた。

糸井重里氏の言葉だそうだ。

言葉は違えど同じ様な事をブログに書き綴ってきた。無理矢理「飽き性」を正当化してきた。

それはネガティブな感覚を拭えなかったからだ。自分自身のコンプレックスが飽き性だったからだ。

何で一つの事が長く続かないのか?

「有名に成りたいなら、一つの事をやり続ける事だよ!」と言う人もいる。

実際鹿児島にいる。

そしてその言葉に影響を受ける若者もいる。しかしその「いちず」な言葉を聞いた時に不思議な違和感を感じたのだ。

その時の違和感の理由は今日の言葉にあったのだ。私は「一つの事をコツコツと。」に価値観を見出していない。

そんな自分に引け目を感じていたのも事実。やはり社会的には「一つの事を」が価値観が高い様にされている。

「三日坊主」や「優柔不断」、「飽き性」などマイナスの言葉として使う事が多い。

そして言われた人は少なくとも強烈なマゾな人以外は悪口を言われて不快に感じるだろう。

私は実際1年以上定職についた事は稀である。そして子供の頃から今まで興味が続いているものも皆無である。

所謂世間一般から見ればそんなフウテンの私は「心配される側」なのだ。

しかし糸井氏の言葉を借りるなら、「『飽き性』という才能溢れる男」となる。

パラダイムシフト!

思い込みの破壊!

ローリングストーン!

ロッケンロール!

一度きりの人生です。自分が「いいね」と思った方向に起動修正できる自分でありたいものです。

時に「安定」や「常識」、「しがらみ」など「自分以外の何か」の為に舵を動かせない自分がいるでしょう。

そんな時「飽き性は才能だ」を思い出しましょう。

この才能は誰もが使いこなせるわけではありません。恐らく親になったら我が子の飽き性を叱りつけて修正するから。

しかし心の奥底で眠っていた「飽きゴコロ」をフツフツと再燃させてイノベーションを起こすのだ。

本当に私は飽きゴコロの達人だ。

でもこのブログはまあまあ続いてるよね。

そう考えると「子ども」って「飽き性」の塊だね。面白くなかったら素直に授業を聞かなくなる。集中力が続かない。

自分の中からエネルギーが溢れるから自分以外の動きが「ゆっくり」に見えるんですよ、多分。

細胞分裂の激しさはいつも新しいものへと生まれ変わらせる。

「飽き性」とは劇的な脳内活性の状態の事を言うのだ。

それを「子育て」と称して「脳を固まらせる」のか?いやしない。

興味が湧いたら、他人がつべこべ言わなくても集中するのさ。

だって、面白いんだから!