ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

朝から何を言っているのだろう?

2019-07-20 | 雑念
教育者の相対性理論

僕は体験学習は指導者をも超越する学びや気づきや閃きを経験できると信じている。

そして僕が初めて触れたPA(プロジェクトアドベンチャー)の世界は人間関係を通して個人の成長を楽しく促すことができる未来の教育だと信じた。

誰かと比べなければいけない「暗記力大会」の様な日本の教育に嫌悪感を感じていた僕にとってはかなりのインパクトを与えたのだった。

そんな中、15年以上そんな世界に触れていると様々な指導者と出会った。僕が初めて触れたPAの世界が如何に特殊で世界の一部だったことを知っていった。

色んな事を思う。

今、気になるのは何やかんや言いながらやっぱり体験学習だろうが学校で教える強化だろうが、誰かと比べて評価したりゴールを明確にして教え込む様な指導者は少なからずいるという事。

結局、学校の先生じゃん!

それを最近は「体験学習指導者の相対性理論」と呼ぶことにしている。

僕はやっぱり教員の免許をとらなくて良かったと思う。僕でもやっぱりその称号(?)を得てしまうと、ゴールを明確に決めて教えるというスタイルは崩せなくなる。

そんな指導法はとりたくない。

それは学校の先生に任せる。

確かに無知は世界が狭いのかもしれない。

ただ世界を広げるのは自分自身で広げていきたいと考えている。

だから公園を作る。

遊び場を確保してあげたいのだ。

しつけや学問は僕のテリトリー外だ。

そうなると誰かと比べる評価や、ゴールを決めて足りない所を補う様な手助けはしたくない。

意図も極力無くしたい。

もう挙げ句の果てにはポーッとしていたい。

「あの人何もしてないのに、参加者が勝手に成長している」

コレが究極の僕の理想。

しかしこれでは仕事は無くなってしまう。
ただの浮浪者を勝手に崇めているような感じになってしまう。

だからやっぱり自分の好奇心に忠実に生きて輝いていたい。

光の速さで遊び続けていたいのだ。



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