退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#1160: アメリカ中西部、まだ雪です。

2019-02-17 08:14:22 | アメリカ便り
途絶え途絶えのブログとなっていますが、堪えてください。
あきらめて、私のブログから去っていかないでください。
仕事が忙しいのです。

今日はなんもないので、お掃除と買い出しです。
孝行息子と7年間一緒に暮らしているガールフレンドが、毎週食事に来てくれるので。
"親のところでは日本食に決まっているでしょ”と言われ、せっせと豊かではない食材を工夫して頑張っております。

私がアメリカに住み始めたのは1977年。
札幌から回り一面トウモロコシ畑の大学の寮に住み始めました。
最初3か月は寮でしたが、あまりの環境の悪さにアパートを探し移り、自炊を始めました。
この環境の悪さって、主に食事と周りの大学1年生たち。
23歳で、青春謳歌真っ最中のアメリカの18才と一緒に住むのはつらかった。
食事は珍しさも手伝って、良かったのは最初の1週間ぐらい。
てんこ盛り、くどい、油ギトギトと、日本の繊細(?)な味覚を持った私には"やめてくれ!”でした。
最初の1週間で2,3キロは太ったんでは。

アパートに移って困ったことは食材です。
当時のスーパーには、今では普通にみられる豆腐もなかった。
勿論コメも今のカリフォルニア米なんて見もしない。
全部、ロンググレインと言う、長さが日本のコメの倍はあろうかと言う長い、ぱさぱさのコメ。
それでも米を食べたさにそれを買い、醤油も中国製の真っ黒いもの。
それでもアメリカのぱさぱさコメ、中国の真っ黒醤油、そして卵で、アメリカに来て初めて食べた生卵かけご飯はおいしかった。

今は、欲を言わなければそれほど、日本食材に困ることは無くなりました。
欲を言わなければですよ。
キノコ好きの私には、中国製韓国製のキノコを、さも日本製のように日本語表示されているキノコ、絶対騙されません。

毎朝起きたら、yahooで日本のニュースを見るのですが。この2,3日拉致被害者の田中さんのことが書かれています。
しかし今朝のニュースでは、"拉致被害者が戻って来るなら、北朝鮮との国交正常化には反対しない”と拉致被害者家族の会が発表したと書かれていました。
拉致被害者と国交正常化。
これは拉致被害者の会、飛躍しすぎの意見です。

国交がないのは"拉致被害者問題だけのせいではない”と言うことがわかっていない。
そのような発表をする前に、どうして国交が正常でないのか考えるべきでした。
拉致被害者、その家族に起きたことは人道的に絶対に起きるべきではないし、それを経験しているご家族、本人には言葉もないです。

でも、拉致問題が解決したから国交正常化なんて浅はかなこと言ってはだめです。

ハブグレジュンタのマミー








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