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コーヒーはやはり美味い

2007-04-25 | Weblog
新谷本の忠告を受けて、
コーヒーを飲む量と回数を減らした
しかし、いつも、コーヒーが飲みたい感じ
減らした分、一回のコーヒーの美味しいこと!
健康と嗜好との葛藤に悩む


勉強嫌いを克服する5つのコツ

2007-04-25 | Weblog
06/9/1海保
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400字x12枚=4800字 30文字x160行(23行/1pで7p)
06/9/25 締切
「勉強嫌いを克服する5つのコツ」児童心理 06年9月号
●はじめに
勉強に限らず、嫌いなことはできればやりたくない。やるとしても、できるだけ時間も労力もかけずに済ませてしまいたい。こんな気持ちでやられた物事の質は推して知るべしである。
しかし、世の中には、こんな気持ちで物事をせざるをえない状況もごまんとある。「好きでしている」ことのほうがもしかすると、ずっと少ないかもしれない。だとするなら、「嫌い」なまま物事をよりうまくおこなう方策を考えてみたほうがよいかもしれない。嫌いなものを好きになれ、と言われても、どうにもならないところがあるし、そちらのほうに力を注ぐより、何かをするほうに力を注ぐほうが、生産的である。
こんなスタンスで勉強嫌いを克服するコツを考えてみたい。

●気持ちより使命に訴える
「**は嫌い。だからやらない」という行動方略は、かなり早くから子どもは、身に付けてしまう。**には、歯磨き、入浴のような生活習慣もあるし、学校、人、そして勉強もある。至る所で、気持ち(感情)が行動を決めてしまうのである。
元来、感情には、状況の評価機能があるので、ごく当たり前の方略なのだが、いつでもどこでも何に対しても、この方略を使うとなると、これは、わがまま小僧になってしまう。
そこで、もうひとつの方略を持ち出して、「嫌いーやらない」方略に対抗することになる。
その定番が、使命である。「嫌いでも、やらなければならない」方略である。
「勉強は大事。やらなければならないこと」という使命(意義)、もまた、子どももかなり早くから知っている。多分、保育園に入る頃から、「お勉強」の使命は肌で感じ取っているはずである。
勉強の使命の内容は、その時々で変わるが、大きなところで言うなら、幼稚園児あたりでは保護者を喜ばすため(?)、小学生高学年あたりになると知ることの大切さ、中高生になると受験、大学生になると社会人としての教養といったところであろうか。
使命をどれほど強く意識させることができるかが、「嫌いーやらない」方略を克服するコツになる。
ここでは、子どもと大人がもろに対決することになる。勉強について、大人がどのような使命観を持っているかが、まず問われる。「勉強なんてーー」というようなネガティブな使命観を持っている大人の元では、「嫌いーやらない」方略はとても克服できない。中高生あたりになって自律的に子どもが使命観を持てるようになるまで待つしかない。
もうひとつ大事なことは、大人の持つ使命観をどう子どもに伝えるかである。口でうるさく言うことが一番であるが、やはりみずからがモデルになることであろう。本がたくさんあちこちにあって、
勉強している姿を見せるのが一番である。

●勉強との接触頻度を増やす
やや唐突の感があるが、ザイアンス(Zajonc,1968)の単純呈示効果の話から。
この効果は、アメリカ人にただ何度も見せるだけで、見せた回数と漢字の「良さ」の主観的な判断とが単調増加の関係を見せるというものである。
ややびっくりするような効果ではあるが、そう言われてみれば、そういうこともありそう、と納得がいくところもある。たとえば、人との親しさは、接触回数とともに増加するが、同時に、その人への感情も次第にポジティブなものになっていくのは、体験的にも経験している。「頻繁な顔見せ」は、営業活動の鉄則なのもうなずける。
さて、勉強であるが、やや強引にこの単純呈示効果を敷衍してみると、ともかく、勉強と触れる機会を増やせば、嫌いからせめてニュートラルに、あわよくば好きに変えることができるのではないだろうか。
 勉強というとただちに、何をどのようにどれくらい、となりがちだが、ここでは、それらはさておくとして、ともかく勉強との接触機会を増やすのである。本を読む。それも、長時間、姿勢を正して机にかじり付いて、というのではなく、寝ころんで読んでもよい。TVを横目で見ながらでもよい。ともかく、勉強に接触する機会を増やすのである。
決まった時間になったら、机に座る。教科書を拡げて読む。それができれば申し分ない。ただ、集中して1時間、などと欲張らないで、そうした時間を一日のうちであちこちに設けるようにするのがコツ。10分間読書タイムや100桝計算の効用も、こんなところにもあるかもしれない。

●習慣にする
嫌いでもやらなければならないことは、習慣にしてしまう方略(習慣化方略)は、大げさな言い方になるが、人類の知恵のようなものである。習慣にしてしまえば、その時その状況に置かれれば、なんの努力感もなく、自然にそのことができる。
やることなすことすべてを意識的な努力の管理下に置くのは、とてもではないができない。試しに、今自分がやっていることすべてを言葉に出しながらやってみてほしい(意識化)。たちまち、その量の凄さにびっくり仰天してしまうはずである。さらに、それによって、やることの速度が極端に落ちてしまうこともわかるはずである。習慣的な行為は、自動化され無意識化されてしまうからこそ、それほどもの凄いことができるのである。
嫌いな勉強を習慣化するコツのいくつか。
1)時間を決める
肥満になるのは、空腹を感じて食事をするのではなく、食事の時間になったので食べるから、という事実がある。これと同じで(?)、勉勉したくなったから勉強するのではなく、勉強時間になったから勉強するのである。それは好き嫌いには関係ない。
よくよく考えてみると、学校での勉強は、まさにそれである。勉強の時間になったから勉強するのである。それを家庭でも実行するのである。
勉強スケジュールの立て方に、時間決めと分量決めというのがある。前者は、何時か何時まで国語を、という立て方、後者は、どこからどこまでやる、という立て方。言うまでもなく、ここでは、時間決めを勧めることになる。
2)つらい勉強ほど習慣にしてしまう
これはかなり高度な習慣化方略である。不得意科目や嫌いな科目は毎日7時からとか、有無を言わせずまずやるとかというものである。
オペラント条件づけの図式を使った行動形成技法では、目標に一番遠くてかつ容易な行動から一つずつ逐次的に行動を形成していく方式(シェイピング)を勧める。登校拒否児などの治療には、効果があるかもしれないが、勉強の習慣形成には、まだるっこい。一気に目標行動を習慣化してしまうほうが手っ取り早い。それほどの面倒なテクニックも不要である。
3)周囲が助ける
習慣は自分のものになる。そのことを自覚して、1)、2)をみずから実行できるのは大人、それも自己コントロールができる大人である。
習慣形成の初期段階では、周囲の支援が不可欠である。時間になったら、そのことを告知してやる。よくできたら、ほめてやる。あるいは、みずからが一緒になって実践してみせる。こうした周囲からの習慣形成の支援は、子どもほど必要である。

●言い訳をしてみる
「勉強は嫌い、だからやらない」は実にわかりやすい理屈である。だから保育園児でも実行する。しかし、ピアジェの言う形式的操作期に入る小学校も高学年になってくると、あれこれと理屈がこね回せるようになってくる。そこで、「勉強は嫌い、だからやらない」という理屈をあれこれと論理的に吟味させてみるのである。
この提案は、法務省が少年犯罪者の矯正に使う方針を打ち出した今、ちょっとしたブームのようになっている論理行動療法の理論を意識したものである。
論理行動療法のポイントは、みずからの考えや信念の中にある不合理なもの、そして、それが犯罪に走らせたものを見つ出して、カウンセラーとともに、その考えの不合理さを自覚させるところにある。
「勉強嫌い、だからやらない」も長らくそういうふうに考えてくると、一つの信念のようなものになってしまう。それが不合理であることは、子どもが論理的な思考ができるようになり、勉強の使命(意義)がわかるようになってくると、次第にみずからわかるようになってくる。その時期をねらって、なぜなぜ門答をさせるのである。みずからやるように促してもよいし、仲間どうしでやりあってもよい。正解はない。それだけにいくらでも続けることができる。そうした中から、「勉強嫌い、だからやらない」方略のおかしさ、むなしさを自得すれば、おのずと、新たな方略を生み出すはずである。

●嫌いなことをやる方略を教える
 現実には、嫌いなことでもやらなければ、ならないことがあることがわってくる。それをうまく片づける方略をあれこれと教えるのである。
嫌いなことを長時間だらだらとやっていれば、というよりやらされていれば、ストレスになる。勉強どころではなくなってくる。
たとえば、締切効果の活用。あと残りは一日、というところまでほっておく。次第にやらなけければというエネルギーが溜まってくる。それをぎりぎりのところで一気に発揮する。ストレスも短時間の良性ストレスなので心配ない。そんな方略も、使えるようにしておくとよい。
あるいは、前述したような時間決め方略もある。友達と一緒方略もある。
●おわりに
 「好きこそものの上手なれ」に越したことはないが、そんな人でも、最初は嫌いだったとか、時にはいやでいやでしかたがなかったとかいうこともあったはずである。
好き嫌いを固定的に考えるのはまずい。感情は時々刻々変わるし、あるいは時間がたつうちに消失してしまうこともある。また、なにかのちょっとしたきっかけで好き嫌いがひっくり返ることもある。
となると、好き嫌いにあまりこだわる指導は不要かもしれない。

引用・参考文献
Zajonc,R.B. 1968 Attitudinal effects of mere exposure. Jounal of Personality & Social Psychology, Monograph Supplement,9
海保博之 2004 「学習力トレーニング」岩波ジュニア新書


沈黙の螺旋階段 説得への抵抗 用語解説

2007-04-25 | Weblog
「現代用語の基礎知識」

沈黙の螺旋階段(spiral of silence)
意見の対立する社会的な問題があったとき、一般に、多数意見のほうがおおっぴらに意見を公言しやすい。すると、それに影響されて多数派はますます増えて勢いづき、逆に少数派はますます減って沈黙しがちとなる。


説得への抵抗(resistance to persuasion)
榊博文によると、説得への抵抗の高い人(説得されにくい人)とは、自分に自信のある人、不安傾向の低い人、攻撃性の高い人、そして女性より男性である。しかし、説得の仕方や状況によってあっさりと説得されてしまうことも、逆に、説得とは反対の方向に変わってしまうブーメラン効果も知られており、説得も一筋縄ではいかない。


*****知の世界*******
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1)
中断効果(Zeigarnik effect)
ドラマなどで最高に盛り上がってきたところで、CMを入れたり、次回のお楽しみという仕掛けがよく使われる。これは、途中であえて何かを中断することによって、中断後まで緊張や記憶を持続しておくためである。この現象を発見したツアイガルニックにちなんだ名称が冠されて、心理学ではよく知られている。
過剰に使われると緊張が解けないためストレスが増すが、仕事の連続性を確保したいようなときには有効である。


大学で教える

2007-04-25 | 認知心理学
「認知と学習の心理学」培風館

05/7/5海保博之

7章 大学で教える

7.1 大学でおしえて40年
 大学に助手として就職してこれまで40年、2つの国立大学と1つの私立大学で教えてきた。
最初の頃は、もっぱら心理統計や研究法が中心であった。筑波大学に移ってからは、教職の教育心理学から始まって、認知心理学の講義をしたり、演習をしたりした。
一番しんどいは、講義である。こちらがしゃべり続けなければ授業が成り立たない。したがって、しゃべる内容をあらかじめ用意しなければならない。これがしんどい。
教職のように、採用試験があるのである程度までは内容限定にならざるをえない授業は、3年くらいすると、話す内容もほぼ安定してくるので、あまり苦労しない。
ところが、自分の研究と直結している講義だと、どうしても欲が出て、新しいことを入れたくなったり、新しいテーマで話したくなる。これが楽しくもしんどい1年を用意することになる。
講義でもう一つしんどいのは、人数の圧力である。
30人くらいまでだと、親密さを演出できる。学生と対話するような感じでの講義ができる。これが、50人を越えだすと不特定多数の奇妙な雰囲気が教室全体支配するようになってくる。学生に語りかけても無言、冗談を言っても無反応、試験情報だけは目を輝かせて聞くのである。私語こそないものの、これは講義する者にとってしんどい。
受講生が50人を越えると物理的なしんどさも格段に違う。出欠管理一つにしても、ちょっとしたミスが混乱を引き起こしてしまうことがある。たとえば、、署名式の名簿を回覧するルートがいつもと違ってしまったりすると、講義終了後にどっと学生が押し寄せてきてしまう。