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「やさしく、わかりやすく、簡潔に表現する」

2007-04-21 | わかりやすい表現
02/4/20海保 「ナーシングトウデイ 」2002年7月号
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30文字/1行
6800文字=30文字 227行   
4月25日締切り

  「やさしく、わかりやすく、簡潔に表現する」
     東京成徳大学人文学部 海保博之

はじめに
 看護の現場では、ねらいによって、表現を次の3つ形態に分けることができる。
 一つは、癒しを目的とした表現である。もっぱら、患者を慰めたり、元気づけたりすることをねらった表現である。
 2つは、説明を目的とした表現である。看護行為のねらいを教えたり、自分の思いをわかってもらうための表現である。
 3つは、指示を目的とした表現である。相手に自分の指示した通りに何かをしてほしいときの表現である。
 本稿では、それぞれの表現形態別に、その表現効果を高めるために考えるべき基本的な問題やコツを提示し、特集の総論とする。

第1 癒し系の表現はやさしさがポイント
***
患者「お見舞い客が多くて嫌になっちゃうわ」
看護師「そんな贅沢を言ってはだめよ。誰も来てくれない患者さん    もいるのよ」(悪)
***
●やさしくする
 「やさしさ(優しさ)」にはいろいろの意味があるが、ここでは、「情深い、情がこまやか」(広辞苑)の意味である。
 心理学的に、やさしさにもっとも近い概念としては、「共感性」
がある。相手の気持ちをどれほど思いやれるか、それを自分のものとして感ずることができるかである。
「癒し系の表現はやさしさがポイント」とは言うものの、やさしさは性格特性の一つでもあるので、単なる表現の問題だけでは片づかないところがある。
 しかし、仕事の現場では、やさしくない性格の人でも、やさしさの表現ができなければいけないこともある。また、もったいないことではあるが、性格的にはやさしい人でも、それをうまく表現に表せないということもある。
 いずれも、やさしさを職業上の一つの表現技術として身につけて損はない。そのコツは、カウンセリング技術の中にある。

●表現させるだけで癒しになる
 カウンセリングでは、もっぱら患者とカウンセラーとの言葉のやりとりを通して、患者の心の悩みを解消することをねらう。
 流派やカウンセリングの段階に応じてさまざまな技法が使われるが、いずれにおいても、患者の悩みをいかに引き出す(表現させる)かが大事とされている。それがなぜ癒しになるのか。
 一つには、人は話すこと/話を聞いてもらえることで心すっきりということがあるからである。話すことのカタルシス効果である。
 もう一つは、悩みを、言葉という客観的で感情的には中性的なシンボルで表現することで、悩みを自覚できるようになるからである。患者の悩みは、自分自身で悩みの本体がわからない不安から発していることが多い。悩みの本体が自覚できれば、その不安から逃れられるし、自分なりの対処もできる。

●耳を傾ける
 患者から悩みを引き出す技術として、傾聴がある。
 傾聴とは、相手の言うことに耳を傾けることである。これなら誰にもできそう。しかし、相手の前に座って、「さー。あなたの悩みを話してください。いくらでも聞きますから」では、うまくいかない。傾聴にもそれなりの技術がある。
 まずは、やさしさ/共感性をどう表現するかである。
 ここは、もっぱら、非言語的な表現に頼ることになる。からだ全体で、あるいは顔の表情や視線で、相手を受容することを表現する。
 その上で、相手の話を反復、確認、要約してやる。話すことを促したり、安直な感想や解釈や結論を出さない。ましてや、こうしたらどう、といった指示は、少なくとも初期の段階では厳禁。
*******
患者「お見舞い客が多くて嫌になっちゃうわ」
看護師「お見舞いが多くて嫌になるわけね*下線部が確認*」(良)
*******

第2 説明系の表現はわかりやすさがポイント
***
患者への説明
「内固定とは、金属プレーとやスクリューを使って手術的に固定することです」(悪)
***
●わかりやすくする
 専門を同じくする人々の間では、説明する側と説明を受け取る側との間に、知識ギャップがないので、説明のわかりやすさは問題とはならない。そこでは、説明する情報の充足性と正確性とが第一義的に大事となる。
 わかりやすさが問題となるのは、看護師と患者の間のように、はなはだしい知識ギャップがある場合である。もっとも最近、日本では、患者側の知識水準はどんどん上がってきてはいるが。
 説明をわかりやすくするには、この知識ギャップをいかに克服するかが問題となる。

●相手の知識の世界に歩み寄る
 説明をわかりやすくするには、まずは、説明しようとする内容について相手がどれほどの知識を持っているかの見当をつけることが必要となる。
 これは、癒し系の表現のところで述べた共感性と根は同じ、ただし、「知的な」面ということで、知的共感性と呼んでおく。
 相手が目の前にいるなら、知っているかどうかを確認しながら説明すればよい。その心がけが、知的共感性を反映している。
 関連して、筆者の個人的な体験を一つ。医師の説明でわからない言葉が出てきたので、「”けいつい”ってなんですか?」と質問したら、「黙って終わりまで聞いてからにしてください」と言われてしまった。
 質問にもマナーがあることは承知しているが、この一言で、医師の説明は一気に専門的な権威の世界に閉じ込められてしまい、わかろうとする意欲も失せてしまった。
 さて、知的共感性の発揮に加えて、さらに、説明をわかりやすくするための具体的な工夫を3つ。

●用語の解説をする
 医学のように専門性の高い分野では専門用語が頻出する。これが説明をわかりにくくする。「病院で聞くことば辞典」なる本まで出版されている。
 説明をわかりにくくする用語にも次の3種類がある。
1)身体や機器などの部分の具体名称
2)病気名や機器の機能などの抽象用語
3)仲間内だけで使わわれる、いわゆる業界用語
 使わなくて済むのは、3)の業界用語だけで、あとはどうしても使わざるをえない。
 ただし、業界用語も使いなれてしまうと、業界外の人にもついうっかり使ってしまうことがあるので、充分な注意が必要ではある。
 本誌の「愛すべきギョーカイ用語」欄を参照されたい。たまたま今回3月号を読ませていただいたが、「全人的医療」という用語をめぐっての業界内外の理解ギャップを見事に物語に仕立てあげて解説してあるので、じっくりとお読みいただきたい。
 1)の具体名称は、その部分を絵で見せて示すことになる。
 面倒なのは、2)の抽象用語である。どうしても、解説が必要となる。
 冒頭の例に挙げた説明は、本誌「楽しく読んじゃう医学・看護辞典」欄の1節である。全体の解説は見事であるが、これは、関連する知識を共有する人(看護師)への解説。素人への解説となると、これではまだ不十分である。次のような工夫が必要となる。長くなるがしかたない。
○日常用語---その多くはやまと言葉になるが---への徹底した言 い換え
○ビジュアル化する
○他の関連する用語との関係を示す
○相手のなじみのある具体例で示す
○相手のよく知っている世界にたとえる
*******
患者への説明
「内固定とは、骨を折ったときに*日常ことば*行なう治療の一つです*全体-部分関係*。木など*日常ことば*で外から固定するのが外固定、手術をして内部で金属などで固定するのを内固定と言います*対比関係*。絵を見てください*ビジュアル化*。」(良)
*******

●メリハリをつける
 電話番号を、「0298534613」と表現されたらどうであろうか。あるいは、「カネオクレタノム」と書かれたら途方に暮れてしまうであろう(区切り方で3通りの意味がある)。
 同じ情報でも、内容の意味的なまとまりごとに区別して「見せてやる」と、相手の情報の処理効率が高まり、わかりやすくなる。
 さらに、大事なものとそうでないものが「見てわかる」ようにしてやると、平板に表現するよりも、わかりやすくなる。
 このように、表現する内容を区別化し階層化してやるのが、メリハリ表現である。
 本誌のどの記事にも、小見出しがいくつか入っている。もし、これがなかったらどうであろうか。
 メリハリのない平板な表現は、相手にすべての情報を等しく処理させることになる。結果として、頭の中が情報で一杯になってしまい、何が何やらわけがわからないということになりがちである。
 相手を目の前にして話すときのメリハリ表現は、声の抑揚やジュスチャーに自然にできるものと、「一つは***、2つは***、」というような区切り表現を意図的に使ったり、ビジュアル表現と併用したりすることで、より効果的なメリハリ表現が可能となる。

●概要、全体、意図を先に
 表現をわかりやすくする3つ目の工夫がこれである。
 表現がわかりにくくなるのは、相手が持っている知識との関連づけができないからである。
 「これから表現することは、こんなことです」ということを先に提示することで、関連する知識をあらかじめ用意して(活性化して)もらい、それに関連づけてもらう。
 筆者が講演などでよくやる小実習を一つ。
 「大文字のTを逆さまに描いて、その上に三角を描いてください」
 ほぼ8割の人が、木のような絵( )を描くが、2割の人は、別の絵を描く。実は全員にグラスのような絵( )を描いてもらいたかったのだが、と言い、そのためにはどうしたらよいかを考えてもらう。
 一つは、もっと詳しく説明するべきという意見が出る。
 もう一つが、「グラスのような絵を描く」ことを先に言うべしという意見も出る。この実習の意図は、後者の意見を引き出すことである。
 表現の冒頭に、表現内容の概要や全体像、さらには、表現意図
を述べる。それによって、相手は頭の準備体操ができる。情報を処理する引き出しを用意できる。
 ここでも、本誌に作り込まれている次のような趣向が、その具体例になっている。
○特集の章扉や記事の冒頭で、概要や意図を述べている
○タイトルや小見出しで、内容の概要がつかめる
○全体イメージを与えるイラストがある
○目次で雑誌全体の記事が概観できる

第3 指示系の表現は簡潔さがポイント
***
表示「ここでは喫煙はできません」(悪)
***
●簡潔にする
 人に何かを指示しようとするときは、そのエッセンスを簡潔に表現することが何より大事となる。
 ところが、簡潔な表現は、情報を充分に伝えられない恐れがある。そこでつい表現がくどくなる。くどくなれば、何をすべきが見えなくなり、指示の効果が低下してしまう。
 かくして、簡潔さの中に、どのようなエッセンスをどのように作り込むが勝負どころとなる。
 
●指示のエッセンスは2W1H
 人に指示をするときの表現のエッセンスは、何を(what)なぜ(why)どうやって(how)の2W1Hである。
 ・危ないです(what)。車が来ます(why)。左に寄ってくだ  さ い(how)。
 ・注射をします(what)。痛みを止めるためです(why)。  腕を出してください(how)。
 いつも2W1Hが必要というわけではない。自明なもの---その多くはwhyであるが---は省略してさらに簡潔な表現にすることがあってよい。
*******
表示「禁煙*what*。タバコは待合室脇の喫煙所で*how*。タバコの煙は人の健康の害になります*why*。」(良)
******* 
●指示の仕方にも工夫を
 一度にたくさんのことを指示しても、忘れられてしまったり、エラーをさせることになる。1回の指示では一つだけに限定する。
 さらに、なんのためにそれをするか(趣意説明)も簡潔に言う。これによって、自分のすることがその趣意に合っているかをチェックしながら仕事をしてもらえる。

おわりに
 表現技能は、看護の専門技能に付加価値を付けるものである。同じ技術を持っていても、表現技術が貧弱であれば、周囲の評価は低くなってしまう。
 表現技術は、ちょっとした心がけと日常的な実践によって上達する。本特集を、そのきっかけにしていただければ幸いである。

参考図書
東山紘久 2000 「プロカウンセラーの聞く技術」 創元社
海保博之編著 1996 「説明と説得のためのプレゼンテーショ  ン」  共立出版
海保博之 1992 「文書・図表・イラスト 一目でわかる表現の 心理技法」共立出版
  
****本文、4行 オーバー 231行***

ヒューマンエラーを事故につなげないために

2007-04-21 | Weblog
「海保著「ミスに強くなる」中災防新書

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30字 117行 3500字
01/11/8¥海保
*下線はゴシックで
*「連載にあたり」はポイントを小さく

リレー連載;
ヒューマンエラーを事故につなげないために
---心理安全工学序説
    筑波大学心理学系 海保博之

●連載にあたり  *****この項は活字を小さく****
 前半の7回の連載では、「心の管理不全」を鍵概念として、心を十全に管理できないために起こるヒューマンエラーに焦点をあてて、それを事故につなげないための方策を提案してみる。題して、心理安全工学序説。海保が一人で執筆する。
 後半の5回は、交通、医療、プラントなど業種別に、事故防止策の数々を心に焦点を当てて紹介していただく。それぞれの現場に詳しい5人の方々のリレー連載となる。

 前半7回の概要は次の通りである。
●第1回 心の管理不全と心理安全工学
 我々は自分で自分の頭の働きを知るメタ認知機能を持っている。そのおかげで、自分で自分の頭の働きを知り行動をコントロールできる。ただし、いつもそれが完璧に機能しているわけではない。その隙をつくかのようにして、事故が起こる。心の管理不全を、メタ認知機能の自己管理不全、およびメタ認知機能の外部管理不全との関係で考えてみる。
●第2回 知覚管理不全と心理安全工学 
 物を見たり聞いたりといった知覚機能はほとんど自動的に働いている。それだけに意識的に自己管理するのは難しい。しかし、見落とし、見誤り、といった知覚機能に由来する事故は少なくない。ここでは、人の知覚特性に配慮した外部の環境設計が重要となる。
●第3回 記憶管理不全と心理安全工学
 人は膨大な知識を記憶している。その知識の取り込み、記銘、保持、運用の不全がエラー、事故につながることがある。さらに、外からの知識管理の支援も忘れてはならない。頭の内外で知識が適切に管理されていないと、エラー、事故が発生する。
●第4回 思考管理不全と心理安全工学
 人間の最も高次の知的活動である思考には、コンピュータのような厳格で信頼性の高い側面もある一方では、独断、偏見、思い込みなどなど「高次」とはほど遠い側面もある。後者はとりわけ、エラー、事故に深く関係している。高次であるだけに、意識的な自己管理が可能な領域である。
●第5回 注意管理不全と心理安全工学
 注意不足とエラー、事故との関係はよく知られている。しかし、単なる注意の不足だけで事を済ましてしまっては事の本質を見逃すことになる。注意の特性を踏まえた注意管理の方策を、人と外部とを含めて考える必要がある。
●第6回 感情管理不全と心理安全工学 
 感情の管理は個人のプライバシーに踏み込むようなところがあるためか、タブー視されてきた。しかし、感情の不安定は、知的活動に微妙な影響を及ぼし、ひいてはエラー、事故にもつながる。扱いにくい領域ではあるが、エラー、事故防止に限定するなら、自己管理と外部管理の方策を考えることも許される。
●第7回 行為管理不全と心理安全工学
 認知活動は最終的には行為として実現される。しかし、認知と行為の間には微妙なズレがある。そのズレがエラー、事故につながる。
計画ー実行ー評価(PDS)の最適化が必要とされるところである。
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****ここから本文。ポイントを一つ大きく****************
第1回 心の管理不全と心理安全工学

●心を管理する
 我々は自分で自分の心をある程度までは知ることができる。これを、認知についての認知ということで、メタ認知と呼ぶ。あたかも頭の中にもう一人の自分(ホモンクルス;頭の中の小人)がいて頭の中をのぞき込んでいるような図式である。

図 頭の中にもう一人の自分(ホモンクルス)がいる 別添

 心を管理するというとき、まず、このメタ認知機能の働きをきちんとおさえておく必要がある。
 メタ認知は、自分の認知機能を知る機能(自己モニタリング機能)
と、自分の認知機能を調整する機能(自己コントロール機能)とに大きく分かれる。
 自己モニタリング機能としては、次の3つがある。
  ・自分が何を知っていて何を知らないかを知る(知識)
    例 機械の構造は知らないが、どうすれば動かせるかは
      知っている
  ・自分は何ができて何ができないをを知る(能力)
    例 携帯電話をしながらの運転は自分にはできない
  ・自分が今どのように頭を働かせているかを知る(認知活動)
    例 やや集中力がにぶってきている
 自己コントロール機能としては、
  ・どのように頭を働かせればよいかを知る(方略選択)
    例 忘れてしまいそうなのでメモをしておこう
  ・認知活動を最適なものに調整する(調節)
    例 ここは大事なところなので集中しよう
 メタ認知のこうした機能が十全に働いていればエラーも起こりにくくなる。

●心の管理不全とは
 心の自己管理不全というときは、まずは、このメタ認知が十全な働きをしていないということがある。
 メタ認知が十全に働かないのは、一つにはメタ認知力が充分についていないからである。
 たとえば、幼児のメタ認知力は大人より低い。幼児に、「数字を何個くらい覚えられる」と聞くと、10個とか3個とか適当な数を言う。実際に記憶させてみると、4個くらいしか覚えられない。自分の記憶能力についてのメタ認知が充分にできていないからである。
 メタ認知も能力の一つなので、人によって高い低いがある。当然、メタ認知力が低いと、能力以上のことをしようとしてエラーが発生することになりがちである。
 メタ認知が十全に働かないもう一つのケースは、認知活動そのものに注意が集中してしまったり、逆に、心の機能全般が弱体化してしまったりで、メタ認知機能の働く余地がなくなってしまっているような状況のときである。
 たとえば、ゲームに熱中しているようなとき、あるいは、ぼんやりしているようなとき、自分の心をみつめる(内省する)ようなことはしない。当然、熱中しているときは大局を忘れるエラーが、また、ぼんやりしているときはうっかりミスが起こる。
 メタ認知にかかわる、こうした心の自己管理不全は、言うまでもなく本人自身の責任に帰せられる。しかし、そうした状態にさせた外部(組織、上司、仲間、環境など)の責任も問われなければならない。それもまた、人の心への配慮不足という点で、心の管理不全ということになる。

●心の外部管理不全
 「心の外部管理」という言い方は、土足で人の心に入り込むような印象を与えるので、あまり穏当ではないかもしれない。しかし、人の心に配慮した、エラーに強い作業環境の構築の大事さを訴えために、あえて使ってみた。
 心理安全工学の趣旨は、メタ認知はいつも十全に機能するわけではないという前提で、事故防止策を考えることである。
 メタ認知機能の強化策を考えることも一つの重要な柱であるが、それと同じくらい重要な柱として、メタ認知の働きを外部から支援したり、機能不全を事故につなげない外的な仕掛け---具体的には組織的な仕掛けと環境的な仕掛け---を考えることもある。
 この2本の柱が、バランスよく実行されている状況では、ヒューマンエラーが起こっても、それが事故に直結することはない。
 身近な具体例を挙げてみる。
 筆者は、交差点での右折車の指さし確認を実行している。これが、心(注意)の自己管理である。
 さらに、最近あちこちの交差点で見ることができるが、右折車レーンに特殊加工した塗料をはって車が目立つようしてある。これが、心の外部管理の一つである。目立つものには注意が自然に引かれるという注意の特性に配慮した環境設計だからである。

 以下、6回にわたり、こうした2つの観点からエラーを事故に直結させないための心理安全工学の話をしてみる。
 想定する読者としては、安全担当の管理や研修をしている方々である。したがって、「心の自己管理」の話も、作業現場で働く方々のそれをいかに支援するかというような形で展開することになる。




 

我が家のテイッシュペパーの消費量は膨大

2007-04-21 | 心の体験的日記
通販で保湿性のものを段ボールで4箱ずつ買う
花粉症の季節はその消費量が凄い。
季節が終わっても、使う。
家のあちこちに箱が置いてあって
使いまくる

裏紙を使うほどの紙けちが、鼻紙だけは別なのだ。

写真はその段ボール箱

心、からだ、還暦

2007-04-21 | 心の体験的日記
11111222223333344444555556666630文字/1行 70行

03/9/28海保 日本電気協会 「電気協会報」2003年11月号

随想「心、からだ、還暦」<---タイトル

「今在るものを今在るままに保とう、この姿のままでいたいと願うことがしょせん無理なのだという、決してあきらめではなしに、覚悟の上の開きなおりがあれば焦りも苦しみも薄らいでくるに違いない。」(石原慎太郎「老いてこそ人生」幻冬舎文庫、p51より)

●還暦を終えた
 今原稿を書いているのは、9月15日、敬老の日である。
 NHKの番組では、100歳越え元気老人の特集番組が放映されていた。新聞では、65歳以上の高齢者が2431万人で人口比の19%を占めたことを報じている。
 そして、個人的なことで恐縮だが、9月14日には還暦を機会に、研究室のOBや親しい人との宴席を開いてもらった。自分よりもはるかに貫禄のついた56歳の大学教授を筆頭に25歳の女子大学院生までが一同に会しての談論風発で実に楽しいひとときを過ごした。
 というわけで、ここ1週間は、自分の年齢がらみのことへ否応なしに思いがいった。
 
●「心もからだもまだまだ」が危ない
 昨今の日本社会の定年事情を考えると、大学教官である自分の定年63歳はちょっぴり申し訳ない気がする。還暦を過ぎても、今までとまったく同じ生活があと3年は保証されるのだから。
 それはさておくとして、同じ環境が続くからか、自分の心もからだもとりたてて変化がないとの思いはかなり強い。しかし、この思いがあまり強すぎると何かと危ないらしい。
 青年期から高齢後期までの、心とからだのおおまかな発達曲線を描いてみると、図のようになる。


3  心とからだの発達曲線  ***別添


 青年期は、からだの「成長」に心がついていけない。このギャップに耐えられない青年は時折、からだの暴走が起こってしまう。
 筆者のような高齢前期では、青年期とは逆に、からだの「衰え」に心がついていけなくなる。たとえば、自分のここ1年くらいの体験であるが、
 ・跨げると思った柵に足を引っかけてころんでしまった
 ・電車に間に合うと思って階段を駆け上がったらつまずいてしま  った
 ・テニスで取れると思って無理をしたらころんでしまった
 こんな体験が繰り返されることによって、次第にからだの衰えに心が馴染んでくるのであろう。そうなると、高齢期まっただ中ということになる。
●高齢期を生きるための3つの方針
 もう充分にやることはやった、との思いが頭をよぎることがある。しかし、一方では、平均寿命まであと20年、さて何をするか、あるいは、やり残したことはないかとの思いも、ちらほらと頭に浮かぶこともある。
 いずれにしても、還暦のこの時期にタイミングよく、こうした随想を書かせていただいたのを機に、これからの生き方の方針くらいは、きちんとしておきたいと思う。今のところ3つ。
 一つは、がんばらないこと。
 かなりがんばってここまでやってきた。しかし、もはやどれほどがんばってもできることは知れている。「何かを達成して喜ぶ」よりも「達成までのプロセスそのものを楽しむ」くらいの気持ちで仕事をしていきたいものである。
 2つは、公私を問わず自分を必要としてくれる場へは、積極的に出かけていくこと。
 「がんばらないこと」と葛藤を引き起こすようなところもあるが、今はまだ家の中に閉じこもって生き生きと生活していける自信はない。否が応にもいずれは「引退」する時期はくる。それまでは、自分の心身の活力を目一杯維持するために、とりあえずはこの方針に従ってみたい。
 3つは、社会への恩返しの気持ちを持つこと。
 「これくらいの能力でここまでこれたのは、自分の周囲の方々、もっと広くは、社会のおかげ」との気持ちは強くある。しかし、一方では、まだまださまざまな妄執も我執もある。ボランティア活動をするまでにも至ってはいない。しかし、社会への恩返しの気持ちは、周囲の人々、あるいは社会への目をやさしく穏やかにしてくれる。結果として、社会のスタビライザー(安定器)としての役割が果たせればと思う。

写真 東京成徳大学周辺の散歩道
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事故多発道路の安全運転

2007-04-21 | 安全、安心、
大型トラックの後ろを走るのが安全と気が付いた
たまたま今日、大型が自分の車の前に
一生懸命、あとをついていったのだが、
スピードの出ること、出ること。
途中で諦めたが、確かに、
大型のうしろについていくのは、安全、安心。