<日本弥栄の会より転載>
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「偶然」の真理
私には、霊的なものを見たり、聞いたりする能力はまったくありません。
そういう、“妙な力”とは、無縁な人間と思っています。
でも、「なんとなく」感じたり、「ふと」思い浮かんだりすることなら、しょっちゅうあります。
そういうものが一種の霊的感受能力だというのなら、そうかもしれません。
でも、それくらいでしたら、誰にでもあることですよね。
ただ、自分の力や知恵では及ばないような、不思議な偶然が連続して起きると、これは偶然とは呼べないのではないか、必然なのではないかと思う時があります。
7月21日は、赤城の「ひふみ農園」の収穫祭が開催され、30名くらいの方々がお集まりくださいました。
自分たちで育てた作物を収穫し、みんなで味わうというのは、この上もなく楽しいことですね。
いつも収穫祭の時は、本当に皆さん楽しそうで、笑いの絶えない一日となります。
主催者側の私としては、こういう時に第一に気になるのが「天候」です。
とくに7月下旬に開催される夏の収穫祭は、暑すぎても困りますし、大雨が降っても、嵐が来ても困るのです。
先週は関東地方でも梅雨明けとなり、最高気温が36度前後にもなる猛暑日が続いていました。
“こんな炎天下で収穫祭をやるのも大変だ”と気が気ではありません。
ですが、ご存じのように、21日を前にして急に気温が下がり始めました。
これなら熱中症の心配はありませんが、雨マークがどうしても取れません。
当日朝の予報でも「雨」で、さいたま市の自宅を出る時は、かなりの大雨に。
「ひふみ農園」のイベントが雨で中止になったことは一度もないので、今回も心配ないだろうとは思っているのですが、車で関越道を走っている時も雨ですから、やはり心配は心配です。あと2時間後には収穫祭が始まるのです。
上里のサービスエリアに入った時も、まだ傘は手放せませんでした。
しかし、藤岡あたりを過ぎた頃・・・なんと、雨がピタリと止みました。
赤城山は雲か霧に隠れてまったく見えませんが、不思議なことに、「ひふみ農園」のある場所の上空あたりに、円形に雲が薄くなっているのが見えます。
いやこれは、高速を走りながら見たもので、「ひふみ農園」の上空ではなかったかもしれません。
ただ、方角的に言って、そのあたりのような気もしました。
最新の天気予報をウェザーニュースで調べても、現地の天気は、午後3時くらいまでは雨となっています。しかも午後2時には、本格的な雨という予報。
なのに、インターを降りても、実際には「曇り」で、雨はまったく降っていません。
「やっぱり、あがっちゃったようだね」
助手席の家内と、後部席にいる娘と共に、すっかり感心しました。
福島の田村「ひふみ農園」で田植えをやった時も、午前中は豪雨で、雷まで鳴ったのに、田植えを始める時には雨はすっかりあがり、やがて晴れてしまいました。
「ひふみ農園」のイベントをやる時は、ほぼ100%の確率でこういうことが起きます。
「ほぼ100%」ではなく「100%」と言っても言い過ぎではないかもしれません。
結局そのまま雨は降らず、大変過ごしやすいコンディションの中、和気あいあいと収穫祭は進み、オーナーさんはご自分の畑での作業もスムーズに出来て、滞りなく終了しました。
解散する時間が近くなってくると、晴れ間さえのぞきました。
思い返せば、去年の収穫祭も、似たような、過ごしやすい日になりました。
まあ、結果オーライなのですが、いつもヒヤヒヤします。
確かに、当日(21日)朝のおまいりの時(毎朝、自宅の神棚の前で礼拝をします)には、天候のご守護をお願いしました。
しかしそのせいかどうかなんてことは、わかりません。
たまたま、そういう天気になる日を私たちが選んだだけかもしれません。
ただ、偶然とは思えないと思ったのは、その先のことです。
収穫祭が終わった後、私たち家族は、赤城山麓の温泉宿に一泊しました。
翌日に赤城山の小沼というカルデラ湖に行き、赤城龍神さんにご挨拶をするつもりだったからです。
(赤城龍神については、6月11日の「今週の一言」をお読みください。)
『岡本天明の歩いた軌跡~北関東編~』DVD(8月1日発売)のロケで「小沼」を初めて訪れた私は、赤城小沼の、人の手のほとんど入っていないその神秘な姿に感動しました。
そして「なんとなく」ですが、「赤城龍神が居られる」と思いました。
今回、改めて小沼を訪れたのは、家族とともに、きちんとご挨拶に伺い、湖畔で「ひふみ祝詞」を奏上したいと思ったからでした。
ただ、赤城山は雲の中に入ったように深い霧に包まれており、旅館に着いてからもずっと霧で(それはそれで良い雰囲気だったのですが)、翌朝になっても霧が晴れません。
これじゃあ、小沼に行っても、ほとんど何も見えないだろうな・・・と思いましたが、その時、ふと、次のようなイメージがわきました。
それは、赤城龍神からそう言われたような「気がする」という程度のイメージでした。
(今は霧が深いが、何も心配することはない。小沼に着いた時も霧に包まれているだろうが、その時に、サーッと霧が晴れて、小沼の全貌が姿を現すであろう)
言ってみれば、霧をかけたのは演出だというのです。そして着いた時、ヴェールを脱ぐように霧を晴らせ、家内と娘が「ウワァ、綺麗!」と感動するであろうという・・・。
あくまで、そんなイメージ。イマジネーションです。
旅館のチェックアウト時間も近くなってきたので、まだ全然霧は晴れないけど、とりあえず行ってみようかということになり、車を走らせました。
赤城神社に参拝した後、小沼に至る狭い山道を、いくつものカーブを繰り返しながら登っていきます。
その間もずっと濃い霧で、私は対向車に注意しながら、運転に集中しました。
そしてようやく(といっても30分くらい)、小沼にたどりつきました。
でもやはり、霧が濃くて、湖面の一部しか見えません。
娘は、沼というか、湖がすぐそこに広がっていることさえ、近くに来るまでわからなかったそうです。
視界は悪いですが、湖畔の森で鳥の声があちこちからするので、妻と娘のバード・ウォッチングが始まりました。
遊歩道を歩きながら、木立から聞こえてくる鳥の声に耳を澄まし、双眼鏡で目を凝らします。
その間に、湖面を覆っていた霧がスーッと動き出して・・・。
アッという間に小沼の全貌が姿を現しました。
その間、およそ10分くらいでしょうか。
到着から10分くらいの間に、小沼にかかっていた霧が、文字通り雲散霧消、どこかへ消えてしまったのです。
あまりの短時間で小沼の様子が一変したため、妻と娘はバード・ウォッチングに夢中で、サーッと晴れ渡る瞬間を見ていませんでした・・・。
偶然といえば、偶然です。
朝方に浮かんだ、赤城龍神の言葉というのも、私の勝手な想像から出たセリフなのだろうとも思えます。
しかし以前、榛名神社でジュード・カリヴァン博士と一緒にロケをした際、あの時もすごい霧だったのですが、「ひふみ祝詞」を奏上すると、みるみるうちに霧が動き出し、祝詞が終了した頃には参道の横を流れる川の向こう側までクリアに見えるようなってしまったという不思議な出来事もありました。
この時は、撮影スタッフの方々もびっくりしていました。
こういうことがあるんです。
これらの出来事はすべて偶然なんでしょうか。
そうかもしれませんが、日月神示の一節には、次のような言葉があります。
「上の、より高いところから来るから奇蹟と見え、偶然と見えるのぢゃ。神からの現われであるから、その手順がわからんから偶然と見えるのぢゃぞ。偶然の真理、悟れと申してあろう。これがわかれば大安心、立命」(『春の巻』第15帖)
世の中にはやはり、「偶然」などいうものはなく、すべては「必然」なのかもしれません。
とにもかくにも、収穫祭を大変過ごしやすい天候の中とり行わせて頂いたこと、そして濃霧の中から小沼がその全貌を表すという“演出”までご配慮くださったことを、赤城龍神さんに厚く厚く感謝御礼を申し上げつつ、帰路についたのでした。