日月神示の研究と実践

日月神示を中心に、神道、密教などを研究、実践するブログです。農薬不使用栽培などについても述べたいと思います。

中丸薫氏、古歩道ベンジャミン氏 共著「ドル消滅の仕組み」を読みました

2009-06-07 20:25:10 | 日月神示の研究
 船井幸雄氏が先日の船井幸雄.comで推奨されていた「ドル消滅の仕組み」を読みました。トンデモ的な内容も多少は感じましたが、新たな発見の多い内容です。副島隆彦氏とはまた違った角度からの考察は、とても有意義でした。

 私が関心を持った内容は下記のとおりです。

1.アメリカは農家にお金を貸さなくなっており、いま、農家は肥料も種も買うことができない。

2.アフガンに米軍を送るとオバマが言わなかったら、暗殺されていたかも知れない。

3.食糧危機はいずれ来るので、今から日本の休耕地を利用して、農業を復興させなければならない。

4.世界の主導権がロンドンやウォール街から無くなった。アメリカにはお金がない。お金を持っているのは、日本、アジア、サウジアラビヤなどの石油輸出国。

5.グルジアは実はモサド(イスラエル特務諜報局)である。

6.グルジア問題はユダヤが悪いのではなく、ナチスが問題である。

7.ナチスはアメリカのCIAを網羅している。モサドは全てナチスの関係である。

8.インフルエンザの予防注射は受けないほうがよい。受けた次の年には、体に変調が起きる。

9.イギリスの経済は金融業だけでGDPの6割を占めている。そのうちの半分以上は生産性のないネズミ講じみた詐欺である。アメリカはもっとひどい。

10.今までは闇の権力が日本と北朝鮮との間に杭を打っている。中国と日本、韓国の間にも。ロシアと日本の間には北方領土問題。それに全部、マスコミが踊らされている。

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 上記はほんの一部ですので、実際に読んでみれば驚くような内容ばかりです。

「腹八分は過食?」  少食健康法 杉尾敏明氏

2009-03-24 08:03:56 | 日月神示の研究
 先日の記事の大下伸悦氏や1日2食健康法が言われるように、人間は1日2食が健康の秘訣のようです。日月神示でも、1日2食が神の臣民の食事だと言ってますが、その量についてびっくりなことを言っている著書があります。
 人の食事の量は、1日1000キロカロリーがベストだという意見です。1000キロカロリーは少なすぎだと思いますので、私はやりませんが、いろいろな意見があるものです。

<少食健康法>

『■少食は四百兆の人体細胞へも愛の行為となる

 少食によって完全に消化吸収された各種の栄養素が、四百兆ともいわれる人体細胞に供給されることにより、それぞれの細胞組織は生き生きと働き、百パーセントその生命力を発揮することができるでしょう。
 ところがもし、過食してしまい、おびただしい栄養物が体内に吸収されると、各臓器はこれらの剰余栄養物の処理に追われて過労に陥ってしまいます。その結果、外へ向かって発揮されるべき生命力を、過剰栄養分の処理に使わなければならなくなり、大変なマイナスとなってしまいます。
 それでもなお完全に処理できず、血液は汚濁されたまま循環し、全身の細胞にそれが供給されるのですから、各細胞にとっては実に迷惑なことになります。こんな無慈悲な行為はありません。
 ですから、少食によって全身の細胞に清浄な血液を供給してやり、各細胞に本来の働きをフルに発揮できるようにしてやることが立派な愛の行為であると思います。
 
■常識をくつがえす少食の実際

 私はこの四十年、食事療法の研究に没頭してまいりましたが、その中で、食事の質の問題もさることながら、量の問題について、実にいろいろな苦労をしてきました。いったい私たちは、1日にどれだけ食べたらよいのかという問題であります。(略)
 「現代栄養学」に大きな誤りがあることを私の体験から、また数多くの臨床例から知ったからこそ悩んできたわけです。そして、だんだんと研究を進めるにつれてわかってきたことは、腹八分ではまだ過食ではないかということです。健康法として人におすすめしたいのはむしろ腹七分、腹六分が理想ではないかという、実に厳しい量に落ち着いてまいりました。
 具体的な量として申し上げると、1日千カロリーそこそこの少食ということになるでしょう。

■病気のおかげ

 病気をすることは、考えようによってはありがたいものである。病気をすると自分より不幸なものはないと思いがちであるが、考えてみれば病気をしたおかげで、今まで分からなかった感謝の気持ちや健康というものへの本当のあり方というものも分からせてもらえる。その意味では、若いときに大きな病気を与えられた方が、かえっていいのではないかと考える。

■自然治癒力~病気は本人が治すもの

 ガンジーも次のように述べているが、東洋的な医学観として甲田氏とも共通しており、興味深い。
 「ごくささいな病気をしても医者のところに行くのが習慣になっています。普通の医者が間に合わないところでは、ニセ医者に相談しています。医療がなければ病気は治らないものだという致命的な妄想にとりつかれて苦労しています。これが人類に対して、他のどんな悪よりも大きな悪影響を及ぼしてきたのです」
 「もちろん、病気になれば治療しなくてはなりません。しかし、医学が治すものではないのです。薬は無用であるばかりでなく、時には害になるものです。病人が薬を飲むのは、家の中にごみがいっぱいになっても掃除をせずに、ただ被い隠してしまおうとするようなもので馬鹿げたことなのです。被い隠せば隠すほど、ごみは腐敗していきます。人体についても同じでしょう。病気や不調はからだのどこかに汚物が蓄積していることを知らせる自然からの警告なのです。そして、医薬の手を借りてその汚物を被い隠すのではなく、自然の働きに任せて汚物を除去するのが知恵というものでしょう。医薬に頼るということは、自然の働きを二重に困難にしていることなります」 』 杉尾敏明氏著

  これに対して、ダイエットする場合でも、男性1600キロカロリー、女性1400キロカロリーは最低必要だと言っているサイトもあります。

<記事転載>
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『食事量は無理なく減らそう』

 食事でポイントになるのは、一日の摂取エネルギーをどれくらいにするかです。
 青年男女で、中くらいの労働・運動をする人の場合、日常生活で必要なエネルギーは、体重1kg当たり30~35キロカロリーとされています。減量するためには、標準体重 X 25キロカロリーくらいに設定するとよいでしょう。
※ 標準体重(kg) = (身長・m)の2乗 X 22

 しかし、計算で得られた数値が1200キロカロリー以下になると、長期間続けることは困難です。最低でも成人の男性なら1600キロカロリー、女性なら1400キロカロリーはとるようにしましょう。
 若い女性の中にはスリムな体型にあこがれて、摂取エネルギーを1000キロカロリーぐらいまで減らしてしまう人がいますが、これでは栄養不足を起こしかねません。とくにカルシウムなどのミネラルが不足しやすくなるため、若い年代から骨粗鬆症になったり、その予備軍となる恐れがあります。体重が標準の範囲なら、脂肪のとりすぎを控える、野菜を十分にとるなど、食生活の改善に重点を置きましょう。
 無理なダイエット後は、反動で太りやすくなります。そして、またダイエットを始めるということを繰り返すと、体重が激しく増減するウエイト・サイクリングに陥ります。ウエイト・サイクリングは高脂血症、心臓病などの生活習慣病を引き起こしやすく、肥満よりも危険といわれています。
 ダイエット中の食事のポイントは、量を減らした中で、たんぱく質、糖質、脂質をはじめ、ビタミン、ミネラルも、バランスよくとることです。
 食事のとり方も重要です。米国の実験では、3000キロカロリーの食事を朝1回とった群と、2000キロカロリーの食事を夜1回とった群を比較したところ、夜にとった群はカロリーが少ないにもかかわらず体重が増えたのに対し、朝とった群は体重が変わらないか、むしろ減っていたことがわかりました。
 このことは、朝食を抜いて、夜にその分をまとめ食いするような食生活は、たとえカロリーを抑えても、ダイエットにならないことを示しています。
 1日3回、夜は少なめの食事を心がけましょう。
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 ●ダイエット「食事は無理なく減らそう」
  http://www.yutopia.or.jp/~takataya/d-tokushyu-2.htm

  

イルミナティが作る人工的な宗教を見抜く方法 古歩道ベンジャミン氏

2009-03-21 07:43:20 | 日月神示の研究
 船井幸雄氏推奨の古歩道氏が、イルミナティが作った人工的宗教について説明しています。
 法輪功やアルカイダも、イルミナティが操っている宗教団体だとは全く考えたこともありませんでした。法輪功について調べてみると、港区にある中国大使館は、「法輪功とは中国のオウム真理教だ」とホームページで警戒しています。

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「法輪功」とは何か

「法輪功」とは、いったい何か。一口で言えば、中国の「オウム真理教」です。その教祖は現在アメリカにいる李洪志という人物です。「法輪功」も「オウム真理教」も他のカルト集団と同様ですが、教義や教祖への絶対服従と絶対崇拝を要求し、信者にマインドコントロールを施すのです。

「法輪功」の教祖である李洪志はまず「善良」を看板にして、「心を修練し、体を鍛える」、長期にわたって「法輪功」を修練すれば、「薬なしで病気を癒し、健康になる」などと口説いて入門させます。続いて彼の書いた「経書」を読ませ、さらに、「地球は爆発する」など「世界の終末説」をばら撒き、教祖のみが世界を救い、「人を済度して天国に行かせる」と唱え、信者たちを恐怖のどん底に陥れて狂乱させます。その結果、信者は教祖に絶対服従するようになり、善悪の判断能力を失い、己を害し、他人を害するなど、極端な行動に走ってしまいます。
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 ●中国大使館
  http://www.china-embassy.or.jp/jpn/zt/xjflg/t62971.htm


 また、アルカイダは9.11同時多発テロの首謀者だとされていますが、裏ではイルミナティが操っているのでしょうか。

<古歩道氏記事転載>
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03/18/2009
イルミナティが作る人工的な宗教を見抜く方法
イルミナティは昔から宗教を作り、人々を操ってきた。イルミナティの作る宗教には幾つかの特徴がある。先ずは一般信者や一般人に向け、誰もが賛同できる当たり前のことを言う:平和、民主主義、皆の幸せ、環境を守るなど。それからもう一つは仲間で結束することだ。そして仲間ではない人達をしつこく勧誘する。更に内部的に段階を作る。フリーメイソンが原型のよう、次の段に上がる度に秘密が教えられ権力を授かる。そしてピラミッドの頂点に行かないと、全部を学ぶことは出来ない。また一番トップには絶対的なカリスマ人物を置く。これらの組織の共通の目的は「社会の乗っ取り」と「絶対支配」である。

このような特徴の宗教は沢山ある。先ず中国の法輪功(Falun Gong)は明らかにそうだ。その他にも統一教会、創価学会、オウム真理教、フリーメイソン、Scientology, キリスト教シオニズム、アルカイダなどがある。

元公明党委員長の矢野絢也氏が書いた「黒い手帳」や数多くの創価学会元幹部からの情報によると、やはりこれらの宗教の目的は「日本国の乗っ取り」だという。勿論創価学会はこれらの指摘を否定するが、言っていることではなく、やっていることを見ればどちらが正しいのかはすぐわかる。

オウム真理教も地下鉄サリン事件を起こした日に、北朝鮮から変な液体を乗せた気球を沢山日本に上陸させた。北朝鮮もイルミナティに支配されている宗教国家そのものだ。

やはり大きな闇の勢力は、宗教、お金、金融危機、暗殺、賄賂、嘘、戦争などあらゆる手段を用い、どうにかして「世界支配」をすることを目論んでいる。
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 ●古歩道氏ブログ
  http://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/





大恐慌入門と日月神示

2009-03-17 07:41:58 | 日月神示の研究
 朝倉慶氏の「大恐慌入門」によると、オバマ政権でもアメリカ経済が立ち直ることはできず、世界は恐慌に突入するとのことです。恐慌の果てには、戦争が起こる可能性がとても高いという悲惨な状況になるようです。
 日月神示にも、恐ろしい予言が書かれていますが、その大峠は平和で思いやりのある元の世に戻るために人類に気付かせることが目的のようです。ただ、その立替え・立て直しの際も、人間の努力により、大難を小難にまつり変えることができるそうです。


『元の世に返すというのは、たとえでないぞ。穴の中に住まなならんこと出来るぞ。生の物食うて暮らさなならんし、臣民取り違いばかりしているぞ、何もかも一旦は天地へお引き上げぞ。

  立て壊し、立て直し、一度に成るぞ。立て直しの世直し早うなるかも知れんぞ。遅れるでないぞ。立て直し急ぐぞ。立て直しとは、元の世に、神の世に返すことざぞ。元の世と申しても泥の海ではないのざぞ。中々に大層なことであるのざぞ。

  地震、雷、火の雨降らして大洗濯するぞ。よほどシッカリせねば生きて行けんぞ。

  月は赤くなるぞ。日は黒くなるぞ。空は血の色となるぞ。流れも血ぢゃ。人民四ツん這いやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ。大地震、火の雨降らしての大洗濯であるから、一人逃れようとて、神でも逃れることは出来んぞ。天地まぜまぜとなるのぞ。ひっくり返るのぞ。

  三分の一の人民になると、早うから知らせてありたことの実地が始まっているのであるぞ。何もかも三分の一ぢゃ。大掃除して残った三分の一で、新しき御代の礎と致す仕組ぢゃ。三分むづかしいことになっているのを、天の神にお願い申して、一人でも多く助けたさの日夜の苦心であるぞ。堪忍の堪忍、我慢の我慢であるぞ。

  今の肉体、今の想念、今の宗教、今の科学のままでは岩戸はひらけんぞ。今の肉体のままでは、人民生きては行けんぞ。一度は仮死の状態にして、魂も肉体も、半分のところは入れ替えて、ミロクの世の人民として甦らす仕組、心得なされよ。神様でさえ、このこと判らん方あるぞ。大地も転位、天も転位するぞ。』


「イシヤは悪のお役」 中矢伸一氏

2009-03-01 17:01:55 | 日月神示の研究
 中矢伸一氏が、船井幸雄.comのインタビューに答えておられます。イシヤも神からみれば、悪のお役をやっているという意味が、半年前には理解できませんでしたが、最近は納得できるようになりました。善なる神が、悪にそのお役を許したということが、どうしても理解できませんでしたが、日月神示で言っている悪を改心させるという意味で、悪のお役と言っていたのだと分かってきました。
 つまり、善と悪が闘って善が悪を滅ぼして、善なる世界を実現するという一神教の考え方ではなく、悪を善に改心させて共に善なる世界を作って行くという考え方だと今は理解しています。船井幸雄しがいつも言われておられる「悪を包み込む」ということも、同じ意味だと思います。

<記事転載>
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記者:―今年の3月に出された、中矢さんと船井との共著『いま人に聞かせたい神さまの言葉』(徳間書店刊)が好評のようですね。また、全部で540ページ以上という、かなり分厚いものになっていますね。


中矢:はい、この本はずいぶん分厚いものになりました。
構成としては、最初に船井先生と私の対談があり、次に私が「日月神示」の入門編を書き、その次に船井先生が「日月神示」に関わるなさまざまな事柄の文章があります。
 船井先生は、いま、皆に伝えたくて仕方のないことがたくさんおありのように思いましたね。他ではそれをなかなか言えなくて、この本の中でそれをかなり出されたのでしょう。その結果、こんなに分厚くなってしまったという感じですね。
 拙著『日月神示 完全ガイド&ナビゲーション』(徳間書店刊)も380ページ以上と、けっこう分厚いのですが、それ以上になりましたね。


記者:―その『日月神示 完全ガイド&ナビゲーション』も読ませていただきましたが、文章に透明感があって、とても読みやすかったです。それにドキュメンタリー的といいますか、中矢先生は、読者をドキドキさせながら読ませていくのがとてもお上手ですよね。

中矢:そうですか、ありがとうございます。いちおう、この『日月神示 完全ガイド&ナビゲーション』を一冊読むと、日月神示とは何かがわかるようになっています。


記者:―本当に、最初は「日月神示」の本は難しいだろうと思っていたのですが、むしろ面白く、一気に「日月神示」が身近に感じられるようになりました。とくに"イシヤ"と呼ばれる世界を支配するという闇の権力の存在に興味を持つようになりました。


中矢:そうですか。"イシヤ"と呼ばれる闇の世界支配勢力については、実は戦前からずっとその存在が噂されています。"イシヤ"という表現は、石工職人のギルド(組合)が起源と言われています。
 戦前から、「ユダヤ人が世界を征服しようとしている」ということや、"フリーメーソン"だとか、いろいろ言われているのです。"フリーメーソン"というのは世界各地に支部を持ち、公称で600万人という会員数を有すると言われています。「兄弟愛」「困窮者の救済」「真実」という三つを基本美徳として掲げ、宗教の枠を超えて信仰の大切さを教え、会員たちにできうる範囲内で地域社会に貢献するよう奨励するという友愛団体とされていますが、それは表向きの顔で、ピラミッド型の階層構造を持つその組織は、上層部にいくほど不透明で、秘密主義的、オカルト的な性格が濃くなっていくと言われています。結社員には、米国や欧州のそうそうたる政治家、財界人、貴族、学者、軍人、芸術家などが名を連ねています。


中矢:そして、日本の神道(しんとう)の世界を深く勉強していくと、どうもユダヤとのつながりが感じられるんですね。一般的には、そのような証拠はないとされているのですが、日本はどうもユダヤとのつながりが古代にあるのが見えてくるのです。それで、日本人とユダヤ人が祖先を同じくする「日ユ同祖論」というのが昔からあります。そしてそれを考えると、どうしてもフリーメーソンだとか、そういう存在と絡んでくるのです。


記者:―日本の神道が、古くはユダヤやフリーメーソンと関わってくるということですか? それはとても興味深いですね。


中矢:神道は神道でも、古神道(こしんとう)を奥深く探っていくと、ということですね。
 従来の一般的な神道の考え方では、そういうことには触れません。特に、世の中のアカデミックな人たちはそういうことを取り上げると学会にいられなくなるくらいの雰囲気もありますので、あえて触れないのが普通です。しかし実際、古神道の中に"イシヤの仕組み"という言葉が出てきているのです。


記者:―そうなんですか。とても不思議な感じですね。「日月神示」の中にも、"イシヤ"という言葉が出てくるんですよね?


中矢:ええ、原文では「一四八」と書かれているのですが、それが"イシヤ"と訳されています。それは、大本におりた啓示の「大本神諭」にも出てきていますので、"イシヤ"という存在があるのだという主張になるわけですよね。だから「日月神示」を読み解く際には、そういう"イシヤ"の存在があるという前提でみないといけないですね。


記者:―それでは、「日月神示」に出てくる"イシヤ"が、フリーメーソンやイルミナティを意味しているということは、明らかに分かるのでしょうか。それとも、中矢先生が「"イシヤ"の意味しているのは、おそらくフリーメーソンやイルミナティだろう」と仮定しているのでしょうか?


中矢:「日月神示」を読むだけでは、"イシヤ"が何を意味しているか厳密には分からないですね。ただ、「なぜ"イシヤ"という言葉が出たのか」ということについては、出口王仁三郎の大本教の時からもう研究し尽くされています。では、「"イシヤ"の意味するところがフリーメーソンなのか」というと、厳密には私はどうかなと思いますね。
 戦前から「フリーメーソン論」というのはあるのですが、1990年代に入って、「フリーメーソンよりもっと上の組織である"イルミナティ"という組織がある」だとか、いやもっと上の「"クラブ・オブ・ジ・アイルズ"だとか、"300人委員会"という組織がある」など、いろいろな説が出たのです。それで、私もいろいろな情報を聞かされ、いいかげん嫌になってきてしまいました。結局、そういうのは一つの説に過ぎず、証明はできないわけですから。


中矢:それに"イシヤ"と呼ばれる存在が何を目的にしているかがよく分かりませんね。私は、イシヤは世界を滅亡させようと思っているわけではないと思います。たぶん彼らなりの価値観があって、まあそれはかなり独善的な価値観だと思うのですが、「自分たちは、世界中の人民が生産するところの良い部分は取ってしまい、それ以外の余りは、無知蒙昧な人民たちで分けてくれ」というような考えなのでしょう。いわゆる「人類の奴隷化」を目的としているのかもしれません。自分たちは見えないところにいながら、裏から世界を支配して、おいしいところは全部自分たちで持っていきたいというようなものでしょうね。 
 何十億人という人たちが働いて生産するものが、自然に彼らに吸い上げられていく仕組みを作り上げていくことを彼らは目論(もくろ)んでいるわけですから、ある意味、そういう(生産してくれる)人たち全員が滅亡してしまうと、彼らは困ってしまうわけです。  
 人民たちに気づかれないままに支配を続ける・・・というのが彼らの理想なんだと思いますね。


記者:―本当にそうなんですか!? 恐ろしいですね。


中矢:まあ、こういう支配者たちの背後には、霊的な存在が憑いているように思いますね。
 そして、そのもくろみに一番はまって、骨抜きにされているのはマスメディアでしょうね。テレビがまず一番骨抜きにされていて、一切真実は語れなくなっています。まだその影響が完全には及んでいないのが出版界と言えるでしょう。とはいえ、出版界でも真実を書いているような本もあれば、明らかにでたらめな本もいっぱいありますから、真実を書いた本を見つけるのも難しいかもしれませんが。
 しかしそうは言っても最近、イシヤの力がだんだん弱まってきているようなんですよね。


記者:―そうなんですか・・・。"イシヤ"という恐ろしいことを計画しているような存在に対して、「日月神示」では、どうするのがよいと言っているのでしょうか?


中矢:「日月神示」では、イシヤが正しい神の出現によって裁かれ、殺されるのを望んでいるわけではありません。そうではなく、そういう存在をも改心させることが日月神示に示された大神の意志なのです。イシヤという存在も、「悪のお役」があって、必要があって、そういう行動をとらされているわけです。だから、「悪のお役」がもう終わったことを悟らせ、彼らを改心させ、彼らと「手を組みなさい」ということなんですよね。全部融合するのです。船井先生の言う「包みこみ」ですよね。それに、悪ほど改心も早いものです。 
 その過程が、"大難"が"小難"になるために必要なことのようなのです。
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 ●中矢伸一氏インタビュー
  http://www.funaiyukio.com/konohito/index_0804.asp


日月神示との出会い

2009-02-26 07:54:57 | 日月神示の研究
 本物情報バンクのサイトに、中矢氏が日月神示に出会い、先導的な立場になるまでの経緯が載ってます。私は、中矢氏がどうして日月神示に出会ったのか、関心があったのですが、その答えがありました。

<記事転載>
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「日月神示」の先導者となるに
 至った経緯

 中矢伸一氏は、なぜ「日月神示」の先導者となるに至ったのだろうか。――そのプロセスを中矢氏は「ザ・フナイ」(2007.12~2008.4)に書いている。その内容を引用してお伝えしたいと思う。



 中矢氏は、もともと宗教が嫌いであったという。「全知全能の神がいるなら、なぜこの世に苦しみや悲しみが絶えないのか。神と悪魔がいるならば、俺は悪魔の側につくだろう」・・・そんな理屈を言っている高校生だった。ここまでアンチ宗教、アンチ神様になるのには、理由があったようで、中学生の時に、突然、父親を亡くしている。



 中矢氏の父親は、中学2年生の時に心筋梗塞で亡くなった。その年のゴールデンウィークに家族みんなで車で出かけた。目指したのは父親の友人が房総半島に持っていた別荘。そこで父親は、泊まった最初の夜に心臓発作を起こして帰らぬ人となったのである。この明暗のギャップは、多感な少年にどれだけの傷を負わせたことか、察するにあまりある。



 茫然自失となった中矢氏は次の3つのことを胸に刻んだ。1つ、命ははかない。死は誰にでも突然に訪れ得る。2つ、現代医療は絶対に信じられない。3つ、この世に神などいない。あれほど、気絶しそうになるくらい真剣に祈ったのに、神は父の命を救わなかった。
 頑なに心を閉ざすことで、この悲しみの時期を乗り越えたのだろうと心が痛む。

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 しかし、心霊の世界に実在を信じ、また、日本精神や武士道に魅かれるところはあったのだという。また一方で、海外を見たいという願望も強く、高校年の夏、アメリカに留学する。
 3年間の留学生活は、アメリカ人の中にいたほうがなじむかもしれないと思ったほど溶け込んで生活だったが、ふと、「日本人の方が、アメリカ人や外国人と比べて、人間としての質の完成度というか、成熟度が高い」と漠然とではあるが、そういう思いがあったという。
 それは、日本人なら「暗黙のうちに」わかることが彼らにはわからないとか、争い事が生じたときに、日本人だと自分も一歩引くことで、相手も一歩引き、“落としどころ”を見つけようとするといったことで、和を尊び、礼儀正しく、謙虚で、勤勉に働く、そのような「日本的精神」はどこから来ているのだろうかと。そして、日本人はどこか他の国とは違う。日本は世界の中でも異質な国であると、漠然とした思いから、確信に変わっていくのであった。


 やがて中矢氏は帰国。
 英会話講師・翻訳・通訳などさまざまな仕事につきながら、自分を活かせる分野を探ろうと、読書漬けの生活を送り、「神」という存在と対峙することになり、神道系新宗教教団に入信。さまざまな霊的体験を経て、霊的世界が実在することを身をもって知らされていく。さらに教団の活動に没頭していくなか、幹部への道へ進むことを決意し、志願。幹部としての活動を続けるが、ある体験から教団を去ることになってしまう。
 しかし、真理に対する渇仰は癒えることなく、また別の小さな教団に入信するも2カ月で退団。自問自答しながら過ごしていたある日、ふと立ち寄った書店で「太神(ふとがみ)の布告」という、「日月神示」の抜粋の書と出会うことになる。



 その時、中矢氏はすでに「日月神示」の存在は知っていたが、「明治生まれの岡本天明という画家が、自動書記によって降ろした天啓がある」という程度の知識であったようだ。ともかく買って読み出し、“素晴らしい”と感嘆し、この「太神の布告」をまとめたH氏の手紙を書いた。面会が許されると今度は2日に1度のペースで自宅に通い、「日月神示」のことやH先生のこれまでの研究を拝聴するようになっていくのであった。

 やがてH先生に「日月神示」の全巻本を譲られることになり、中矢氏は読みたかった全文が手に入り、貪るように読み、惚れこんでいく。
 そして、「こういう大天啓が世に知られていないのは、日本人にとって不幸である。日月神示を知れば、自分のように真理を模索する者が、宗教団体を渡る歩くようなこともせずに済むのではないか」と考え、出版社に話を持ちかけ、「日月神示」の著作をH先生に書いていただくことになる。
 ところがH先生のその原稿は、当初の企画や編集者の意図とは全く異なり、急きょ、中矢氏が書くことになってしまう。紆余曲折の末、平成3年(1991)、「日月神示」が、自分の名前で刊行された。
中矢氏29歳のことである。

 時代がその登場を求めていたのであろう。
 「日月神示」が店頭に並ぶと、爆発的な売れ行きを示し、初版2万部に次いで、発売19日目で重版がかかる。中矢氏はそれを機に、続編を立て続けに書いて、「日月神示」を中心とした精神世界系著述者としての地位を築いていくことになる。

 90年代に始まった「日月神示」ブームは次第に沈静化していくものの、2005年に「完全ガイド&ナビゲーション」が刊行されて約1年経ったあたりから、突然に再び売れ始める。“どうなっているのだろう?”と思っていたところ、船井幸雄先生がさかんに宣伝してくださっていることを知る。

 “今まで自分の著書や「日月神示」のことをまったく知らなかった人たちが、船井先生のおかげで、日本にもこういう神典があることに気づき始めたのだ。”と中矢氏は感謝するとともに、自分の天命として「大激変の時代を、自分らしく、日本人らしく乗り切るため、古来から伝わる『生き方』の智慧を伝授」する新しい活動を精力的に始めている。
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 ●本物リーダーに学ぶ
  http://www.honmono-joho.com/leader/nakaya/index.html


「日月神示」と「陰陽自然学」  船井幸雄氏

2009-02-18 07:57:45 | 日月神示の研究
 船井幸雄が日月神示と陰陽自然学について書かれてます。中矢伸一氏の「たまゆら」2月号の内容と同じになります。
 私もたまゆら2月号を読んで、この陰陽自然学と日月神示が同じことを言っているので、驚きました。2008年と2009年が大きな転換点になるようです。つまり今この時が転換点なわけです。これからは、世界恐慌やら天変地異で大変ですが、ミロクの世の実現にはかなり近づいたと思えます。

<記事転載>
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「日月神示」と「陰陽自然学」
 去年、私が一番びっくりしたのは、「聖書の暗号」で、私のことが解明されたことです。これは去年11月28日の、このホームページにも書きました。読み直してください。
 どうやら、先のことまで地球上のことは大体決められているのではないか…と思えます。
 そういう意味で「日月神示」の預言的内容が当ることは「なるほど」とも思えるのですが、「陰陽自然学」の研究者の飯田亨氏の未来予知学における予見も無視できないもので、私なりに注目していました。
 ところで、中矢伸一さんの出している『月刊 たまゆら』の今年2月号には、彼の研究している「日月神示」とともに、「陰陽自然学」の、現在から2013年までの予知が、対比されて実に分りやすく書かれています。
 ぜひ同誌を入手してお読みいただきたいのですが、そのポイントだけをここに転載します。
 ちょっと長文になりますが、大事なことだと思いますので、以下の文はぜひお読みください。
 また、読者なりに御研究ください。以下は中矢さんの文章です。                           


新潮流のビッグバンが始まる

~日月神示にある「子の年真中にして前後十年が正念場」の記述が、2003、4年~2012、3年まで続く十年間を示しているとすれば、2009年の今年は「前後十年」の後半の五年間に突入したことになる。
 以前にも紹介した「陰陽自然学」の飯田亨氏は、2008年には古いシステムのビッグクランチ(大崩壊)が表面化し、2009年には新たな潮流のビッグバンが起こると予測する。
 昨年九月に起きた「リーマン・ショック」は、今日に至るまで世界を支配してきた西欧型(アメリカ型)資本主義の大崩壊が表面化した象徴的な事件と言えるだろう。
 そしてもし、今年から新潮流のビッグバンが起こるなら、今までになかったような革新的な動きが、政治経済や産業技術、文化、思想、宗教などあらゆる面で表面化してくることになるだろう。
 今回は、もう一度「陰陽自然学」による未来予測にスポットを当てつつ、今年から始まるという世界の新たな動きをあぶり出してみることにする。~

後半の「五年」に何が起こるか
 これまで何度も述べているが、日月神示『磐戸の巻』第十六帖の一節には、

「子(ね)の年真中にして前後十年が正念場」

 という、謎めいた短い言葉がある。この「子年」とはいつの年なのか、具体的な記述はないが、この言い回しが大正時代に大本開祖・出口なおに降りた「明治五十年を真中に前後十年が正念場」という筆先に酷似していることは明らかだ。
 当時の大本が“立て替え”の型を演出した、ということから類推すると、日月神示の記述はその型が日本や世界に現れることを示したものと言えるだろう。
 したがって、「子の年」を中心とした前五年、後五年の十年間が、神示の言う「正念場」の期間ということになる。そしてもし、これが2008年の子年を指しているとすれば、2008年を真中の年とし、2003、4年から2012、13年の十年間が、「正念場」の期間という予測が成り立つ。
 また、右の『磐戸の巻』の一節には、「世の立て替えは水と火とざぞ」という言葉が続く。そこで、正念場の十年の前半五年は「水の洗礼」、後半五年は「火の洗礼」があるのではないかと予測した。実際、前半五年の間には、スマトラ沖大地震による津波で二十五万人もの人が亡くなったり、アメリカ南部を襲ったハリケーン「カトリーーナ」がニューオーリンズに壊滅的被害をもたらしたり、日本でも「ゲリラ豪雨」なる言葉が生まれるなど、水による被害が印象に残る五年間だった。
 すると、後半五年の「火の洗礼」は、火山の噴火や大地震などの天変地異、戦争やテロなどの人災が頻発することが考えられる。
 「真ん中」にあたる2008年に起きた出来事として私たちの記憶に一番刻まれることになったのは、何と言っても九月に起きたいわゆる「リーマン・ショック」を引き金として始まった経済の大混乱であろう。共産主義の崩壊以来アメリカ中心に世界を主導してきた自由資本主義も、いよいよその崩壊が誰の目にもわかる形になって現れたと言える。
 既存システムはことごとく崩壊し、新たなシステムが生まれる、ちょうどその転換点となったのが2008年であったように思われる。
 2009年、いよいよ突入した「後半五年」にいったい何が起きるのか。今月の本欄ではそれを推測してみよう。

飯田亨氏の「陰陽自然学」が導き出す未来予測

 日月神示から導き出されるこうした予測を裏付けるものとして、三年前に本誌でも取り上げたのが、飯田亨氏の書かれた『地球核力激震10年――180年暦が映し出す鮮明な未来』(産業能率大学出版部)という本だ。
 「2004年からの天変地異カタストロフィと全地球規模の文明、政治経済、科学技術の価値変換・大逆転現象は、2008~2009年を境に本格激化して、2013年に当面の収束を見る…。陰陽自然学によるシミュレートを公開」とブックレビューにあるとおり、その内容は極めて具体的で明確であり、驚きを禁じ得ない。
 とくに私がびっくりしたのは、激動の期間を2004年~2013年までの十年間としたことと、「前半五年(2004年~2008年)は大水害、伝染病蔓延の傾向で2006年が核心。後半五年(2009年~2013年)は戦火、火災事故を含む大火災傾向で2011年が核心」と書かれてあることだ。
 前半の五年間は「水」の災害に見舞われ、後半の五年間は「火」の災害に見舞われる、としている。飯田氏はもちろん日月神示を参考にしたわけではないと思うが、「世の立て替えは水と火とざぞ」という神示の記述にそっくり符合するのだ。
 以前に本誌で取り上げた記事内容についてご存じない方は、No.141(平成十八年四月号)およびNo.142(同五月号)をご参照頂きたいが、どちらもあいにく在庫切れである。拙著『日月神示 神か獣か!魂の超選択』(徳間書店)にも同じ記事を載せたので、書店で手に入る人は読んでほしいが、読者の便宜をはかるために、ここでざっと紹介させて頂こう。
 飯田亨氏は一九四七年生まれ。陰陽自然学の開祖。現代最強の未来予知学である独自の陰陽自然学を編み出し、祖父である飯田天涯、父飯田黄庸に継ぐ陰陽学研究の三代目で、一家の研究歴は百年に及ぶ。
 東洋の叡智である「十干・十二支・九星」を組み合わせ、独自の分析法を編み出し、この地球に起こる出来事が、ある周期性にもとづき、必然的に巡って来るものであることをつきとめ、そのやり方で未来予測を行っている。
 はたして、「陰陽自然学」にもとづく未来予測とはどのようなものか。
 飯田氏によれば、時間は「矢」のように一直線に流れるものではなく、グルグルと巡る「渦」をなしている。その渦の中心核を「無の一瞬」(現在)として、過去と未来という時間が対称的に桔抗しているという考え方が、「陰陽自然学」なのだという。
 時間には隠された特性――すなわち、現在の一時点に対し、対称点としての過去と未来が無限に存在するという特性がある。これを「輪廻周期対称性」と呼ぶ。常に現在という分岐点に立って「陰陽自然学」の手法で観察すると、過去から反転する未来が読み取れるのだそうだ。
 飯田氏はこの手法により、「1996年来、各種の出版物で2004~2013年の十年間に、世界の政治経済が根底から変化する大激動の時代に入ること、また自然界では世界で天変地異の続発することを、その発生する年月から、激動の時代に出現する指導者まで詳細に予測」してきたという(転載ここまで)。

 私も、ここに述べられた飯田さんの本は読みました。
 発売された2006年1月に著者が贈呈してくれたのです。その後、90%以上も当っているので、びっくりしていました。また飯田さんのマクロな予測は、中矢さんや拙著に紹介しています「T少年のコトバ」や、坂本政道さんの「宇宙知性から教えられたこと」などともほとんど一致しますので、ぜひ注目してください。そしてこれから必ず来ると思える近未来の大変化に上手に対処しようではありませんか。
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ひふみ祝詞

2009-01-28 12:55:06 | 日月神示の研究
船井幸雄.com7月号にひふみ祝詞についての記載があります。白川神道でもひふみ祝詞を重要視しているそうです。船井氏は毎日ひふみ祝詞を3回奏上するのがよい、と言われていますが、私はたまにしかできていません。今後はできるだけ毎日奏上したいと思います。


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「ひふみのりと」について
 先月6月28日に東京で行われたヒューマンカレッジで、朝10時~12時まで2時間「いま大事なこと」という話しをしました。
 その時、具体策として「ひふみのりと」を、一日3回くらい唱えるとよいと思います。日本人的な発想ができるようになるし、それが大事な時代です…と、ちょっと詳しく「ひふみのりと」について話しました。
 そのことが、大きな話題になっているようです。主催者の船井メディアにも問い合せが多く来ているとのことなので、このHPで、少しふれたいと思います。
 これについては、月刊『たまゆら』の7月号に中矢伸一さんが、たまたま『「ひふみ祝詞」を現代に復活させる意義』と題して9ページもの文章を書いていますので、これを読まれるとよく分ります。
 そのポイントだけ、中矢さんの文章から引用します。                           


 神道の淵源とされるこの原初的な祭祀形態は、「神籬磐境(ひもろぎいわさか)」と呼ばれる。
 日月神示は、こうした祭祀を現代に復活させることを願っているようであり、その祀り方についても、ある程度詳しく書かれてある。
 また、捧げる祝詞は「ひふみ(一二三)祝詞」である。日本語の四十七音(濁音、半濁音を除く)を祝詞にしたもので、「ひふみ神言」とも呼ばれる。
 日月神示には、『水の巻』第二帖に、

「ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ 
そをたはくめか うおえ にさりへて のますあせゑほれけ。
一ニ三(ヒフミ)祝詞であるぞ」

 と記されてある。
 この「ひふみ祝詞」こそが日月神示の核心的部分であり、極端に言えば、これだけ肚(はら)に入れればあとは要らないというくらい、大宇宙のすべての真理が含まれている究極の言霊と私は思っている。
 いつ、誰によって「ひふみ祝詞」は作られたのか。弘法大師(空海)の作という説もあるが、それは違うようだ。詳細に調べていくと、超古代から連綿と伝承されてきている、秘伝的な霊威を持つ神言らしいことがわかってくる。
 文献上では、物部(もののべ)氏の史書として知られる『旧事紀(くじき)(先代旧事本紀)』に、「ひふみ」十音の記述が見られる。
 それは「天神本紀」に出て来るもので、ニギハヤヒ(天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシタマニギハヤヒノミコト))がオシホミミ(正哉吾勝々速日天押穂耳尊(マサヤアカツカツハヤヒアメノオシホミミノミコト)の 勅命(ちょくめい)を受けて天孫降臨するくだりで、ニギハヤヒに「十種(とくさ)の神宝」を授け、
 「もし痛むところあらば、この十宝(とくさのたから)をして、一(ひと)-二(ふた)-三(み)-四(よ)-五(いつ)-六(む)-七(なな)-八(や)-九(ここの)-十(たり)と言いて布瑠部(ふるへ)。ゆらゆらと布瑠部。かく為(な)せば、死(まか)れる人は返りて生きなむ」
 と詔したことが記されてある。
 このため、『旧事紀』を取り入れた神道家や神道流派では「ひふみ祝詞」をも重視したと考えられるが、江戸初期に、幕府の御用学者として絶大な権威のあった林羅山(はやしらざん)らにより偽書の恪印を押されて退けられて以来、『旧事紀』は神道の主流から外されてしまった。やがて明治維新が成り、急きょ「国民」としての意識を一つにまとめるため『古事記』『日本書紀』の二大官選史書をもとに国家神道の整備が始まると、「ひふみ祝詞」は完全に忘れられた。
 その国家神道の流れを汲む現在の神社神道でも、「ひふみ祝詞」を教えない。だから、今の神主たちも、個人的に勉強している方を除いて、「ひふみ祝詞」の存在さえ知らないというのが実情である。

太古から伝わる「ヒフミ四十七文字」

 「ひふみ祝詞」が、“超古代から連綿と伝承されてきている秘伝的な霊威を持つ神言”であることは、様々な面から裏付けられる。
 『竹内文書』にも、「ひふみ祝詞」は出てくる。拙著『日本はなぜ神道なのか』(KKベストセラーズ)にも書いたことなので重複するが、「上古第二十代天皇」にあたる「惶根王身光天津日嗣天日天皇(カシコネオウミヒカルアマツヒツキアメノスメラミコト)」の項に、「即位五十億年、イヤヨ月円五日、詔(みことのり)して四十七音文字言歌を作らせ給う。ヒフミ伝の始めなり」とあり、「ヒフミヨイムナヤコトモチロラネ……」と解読できる神代文字による「ヒフミ神言」が記載されている(転載ここまで)。

 ところで私は七沢賢治さんのコトダマの研究などから母音、父音、子音の日本語の特性を知り、日本古来の吉田神道や白川神道(神祇伯)が「ひふみのりと」を重視していたことも知りました。
 日本人の特性は、つぎの10項目ぐらいにあると思いますが、これは日本語に原因があり、その集約をしたものとして「ひふみのりと」があると思えてならないのです。
 それ故、ヒューマンカレッジで「ひふみのりと」の話しをしたのです。
読者の皆さんも、各自で少し研究してください。
 では私の考えている「日本人の特性 10項目」を述べます。

1.争いがきらい。下手。和が好き。
2.残虐なことができない。思いやりがある。
3.いやなことは忘れるのがうまい。恨みを持たない。プラス発想型
4.策略は好きでない、下手。
5.「恥」の文化。「清」を大事にする。
6.「自然」と一体化するのが好き。自然を理解できる。
7.「直感力」は非常にするどい。
8.大衆は「我執」と「金銭欲」に無縁なのが多い。
9.よく学び、よく働く
10.他に干渉をしたがらない。包みこみできる。

 いかがでしょうか?
                                           =以上=


生長の家 谷口雅春氏 「副守護神」について

2009-01-14 23:58:31 | 日月神示の研究
生長の家の創立者の谷口雅春氏は、このように言われています。

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 『副守護神が改心し、先天的憑依なる正しき守護神が吾々の肉体を守護するようになると肉体の精神状態がすっかり浄化され、嗜好も一層人間らしくなります。鎮魂の主要目的は副次の憑霊を改心せしめて、正位の守護神の主権を恢復(かいふく)することであって、その目的さえ達すれば、一切の病癖は随伴的に回復します。従って病癖に対する対症的暗示若しくは説得は不要であります。鎮魂帰神の施法中審神者(さにわ)は決して酒を飲むな、淫欲を貪るな、四足獣(よつあし)の肉を食うななどと、憑霊に対して命令はしませぬ。しかし霊が帰順すれば何の暗示も与えずに大酒が飲めなくなり、淫欲は恬淡(てんたん)となり、四足獣の肉などは全然食べられなくなります。単に大本の名称を聞いただけで霊が帰順してそれ以後肉を食べれば忽ち(たちまち)三日位下痢を続けて消化器を洗濯される人などもあります。それ故霊が帰順すれば霊そのものが神界の規則に従って生活して行くから、何の暗示も説得もなくして獣肉類が食べられなくなるのです。吾々の現在意識は憑霊の意識との複合せるものでありますから、憑霊が肉を食べたいと思えば自分が肉を食べたくなり、憑霊が手淫をしたくなるならば自分が手淫をしたくなるのであります。自分が肉を食べたいのであるか、狐が肉を食べたいのであるか、自分は人であるのか、人が狐であるのか-大抵の人はそうした倒錯した生活を送っています」(『神霊界』第八十九号)

 これに対して、中矢伸一氏はこのように言われています。

「谷口雅春氏ほどの人物であっても、初期の頃は狐霊などの低級霊に憑依され、想念を狂わされていたのである。
 現代の人間は、とくに副守護神の活動が旺盛で、外流の影響を強く受けており
(ほとんど外流の渦中に生きているといってよい)、同一波調を持つ低級な霊界(粗雑で、歪んだ波調を持つ世界)との感応を起こしやすい状態にある。
 現代人では、動物霊に憑依されていない人はほとんどいないと言っても、言いすぎではないだろう。
 副守護神は物欲や性欲、権力欲、闘争欲などを支配する。
 このため、副守護神が活発に働いている人が多い社会は、物質的な生産活動や経済活動が促進される。そういう社会的傾向が主流になると、文明は著しい発達を見ることになる。
 しかしその反面、霊的(精神的)な向上への道は閉ざされ、高級なる霊界からの直接的な流れである正流が受けられないため、いつまでたっても正守護神に復帰できず、ましてや本守護神にまで位が上がることなどは不可能となる。
 副守護神により生み出された文明は、短期的には目覚しい発展を見せるが、やがて行き詰まり、悲惨な末路を辿ることになる。(中矢伸一氏著 「日本はなぜ神道なのか」)
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 日月神示を知り、研究と実践を始めてから1ヶ月くらいで、肉は食べられなくなりました。子供の頃から肉は元々好きではなかったですが、学校で食べるように指導されたり、自分でもなるべく食べるようにしてきたため、ハンバーグや餃子などのように肉本来の味が目立たない調理方法なら、食べられるようになりました。
 ところが、日月神示に出会い実践していく内に、昔に戻ったように食べたくなくなりました。できれば鍋ものには肉は入れないで欲しいし、カレーにも肉は入れてもらいたくないのが本音です。家族で鍋を食べる場合は、肉を入れることも仕方ないと思ってますが。
 それから、酒類もめっきり弱くなってしまいました。今までは、年に360日くらいは飲んでましたし、居酒屋に行けば生ビール2杯、ワイン500ccくらいは全然平気でしたが、今は生一杯で酔うこともあります。肉は全然食べたくないのですが、ビールは最初の一杯は今まで通り、とても美味しくいただいてます。ところが、その後のワインや日本酒の純米吟醸なども、そこそこ美味しく味わって飲んでいるのですが、どうも酔っ払うようになってしまいました。大学生の頃に戻ったようで、すっかり弱くなってしまいました。そういう訳で、自宅では正月やお盆などのイベント以外では、お酒は飲んでいません。義理の母が送ってくれた、以前は大好きだったキリンラガーが、昨年の秋からずっと、冷蔵庫で眠ってます。自分に憑依していた低級霊が去ってくれたのでしょうか。それだといいのですが。