飛水峡

思い出

岐阜新聞

1998年06月07日 15時57分57秒 | 岐阜の水と緑
山の鯨 美しい海を恋しがる  九州の民話「山の鯨・海のいのしし」。山と海の神さんの相談で海のいのししと交代した山の鯨は、「山恋しい山恋しい」と、ときとして群れをなし、山の見える浜やいそにのりあげるという(「日本の民話1 動物の世界」角川書店)。  長良川に鯨がいたっていいじゃないか-と、サンプル製造会社社長岩崎稔さん(71)=東京都大田区、郡上郡八幡町出身=は、同郡美並村白山のアトリエで体長十 . . . 本文を読む

岐阜新聞

1998年06月06日 15時47分25秒 | 岐阜の水と緑
野鳥の消長 潜水カモ、劇的な変化  長良川下流域はヨシ原を中心とした湿地帯で、国際自然保護連合発行の「アジア湿地目録」に国際的に重要な水鳥の生息地として挙げられていた。また、河川敷の草地、雑木林も加えると、三十四科、百二十種の鳥がいた-。長良川河口ぜき建設前のこの調査と、せき運用から三年の今とでは鳥たちがどう変化しているか、日本野鳥の会県支部が継続的に監視を続けている。  支部長の大塚之稔さん . . . 本文を読む

岐阜新聞

1998年06月05日 15時41分09秒 | 岐阜の水と緑
藤前干潟 海は死にかけている  戦前、日本に約八万五千ヘクタールの干潟があったが、現存するのは五万ヘクタール余。埋め立てなどで四割が消えた。一九六五-六九年は毎年、一千五百ヘクタールの割で消失(環境庁・第四回自然環境保全基礎調査・海域生物環境調査結果、九二年)、これが高度成長を支えたが、七八年以降も四千ヘクタール近い干潟が失われた(環境庁・生物多様性条約国別報告書、九七年)。  伊勢湾も三千ヘ . . . 本文を読む

岐阜新聞

1998年06月04日 15時20分25秒 | 岐阜の水と緑
木曽岬干拓地 好漁場、広大な農地に  大垣から桑名に下った芭蕉の時代はもとより、一八八三(明治十七)年から三年間、熱田まで蒸気船「愛岐丸」が通ったころの揖斐川は清流で、桑名の船乗りは川水で米をかしていた。  横浜の豪商で“東の桂離宮”といわれる名園「三渓園」の主、原三渓(一八六八-一九三九)は、郷里の羽島郡柳津町から笠松に出て桑名に下り、四日市から横浜に海路をたどった。木曽川も、銀麟(りん)が . . . 本文を読む

岐阜新聞

1998年06月03日 15時17分27秒 | 岐阜の水と緑
逃げるタコ 伊勢湾の藻場は激減  岐阜大学長だった今西錦司さんは、カラスミ(ボラの卵)とコノワタ(ナマコのはらわた)が好物だった。京都の自宅に岐阜特産のイカダバエ(オイカワ=シラハエ)を持参したら、「琵琶湖の小鮎のあめ炊きの方が…」と苦笑い。今思えば、海のない岐阜人への気遣いだったのだろう。  米の粉のカラスミは恵那にもあるが、ボラの子のカラスミは熊野灘が特産地。  熊野灘の内湾に生まれるた . . . 本文を読む

岐阜新聞

1998年06月02日 15時02分49秒 | 岐阜の水と緑
降海そ上 川は〝生命の通い道〟  往時の宮川は吉城郡宮川村鮎飛辺りで一大飛瀑(ばく)となり、そ上する鮎が飛ぶ様が鮎飛村という村名にもなった(「岐阜県の地名」)。長良川では、関市に鮎之瀬橋、郡上郡高鷲村に鮎立(あゆだて)、鮎走(あゆばしり)などもある。  「鮎走の地名には、田植えの足元に鮎が走ったからだという説と、殿様に鮎のハシリを献上したからだという説の二説がある」と、水中写真家の吉村朝之さん . . . 本文を読む

岐阜新聞

1998年06月01日 14時55分33秒 | 岐阜の水と緑
魚類調査 そ上する魚の声代弁  「今年の鮎のそ上はせき運用開始以来最高」と、長良川河口堰(せき)モニタリング委員会で建設省側が報告。鮎やカジカ、アユカケなどの底生魚が魚道を上るビデオ映像も上映された。  会議後の記者会見で、和田吉弘委員(中部女子短大副学長)は「そ上鮎は、木曽三川河口資源調査団の調査(一九六三-六八年)で数百万匹、ここ数年も二百四十万-八百四十万匹だが、今年はそれを上回る状況で . . . 本文を読む