ローマ11章11~24節
神の定め、神の道
神様の救いの御業がどのような形で、私たちに臨むかは、ひとそれぞれで、その人が救いに導かれた経緯をうかがいますと、それはとても不思議な感じが致します。個々人が、救いに至る道は、なるほどそういうことだったのかと、ちょっとあとになって理解できるときがあります。そのときには、なぜ、そのようなことが次から次へ起こるのだろうか、といった気持ちがするのです . . . 本文を読む
ローマ8章31~39節
味方なるお方
「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか」。誰もできない、そのような強い表現がこの文章ではないでしょうか。神様は最強のお方ですから、そのお方が、私たちの味方となってくださるのであれば、誰かが、私たちに争いを挑んできたとしても、私たちに勝つはずはないのです。詩編の118編6節にも同じような言葉があります。「主 . . . 本文を読む
ローマの信徒への手紙6章1~14節
キリストと共に死に、共に生きる
私たちの教派は、バプテストと言います。これは、バプテスマ(洗礼)という言葉から来ています。そして、私たちバプテストのその洗礼形式は、浸礼というもので、さきほどM姉がされたように、全身を水につけるものです。この形が、もっともバプテスマ(洗礼)の意味を深く、そして、わかりやすく表現しているからです。まさにその意味は、先ほど読ん . . . 本文を読む
ローマ5章1~11節
心に注がれる神の愛
私たちは、神様が、いかに私たちがダメな者であったとしても、神様に背き大きな罪を犯してしまった者であったとしても、また、従おうとしながらも、弱さゆえに、そうできず、かえって、神様の喜ばれないことをしている者であったとしても、このような私たちを赦してくださるお方だと知っています。だからこそ、安心して、自分の罪を告白して、悔い改めることができるのだと . . . 本文を読む