列王記下2章1~14節
信仰の継承
信仰の継承というのは、実に難しいことだと思います。それは、親から子という家族間のこともあります。キリスト者の親が、その子供たちにキリスト教の福音を伝えて、彼らが救いに与るといったケースが考えられます。牧師の子弟が、A神学生のようにまた牧師として召されるというケースもあります。これは、意外に多いと思います。
福岡地方連合でも、父親が牧師をしていて . . . 本文を読む
列王記上19章1~18節
静かにささやく声
カルメル山の競い合いによって、エリヤは勝利しました。それによって、真の神様がどなたであるかもイスラエルの人々は再認識することになりました。もちろん、アハブ王もそうだったでしょう。ですから、エリヤが、バアルの預言者たちを殺害したときも、黙認せざるを得なかったのです。そのあと、激しい雨が、降ってきて旱魃の終わりを告げました。
アハブは、それに . . . 本文を読む
列王記上18章16~24節
主が神であるなら
日照りも3年目を迎えておりました。このとき、主の言葉が預言者エリヤに臨み、「行って、アハブの前に姿を現せ。わたしはこの地に雨を降らせる」とのことでした。そこでエリヤは北イスラエルの王アハブの前に姿を現すために出かけて行きました。都のサマリアはひどい飢饉に襲われていました。アハブも自ら国の視察に赴き、サマリアにある泉、すべての川の状況を見 . . . 本文を読む
列王記上17章1~7節
主は生きておられる
しばらく列王記から学んでまいりたいと思います。書の名前のとおり、イスラエルの王様にまつわるお話ですが、これは、一般的な歴史書ではありません。
主権はあくまでも神様であって、その時代時代の王様が、どう神様と向き合ったのか、向き合わなかったのか、そして、イスラエルの民はそのときどうであったのか、神様は預言者をとおし、あるいは、出来事をとお . . . 本文を読む
ローマ書16章1~16節
互いに挨拶を交わしなさい
牧師は、挨拶がよくできる人がふさわしいと思います。挨拶をするというのは、大人としては常識の範囲ですから、当然でしょう、と言われそうです。私は、かつて、誰にでも気軽に挨拶をするような者ではありませんでした。牧師になってから意識的に挨拶をするようになりました。それでも、まだ十分にはできていないでしょう。気がつかずご無礼になっている場合も . . . 本文を読む
(クリスマス礼拝)
ルカによる福音書2章8~20節
大きな喜び
イエス・キリストのご降誕をこうして共にお祝いできますことを感謝します。クリスマス礼拝だというので、いろいろなことをおして出席された方々もおられることでしょう。また、残念ながら、入院をよぎなくされて出席できなくなった方々もおられます。バプテスマを今日受けることになっていた土屋麗子さんは特に残念だと思います。
お体 . . . 本文を読む