平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2007年12月24日(燭火礼拝)

2008-03-07 18:51:32 | 2007年
ルカによる福音書2章8~21節
  キリストのお生まれになったところ

 イエス・キリストは、約二千年前、ユダヤのベツレヘムという町で誕生されました。どうして、ガリラヤのナザレに住んでいた彼らが、ベツレヘムでイエス様を産むことになったのかというと、ちょうど、そのとき、ローマ皇帝のアウグストゥスからローマが支配していた全領土の住民に、登録せよとの勅令が出たからでした。ローマは、税制を整えるために住民登録をさせる必要があったのです。
 そのため、夫のヨセフは、ユダヤのベツレヘムの出身でありましたから、そこへ戻って登録をしなければならなかったのです。そして、聖書によると、ヨフセは、ダビデ家の血筋の者だったということでした。ダビデの子孫だったのです。ただし、聖書においては、マリアは、聖霊によって身ごもったことになっていますから、直接にヨセフの血を先祖ダビデの血を受けついだわけでもありませんが。
 このとき、マリアは、身重でありましたから、その旅は、危険きわまりないものだったのですが、大きな権力の前に、彼らは、なす術もありませんでした。そして、ベツレヘムに着いた頃には、マリアは臨月を迎えていたのです。ところが、彼らは町に着いて、あちらこちらと宿屋を探して回ったのでしょうが、彼らの泊まるところはありませんでした。
 それで、結局、どこで出産することになったかというと、それは家畜小屋だったようです。というのは、「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」、と書かれてあり、幼子は、飼い葉桶に寝かされていたとあるからです。
 イエス様は、ベツレヘムで生まれたあと、どうなったかというと、それについては、今度はマタイによる福音書の方から読み取ることができます。東方にいた占星術(星占い)の学者たちが、ユダヤ人の王が生まれたことを現す星を発見するのです。
 それで、ユダヤの都、エルサレムにやってきて、ときの王であったヘロデの宮殿に行き「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので拝みに来たのです」と言ったものですから、ヘロデは、内心自分の王としての座を脅かす者が生まれたというので不安になったのでしょうか、その者を殺害しなければならないと考えるのです。
 ヘロデは、学者たちに、その幼子が見つかったら、自分も拝みに行きたいから、帰りに自分のところへもう一度寄って、どこにいるかなど、詳しいことを知らせくれるように頼むのでした。学者たちは、そのあと、星に導かれてベツレヘムの生まれた場所までたどりつきイエス様を拝むことができました。ところが、この学者たちに夢で、ヘロデのところへ帰るなとのお告げがあり、そのまま国へ帰っていきます。
 また、ヨフセには、天使が夢で現れ、ヘロデが、幼子を探し出して殺そうとしているから、エジプトに行って、自分がいいというまでそこに留まるようにとのことでした。ヨセフは、そのお告げがあった夜のうちに、幼子とマリアを連れて、エジプトへ逃れ、ヘロデが死ぬまでそこに留まります。
 一方ヘロデは、学者たちが自分を裏切ってそのまま国へ帰ったことを知り、激しく怒って、学者たちからいつその子どもが生まれたかを確かめておきましたので、それで、念には念をという思いがあったのでしょう、ベツレヘムだけでなくその周辺一帯も含め、また、生まれたばかりの乳飲み子だけでなく、二歳以下のすべての男の子を一人残らず殺害させたのでした。
 ヘロデが死ぬと、エジプトに逃れていたヨセフにまたお告げがあり、イエスラエルの地に帰るようにとのことでした。ところが、帰ってみると、そこには、ヘロデの息子のアルケラオという人物が、ヘロデの後を継いで、ユダヤを支配していたのです。それで、また、お告げがあり、もといたガリラヤ地方のナザレに引きこもることにしたのでした。
 イエス・キリストの誕生について、イザヤ書の9章5節に次のような記述がなされています。「ひとりのみどり子がわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。
 その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる」と、あります。エフェソの信徒への手紙の2章14節にも「実に、キリストはわたしたちの平和であります」とあり、このお方は、まさに、平和の君であり、平和そのものでありました。
 当時は、「パックス、ローマ」と言われていた時代でした。パックスというのは、平和という意味でして、ローマによる平和、そのような意味の言葉です。イエス様がお生まれになった頃は、ローマが、イタリアの小さな半島から地中海一帯を支配していくときであり、大きな飛躍を遂げた時代した。
 その片隅で、このイエス・キリストの誕生の出来事は起こったのです。一方において、平和はときの最強の力を誇るローマによって、築かれる維持されるべきものと考えた者たちも多かったでしょう。
 今の時代もそれはあまり変わりません。かつてのナチスドイツは、平和はナチスドイツによって築かれ、維持されるべきものとの考えでありました。あたかも、ナチスドイツが平和そのものであるかのような振る舞いでありました。それは、日本が、大東亜共栄圏ということを主張して、周辺の国々を侵略していったことと、内容的にはほぼ似ているところがあるかもしれません。
 しかし、真実の平和がどのようなものであるかを私たちはイエス・キリストのご降誕の物語からいろいろと教えられるのです。それは、世の支配者、権力者がもたらそうとする平和とは、大きな違いがありました。まさに、ローマが、帝国としての体を成そうとしていたときに、このお方は、この世に来られたのでした。このお方は、対照的に最初から大きな権力によって、波間に浮かぶ木の葉のように、翻弄されたのです。
 ヨセフは、住民登録の勅令によって、身重な体のマリアと、ベツレヘムへ行かなければなりませんでした。そこには、彼らの泊まるところはなく、家畜小屋の中で出産し、生まれた子どもは飼い葉桶に寝かされたのでした。それから、出産直後には、命を狙うヘロデから逃れるためにエジプトへと、長い旅をしなければなりませんでした。大きな権力は、人の人生をいとも簡単に左に右にと揺さぶり動かすことができるのです。
 そして、弱い貧しい人々は、その危険を避けるため、安全なところを求めて、逃れるしかありません。しかし、そこには、神様の導きがあり、守りがあることを教えられるのです。そこには、神様の導きと守りによって与えられる平和があるのです。
 結局、そのあと、歴史はどうなったかというと、迫害されても迫害されてもどんどんキリスト者たちの数は多くなり、一方、迫害した皇帝たちは滅びてしまいました。そして、ついには、ローマは、キリスト教を認めざるをえない状況になりました。
 さて、イエス様誕生の知らせを真っ先に受けた人々がいます。一つは、東方でユダヤ人の王、つまり、救い主誕生の知らせを告げる星を発見した占星術の学者たちでした。彼らは、ユダヤ人ではありませんでした。ユダヤ人たちからすると異邦人でした。しかも、星占いをするような人々でした。
 ユダヤ人たちは、律法を守ることにおいてのみ、神様からお前は正しい者として扱われ、永遠の命に至るということを信じていました。それに対して、異邦人には律法は無縁ですから、当然、それを守るということもありませんでした。そのような異邦人ですから、彼らは救いからもれた人々との、レッテルをユダヤ人たちは貼っておりした。ところが、その救いからもれたと思われていた異邦人に、真っ先に救い主誕生の知らせが届いたのです。
 それは、救いはユダヤ人だけではない、それどころか、異邦人にまでも広く多くの人々に与えられることが示されていました。そして、彼らは、その星の知らせを信じて、幼子イエス様のところへ会いに来ました。彼らはイエス様にお会いすることができ、その幼子をひれ伏して拝み、用意してきた宝物を献げたのでした。
 それから救い主誕生の知らせが届いた二つ目の集団は、野原で野宿している羊飼いたちでした。彼らもまた、当時のユダヤ社会では、罪人としての扱われ方をしておりました。罪人とは、当時は律法を守ろうとしない、律法違反をしている人々のことでした。それは、羊を追ってよその土地まで入り込んで、そこの牧草を食べさせるということがありましたので、盗人のように考える人もおり、彼らは、罪人としての枠に入れられていたのでした。
 罪人が救われるということはないと思われていました。その彼らのところへ救い主誕生の知らせがいち早く来たのでした。彼らは、「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」という御使いの知らせを聞いて、自分たちのためにもこの救い主は来られたと彼らは喜んだでしょう。
 そして、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」とでかけて行き、飼い葉桶に寝かされているイエス様にお会いするのでした。
 歴史の大きな流れがあります。当時の平和はローマ帝国によって築かれるものと、誰もが考えておりました。確かに、ローマは、地中海一帯の国々を征服し、当時の世界を支配して、帝国として君臨することに成功したのでした。イエス様は、ちょうどその時代にお生まれになりました。お生まれになったそのとき、税金をすべての人々から徴収するための住民登録が行われました。
 また、ユダヤのヘロデ王は、キリスト誕生の知らせに不安を募らせ、ベツレヘムだけでなくその周辺一帯の2歳以下男の幼子をすべて殺害させたのでした。この世の支配者、権力を持つ者が考える平和というものと、イエス様を通してもたらそうとされた神様の示す平和というものの違いを見る思いがします。
 世の支配者は、その多くはという言い方が、否、なりがちだという言い方の方が、より適切かもしれませんが、一見、民衆のことを考えているようで、その実、体制を維持させること、為政者の直接に益になること、権力の保身、そのようなものに目が向いていくのです。どうも、それらを得ることを、平和と履き違えているように思えるのです。
 イエス様は、とても弱く貧しい存在としてこの世に登場してくるのです。そして、神の独り子といいながら、そのお生まれになった場所は、宮殿などではなく、家畜小屋であり、そこの飼い葉桶の中に寝かされていたのでした。そして、その粗末な場所にもおれなくて、よその国へ逃げなければならないという状況にありました。
 そして、そのことは、現代、国内の紛争により、或いは、国と国との戦争によって、土地を追われ行くあてもなく、難民となって、テント生活をしている人々と変わらぬものがあることでしょう。何の力もないのです。しかし、この方が、平和の君、平和そのものと呼ばれたのです。
 イエス様一行は、神様に導かれ、守られつつ、その安全を、否、命を得ていくのです。これこそがまさに、平和なのであります。そして、イエス様は、成長なさり、ついには、十字架におかかりになりました。その十字架は、私たちの罪のためであったと、私たちは理解しているのです。
 当時、救いからもれてしまったと考えられていた人々のところへ、まず、この平和の君なる救い主誕生の知らせが届いたというところに、私たちは、この世の願いと神様の願いの違いに気付くのです。「医者と必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない、とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マタイ、9:13)。
 律法のない生活を送っている人々、律法を守ろうとしない人々に、救い主誕生の知らせが一番に来たということは、救いというのは、律法にはもうよらない、私たち人間の行為にはよらない、人間の行為はどのようなものであれ、限界があり、ときに、良かれと思って行った行為ですら、的外れで、罪に満ちていることがあるのです。ですから、救いというのは、人間の行為で得られるものではありません。救いは、一方的な神様の恵みとして来られた、与えられるものであることを聖書は示しております。
 救いは、神様の恵みなのです。イエス・キリストは、私たちの救いのために、その父なる神様が、賜ってくださった独り子だったと書かれています。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)とあるとおりです。
 占星術の学者たち、野原で野宿していた羊飼いたちのように、今宵、私たちは今年もまた、家畜小屋の飼い葉桶で寝かされている幼子イエス様を見ているのです。彼らは星に導かれ、あるいは、天使の御告げに導かれ、イエス様のところへ来ました。彼らは神様に導かれたのです。
 そして、ここに集われた皆様もまたそうであります。イエス様は、どこかの王のように、宮殿の寝室などには、おられませんでした。まさに、インマヌエルの神として、インマヌエルとは、「神は我々と共におられる」という意味ですが、そのようなお方として来られたのです。彼らは、告げられたとおりの出来事を見て、信じたのです。
 キリストがおられたそこは家畜小屋であり、飼い葉桶でありました。しかし、彼らは、この方こそ、キリストである、世の救い主であると信じたのです。しかし、この世に来られて以来、ずっとずっと、この方は、私たちと共におられるお方であります。
 私たちの弱さと、貧しさと、苦しさと、頼りなさとを、それらのことをことごとくご存知であり、そのような中にある私たちと共におられ、私たちを導かれ、守られるお方です。まさに、人の弱さと悲しみ、苦しみを理解される方として、このお方はお生まれになられました。今宵もまた、飼い葉桶におられる幼子に私たちはひれ伏すのです。


平良師

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