平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2020年5月10日 ひびきあう いのち

2020-05-17 14:38:03 | 2020年
使徒言行録2章1節〜4節
ひびきあう いのち

 聖霊が降った日の出来事を知っておられるでしょうか。この出来事はなんとも不思議な話で、読めば読むほど面白く、また興味深い話です。2020年度は5月31日(日)が聖霊降臨日、ペンテコステです。

 弟子たちは家の中に留まり、一つになっていました。「一つになる」とは心を合わせて熱心に祈り、礼拝を捧げていたということでしょう(使徒1:14-15)。そうすると突然、家の中に激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえてきます。主イエスが約束された聖霊は、まず、天から与えられ、家中に響く激しい風の音でした。「ゴゴゴゴ」や「ビュオォォ」といった音でしょうか。聖霊は風であり、そして耳で聞くことのできる音でした。この音の振動は家の中に響かせられ、また外に伝わっていくものでした。イエス様は「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」ヨハネ3: 8と言われました。弟子たちは新しく生まれさせる聖霊の風を受けました。私達もまた、それぞれの家で一つになって礼拝を捧げていますが、聖霊の風は私達を日々、霊から生まれた神様のこどもとして新たにさせます。

 聖霊降臨の出来事は、「風のような」「炎のような」「舌のような」というイメージで語られます。炎とは見えるもの、生活するのに欠かせない力として、あるいは私達の心を燃やし、活力を与えてくれるものです。舌とは言葉を発するための器官です。歯は生えて、いつかは抜けますが、舌は生まれてから死ぬまで共にあります。「オギャアオギャア」という産声から始まり、「アー」とか「ウー」とか「キャァ」とか「ギャー」など声に出し、人は成長を重ね、ついに言葉を話せるようになります。聖霊の風の音は、私達の内側に入り、その音は私達の内側に響き、ついには舌を通して、声になり、言葉になって行くのです。その言葉の感動や感謝の行き着く先は、他者です。この聖霊の舌が与えてくれる言葉は「イエスこそは主なり」という信仰告白です。これは、赤子のままで私を愛し、罪人のままで私を受け入れ、あなたらしい生き方ができるようにと無限の愛を持って支えてくださる方が、共にいてくださるという、インマヌエル(神我等と共にいます)の信仰告白です。実に聖霊の働きは風のように共にあり、そのはげしさの中で共に葛藤しながら、私たちの心を燃やしてくださり、ついに信仰の告白へと至らせるのです。

この聖霊の働きの大切なキーワードは「満たされる」ということです。それは第一に神によって唯、注がれるものであり、第二にこの「満たし」は状態である、ということです。一時のことではなく、この聖霊の満たしによって、主の恵みを証し続けるものとなることが大切です。
 弟子たちはほかの国々の言葉で語りだした、とありますがこれは異言をも意味する言葉です。神様との関係を立て上げるためになされる異言は他の人々には理解ができないものです。ここでは集まってきた様々な言語を持つ人々が、自分の故郷の言語で話されるのを聞いた出来事でしたから、これは異言というよりも預言の出来事だったでしょう。実にパウロは異言の大切さを認めた上で、こう言います。「しかし、預言する者は、人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰めます。異言を語る者が自分を造り上げるのに対して、預言する者は教会を造り上げます」一コリント14:3-4 実に聖霊の満たしは自分の内側にこもるのではなくて、逆に他者のために開かれていく出来事でした。そしてその働きこそが、教会なのだと、教えられます。

 文春新書新約聖書Ⅱに新共同訳 解説として佐藤優さんがあとがきにこう書いていました。「人生は苦しい。世の中には、悪が強い力を持っている。私たち一人一人の心を見つめてみれば、そこには邪悪な要素が潜んでいることに気づく。…イエスは自らの罪を認め、悔い改めれば人間は救われると説いた。人間が自らの力で救済を実現することは出来ない。救済する力は外部からくる。外部からくる超越的な力だからこそ、それを信頼することができる」「日本社会は行き詰まっていることは明白だ。このような状況を抜け出すヒントが聖書にはある。…もっと平たい言葉で言うと、自分の考えや立場にだけ固執するのではなく、他者の気持ち、立場になって考えてみることだ。イエスという男は、他者のために生きるということを徹底的に貫き、その結果…処刑された。イエスに関する記録を読むことによって、私たち一人一人の心の底に確実に存在する超越性を察知する力が呼び起こされるのである」
 主の聖霊は、私たちのうちにあり、ひびき、心を燃やし、ことばを起こしてくれます。イエス様が生きられたように生きる、そこへと望ませてくれるのが聖霊であり、私たちはそのような中にあってひびきあういのちとして生かされています。聖霊の慰めと励ましと力とが皆さんとともにありますように。


森 崇 牧師

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