写真は20年に玉川高島屋にて開催された
『アンディ・ウォーホル展』
のチラシです。
上京から一年が経とうとしていた頃、一人で観に行ったものです。
故郷の長崎でこういった催しが開催される訳もなく、ただ都会での噂のみが入ってきていて、実物を観たい観たいと思っていながら、観れずにいたので、上京後ウォーホルの作品を目の当たりにした時には感動を隠しきれませんでした。
玉川高島屋のイベント・スペースの入り口には
『マリリン』
と共に彼の代名詞的な作品になる
『キャンベル・スープ・缶』
をまんまイメージさせる“キャンベル・スープ・缶”の実物缶がズラリと並べられていて、
『おぉ、この入り口の先にはウォーホルの世界があるんだぁ!!』
っとワクワクさせてくれたものでした。
当時のチケットの半券が残っていたので今、鑑賞料金を確認してみると一般の当日料金がたったの500円!!
バブル経済真っ只中であったと思われるので、企業のメセナ事業も活発だったのでしょう。
要は景気が良かった訳です。
当時は現在と同じく、先が見えない状態でしたので、馴染みの薄い冬の二子玉川の街は淋しさを助長させるには充分で、また展覧会場の人出の多さで静かに観られない事に非常に落ち着かない気分になり、一人ゆえウォーホルの作品群を観られた事の嬉しさを共有できる友人や肉親も傍にいなく、複雑な想いを胸に四畳半のアパートに帰り、それでも落ち着かなかったので、友人の部屋を訪ねたのを覚えています。
ただ、友人はそういった事に疎くて、私の話しを聴いていても、ポカンとした顔をしていたでしょうか(笑)。
年月を経てこの展覧会のプログラムを眺めてみると当時はみえなかったものがみえたりもし、基本的に物へのこだわりが強く、物を手放す事がない自分の性格が珍しく有り難くも思えてきます。
たまにこういった物を引っ張り出してボンヤリ・ジックリと鑑賞してみるのも、インフルエンザが流行りつつあり、また天候も悪く、お金もなく、更には精神的に疲れていて外出が出来ない今日のような、いけ好かない日には佳いものです。
ピカソ、印象派、モダン・アートなどの展覧会は一定の集客が見込めるのか、現在でもよく開催されていますね。
まぁ、相変わらず都会限定だとは思いますが(苦笑)。
『アンディ・ウォーホル展』
のチラシです。
上京から一年が経とうとしていた頃、一人で観に行ったものです。
故郷の長崎でこういった催しが開催される訳もなく、ただ都会での噂のみが入ってきていて、実物を観たい観たいと思っていながら、観れずにいたので、上京後ウォーホルの作品を目の当たりにした時には感動を隠しきれませんでした。
玉川高島屋のイベント・スペースの入り口には
『マリリン』
と共に彼の代名詞的な作品になる
『キャンベル・スープ・缶』
をまんまイメージさせる“キャンベル・スープ・缶”の実物缶がズラリと並べられていて、
『おぉ、この入り口の先にはウォーホルの世界があるんだぁ!!』
っとワクワクさせてくれたものでした。
当時のチケットの半券が残っていたので今、鑑賞料金を確認してみると一般の当日料金がたったの500円!!
バブル経済真っ只中であったと思われるので、企業のメセナ事業も活発だったのでしょう。
要は景気が良かった訳です。
当時は現在と同じく、先が見えない状態でしたので、馴染みの薄い冬の二子玉川の街は淋しさを助長させるには充分で、また展覧会場の人出の多さで静かに観られない事に非常に落ち着かない気分になり、一人ゆえウォーホルの作品群を観られた事の嬉しさを共有できる友人や肉親も傍にいなく、複雑な想いを胸に四畳半のアパートに帰り、それでも落ち着かなかったので、友人の部屋を訪ねたのを覚えています。
ただ、友人はそういった事に疎くて、私の話しを聴いていても、ポカンとした顔をしていたでしょうか(笑)。
年月を経てこの展覧会のプログラムを眺めてみると当時はみえなかったものがみえたりもし、基本的に物へのこだわりが強く、物を手放す事がない自分の性格が珍しく有り難くも思えてきます。
たまにこういった物を引っ張り出してボンヤリ・ジックリと鑑賞してみるのも、インフルエンザが流行りつつあり、また天候も悪く、お金もなく、更には精神的に疲れていて外出が出来ない今日のような、いけ好かない日には佳いものです。
ピカソ、印象派、モダン・アートなどの展覧会は一定の集客が見込めるのか、現在でもよく開催されていますね。
まぁ、相変わらず都会限定だとは思いますが(苦笑)。