『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

宮迫川の鯉

2020年09月17日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

以前にも紹介したことがあるが茶色の水が流れる宮迫川の上流で現在も6匹の鯉が泳いでいた。赤い水は農業用水からではなく宮園団地の高い擁壁の流出口から出ており、宮園団地は真砂土の山を造成しているので流出する水は鉄分を多く含んでいるものとみられそのために茶色になっているが稲作や鯉の生息には影響ないようである。

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厳島神社奉納絵馬→模写→厳島絵馬鑑

2020年09月16日 | 「宮島地区」ぶらり

 

 

 

 

厳島神社に奉納されている絵馬は元本殿の廻廊に掲額されていたが現在は千畳閣に掲額されている。江戸後期にこれら奉納されている絵馬を地御前の絵師である渡辺対岳が模写縮図している。中画像の模写縮図は「俵藤太射蚣之図」でこの模写縮図を版木に転写して彫師が彫って摺師が摺り上げ纏めたものが「厳島絵馬鑑」で嘉永元年(1848)に刊行されている。(広島県文化財ニュース第148号-厳島神社絵馬模写縮図について)

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新開堤防の名残りの道路

2020年09月15日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

 

国道2号線脇のフレスタ廿日市住吉店前からジュンテンドウ廿日市店横に向かう曲がった市道高洲線は江戸期に築調された新開の堤防の跡である。(空中写真の中央部分)江戸初期から高洲・沖高洲・沖・沖の手・大洲新開など築調されこの堤防が設けられ、江戸後期その沖に住吉新開が築調されている。市道高洲線より住吉新開側は低くなっており高低差は堤防の名残りである。(昭和22年(1947)国土地理院空中写真)

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遊びの菜園-廿日市16代目桜島大根・廿日市6代目切葉松本地大根

2020年09月14日 | 農業

 

 

9日に桜島大根と切葉松本地大根の種蒔きをしており丁度雨が降り双葉が出てきた。これらを間引いて廿日市16代目桜島大根(上側)と廿日市6代目切葉松本地大根(下側)を育てる予定である。桜島大根は鹿児島旅行した際に、切葉松本地大根は信州旅行した際に種を購入して育て、その種を毎年採っているもので、食もせず手間暇かけてこの地でどのように育っていくのか見るだけ・・・ まさに遊びの菜園である。

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新開紀功碑-竹中健助氏碑

2020年09月13日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

廿日市市役所南側の駐車場脇に建立されている竹中健助氏の碑で、元藤掛新開の端付近に建立されていたが市役所周辺整備のために現在地に移設された。碑文によると榎の窪新開などの新開一帯は台風被害を度々被っており、竹中健助氏は私財で災害復旧に尽力されたようで、氏の遺徳を顕彰するため明治39年(1906)にこの石碑が建立されたようである。

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榎の浦新開の潮廻し

2020年09月12日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

榎の浦新開は榎の窪新開、可合沖新開、、御本山新開などを総称しており、江戸期から順次築造され最終的には明治期に築造されたようである。堤防の内側は低地であり海水が堤防の内側に染み出してくるので潮廻しという遊水地を設け上流からの用水を溜め海水濃度を下げ、干潮時に水門から排水する装置で榎の浦新開の潮廻しの名残りが市役所駐車場脇にある。空中写真には堤防に沿って細長い潮廻しがみられるが現在は埋め立てられている。(昭和22年(1947)国土地理院空中写真)

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榎の浦海岸の移り変わり

2020年09月11日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

 

当ブログ主が小学生の頃市役所南側の道路脇に残る擁壁箇所(上画像)が榎の浦新開の堤防であり、その沖は遠浅の海岸で貝掘りや海水浴をしていたところであった。小学校高学年のころ水泳授業で泳いだことがあるが、泳ぎが出来るようになったのは山間のため池であった。昭和45年(1970)頃から榎の浦新開沖が埋め立てられ木材工業団地や県営貯木場が設けられたようである。平成22年(2011)頃から県営貯木場が埋め立られ平成27年(2015)6月にゆめタウン廿日市がオープンしている。

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有府之水門(アリフノミナト)

2020年09月10日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

地御前神社の南側を流れる有府川に色褪せた旧国道の外宮橋が架かっており、すぐ上流部に小さな入り江がある。ここは有府之水門といわれていたようで、かつて管弦祭の当日風波が高い時に管弦船はここに退避していたようである。
神武天皇聖蹟誌によるとこの場所に説明標板があって「舊六月十七日厳島管弦祭の當日御座舩渡御の時風波高ければ此水門に繋船す」と記されていたようである。広電宮島線や国道2号線が出来る以前の社殿近くまで海岸線があった時代のことであろう。

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遊びの菜園-陸稲の今

2020年09月09日 | 農業

 

陸稲の苗を6月15日に畑植していたものが昨日朝みたら穂が出ていた。うるち米より遅く植え付けをしており遅めとなっているがどのように育っていくのであろうか。陸稲栽培は2年目であるが栽培の知識も経験もなく、まさに遊びの菜園である。

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材木入札場役人中寄進の手水鉢

2020年09月08日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

昨日紹介した地御前神社拝殿横に設置されている手水鉢(赤丸)で、宝暦6年(1756)に材木入札場役人中らが寄進したものである。宝暦5年(1755)に焼失した地御前神社の再建のために材木入札払いの名目で富くじ興業が行われた時に材木入札場役人中が手水鉢、材木入札場出役人が拝殿内に下画像の絵馬を寄進したようである。

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地御前神社拝殿

2020年09月07日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

地御前神社の拝殿は明治24年(1891)の暴風雨により倒壊し大正3年(1914)に現在の拝殿が再建されたようである。拝殿の外観は厳島図会にみられる絵図と似たようにみられるが桁行が絵図(桁8尺間・11間)より一間分少なくなっており、梁間の柱間隔が絵図(梁6尺5寸間・5間半)とは違ったものになっている。中画像にみられるように梁間の中柱が途中で切り取られており、絵図と同じように再建されているのであるが、なぜこのように切り取ってあるのだろうか。

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井上日本瓦製作所跡

2020年09月06日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

地御前神社から西寄りの広電宮島線脇に瓦が山積みにされているのがみられる。この付近では昭和後期まで瓦製造が行われていた所である。江戸期の享保11年(1726)に伊予川野江村の瓦師が地御前村に寄留して瓦焼きを始めている。これが連綿と継続されていたのかは不明であるが、大正期の地誌に工業方面では瓦製造、煉瓦製造が主なるものとある。昭和49年(1974)7月の住宅地図には井上日本瓦製作所がみられるので昭和の後期ごろまで製造されていたのであろうか。

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鷺 ??

2020年09月05日 | その他

 

 

自室から望遠で撮れる場所に鷺と思われる2種類の大型の鳥がやってきた。鷺の種類とみられるがネットで調べてもよく分からない。白鷺は白いサギ類の総称のようでダイサギ・チュウサギ・コサギなどがいるようであるが、これらはなんという名前なのであろうか。

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元佐伯郡役所の奉安庫(殿)

2020年09月04日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

天神地区の廿日市招魂社境内の片隅に洒落たデザインの西洋様式を思わすような小さな建物があり、明治天皇御用品奉置殿と表示してある。この建物は明治天皇御用品奉置殿として建てられたものではなく元佐伯郡役所敷地内にあった奉安庫を県より譲り受けてこの地に曳き移転したものである。奉安庫(殿)は広島県の近代化遺産一覧表には一カ所のみしか記されておらず県内残存数は少ないものとみられる。この建物の屋根付近からは木が生えだしており先行きが危惧されるのである。 「元佐伯郡役所奉安庫(明治天皇御用品峯置殿)」

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桜尾土地埋立記念碑

2020年09月03日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

桂公園のある桜尾山の麓に建立されている桜尾土地埋立記念碑で昭和11年(1936)2月に建立されている。桜尾新開は明治初期頃から築造されたが何度か堤防が破壊したようで、大正4年(1915)に堤防の修築をしたが低湿地であったので大正15年(1926)から昭和6年(1931)にかけて岩戸山(山陽女学園がある地)の土砂で埋立盛土して整備したようである。(桜尾新開絵図-廿日市の文化より)

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