地御前神社の拝殿は明治24年(1891)の暴風雨により倒壊し大正3年(1914)に現在の拝殿が再建されたようである。拝殿の外観は厳島図会にみられる絵図と似たようにみられるが桁行が絵図(桁8尺間・11間)より一間分少なくなっており、梁間の柱間隔が絵図(梁6尺5寸間・5間半)とは違ったものになっている。中画像にみられるように梁間の中柱が途中で切り取られており、絵図と同じように再建されているのであるが、なぜこのように切り取ってあるのだろうか。
地御前神社の拝殿は明治24年(1891)の暴風雨により倒壊し大正3年(1914)に現在の拝殿が再建されたようである。拝殿の外観は厳島図会にみられる絵図と似たようにみられるが桁行が絵図(桁8尺間・11間)より一間分少なくなっており、梁間の柱間隔が絵図(梁6尺5寸間・5間半)とは違ったものになっている。中画像にみられるように梁間の中柱が途中で切り取られており、絵図と同じように再建されているのであるが、なぜこのように切り取ってあるのだろうか。
途中で切れた柱ですが,はつかいち観光協会のサイトでは,「拝殿の右側には、天井まで届かない途中で切られたような柱がありますが、これは海から船で訪れた際に、船を係留させるための柱であったと言われています。」との記述がありますのでお知らせします。
御来訪有難うございます。
と言われていますが・・・江戸期の絵図にもみられず典拠が不明で観光的な記述のようですね。