『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

宮園公園の時計塔

2019年07月17日 | 「廿日市地区」ぶらり



 


早朝、田んぼの水廻りを兼ねて大回りし宮園公園のグランド外周の遊歩道を周回して次の田んぼに向かう。南側の遊歩道中央付近に時計塔が建立されており、定時間に廿日市市のイメージソング「緑が空を包む日」のメロディーが流れているようであるが、早朝でもあり聞いたことがない。
作曲 森田公一 ♪『緑が空を包む日は 知らない道にふと気付く 少しゆっくり歩いてみよう ここで誰かに会いそうで ・・・』♪

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この実なんの実?

2019年07月16日 | 「廿日市地区」ぶらり




 


早朝のウォーキング途中で山裾に直径4.5cm位の多くの擬宝珠型の実を付けた雑木があったが何の木の実であろうか。毎年この時期にはこの場所を通っており、この実について以前当ブログで紹介したことがあるような気がするが思い出せない・・・

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小川の洗い場

2019年07月15日 | 「佐伯地区」ぶらり

 


津田地区の少し奥部の民家でみられた小川に設けられた洗い場で、小川に向かって階段が設けられ上屋が設けられているもので野菜などの洗い場として使用されていたのであろうか。小川や階段はコンクリートに改修されているが、それ以前にも洗い場として使用されていたものと思われ、上屋が設けられているものは初めてみた。

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宮内武田逢原堂寄進の玉垣

2019年07月14日 | 「廿日市地区」ぶらり

 


天満神社の正面入口脇の玉垣に宮内の武田逢原堂の寄進したものがみられる。親柱に「宮内武田 狂気之薬所」と刻されており、江戸後期に宮内村の医師武田文敬が「鎮火奇応散陰陽狂気之妙薬」と名付けた妙薬を売り広めていた。効能は「薬一服御用ひ被成候得者十八九
治す・・・」とあり相当の良薬だったようである。

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富山の置き薬

2019年07月13日 | その他




 


昨日紹介したが江戸期の加賀領売薬は近代になって富山売薬と言われるようになり、当ブログ主が子供の頃にはいろんな富山の置き薬が置かれていた。大きな風呂敷に包んだ薬の入った柳行李を背負った薬屋さんが定期的に詰め替えのために来ておられ、紙風船を貰うのが楽しみであった。下画像の呉の薬屋さんの置き薬は薬の使用期限がずいぶん前に切れているがいまだに残っている。

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加賀領売薬寄進の玉垣

2019年07月12日 | 「廿日市地区」ぶらり



 


天満神社の正面入口脇の玉垣に加賀領売薬の寄進したものがみられ、笠木に「越中滑川小泉屋手代咊吉」、親柱に「越中高岡丸一庄蔵・・・」「越中水橋一丸太吉・・・」とある。滑川、水橋などを中心とする売薬を新川売薬と称し、高岡などを中心とする売薬を射水売薬と称していたようである。江戸期、新川売薬及び射水売薬は加賀藩領であったので加賀領売薬というようである。近代になって富山県内の売薬なので富山売薬といっているようである。

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極楽寺本堂の移り変わり

2019年07月11日 | 「廿日市地区」ぶらり

画像①

画像②

画像③

画像④

 画像⑤


画像①-明治末期頃の絵葉書で屋根は檜皮葺きであろうか、隅棟部分は金属板覆いがしてある。 
画像②-昭和5年(1930)頃の発行の「広島を繞る山の研究」に掲載されている画像で、屋根は檜皮葺きで隅棟部分の金属板覆いはみられない。本堂左側に仮設小屋のようなものがあり、その左側には草葺き屋根の建物がみられる。 画像③-昭和30~40年(1955~64)頃の画像で、檜皮葺の屋根が各所で痛んでおり金属板の補修がしてある。 画像④-昭和58年(1983)頃の画像で、昭和45年(1970)に屋根が葺替えられて杮葺きとされている。画像⑤-6月現在の画像で平成16~17年(2004~5)頃に杮葺きの屋根が銅板葺きとされてるいる。

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福光石採石場

2019年07月10日 | 旅行

 

 

 

 

 

 

 


以前に松江市宍道町の来待ストーンミュージアムを訪れたことを紹介したが、来待石と同じ凝灰岩の福光石を採石している福光石採石場をガイドさんの案内で探訪した。来待石と同じように石像、鳥居、狛犬、燈籠、墓石などが古くから作られているようで、石見銀山の五百羅漢像が著名である。
室町時代から採石されていたようで採石場には手採石の時代の採石跡や工具などが残され、近代に入ってからの切断機による採石で採石場はコンクリート打ち放しの地下室にいるようであった。

コメント (2)
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温泉津-小浜厳島神社・上村厳島神社

2019年07月09日 | 廿日市関連

 小浜厳島神社


上村厳島神社

 


当ブログ主は訪れた地に祀られている厳島神社を訪れるようにしている。JR温泉津温泉駅がある小浜の町並みに厳島神社が祀られている。どのような経緯でこの地に祀られたのかは定かでないが、一書によると毛利元就が石見銀山を領有したころに安芸厳島神社を勧請して祀られたのであろうかとある。福光川沿いの上村地区に祀られている厳島神社もどのような経緯でこの地に祀られたのかは定かでない。

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温泉津温泉街並みの旧庄屋屋敷

2019年07月08日 | 旅行







 


温泉津港から温泉津温泉街並みに向かって進むとすぐに大きな屋敷構えの町屋がみられ、看板表示によると内藤家庄屋屋敷とあった。町の年寄・庄屋を代々務め廻船問屋や酒造業を営んでいた豪商であったようであり、屋敷内には多くの土蔵や煙突がみられる。2か所の土蔵に苗字の内の字が木で表された珍しい蔵飾りである。

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温泉津温泉-泉薬湯

2019年07月07日 | 旅行




 


昨日、遅まきながら代みて・泥おとしと称して温泉津温泉の泉薬湯で英気を養った。泉薬湯は二度目の入浴であるが昔ながらの湯治温泉としての施設であり、設備の整った観光温泉ではない。
泉薬湯の裏手には温泉寺があり薬師堂と地蔵堂が祀られており、地蔵堂の床下から温泉が湧出しているようである。本日、33年に一度の御開帳の日で薬師祭が催され、入浴料は無料のようであるが1日違いで残念だった。
泉薬湯に隣接して元湯の湯主の大きな屋敷があり、表示によると安政6年(1859)以前の建築のようである。同家の土蔵の蔵飾りは井桁内に泉字が表されたものであった。

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天満神社-神牛・神馬像

2019年07月06日 | 「廿日市地区」ぶらり


 


天満神社の境内に入ってすぐに建立されている鋳造神牛と神馬像で、菅原道真1075年祭記念に神牛は昭和52年(1977)、神馬像は昭和53年(1978)に建立されたようである。昭和5年(1930)に寄進された鋳造神馬像があったが戦時供出して失われていたものが再建されたようである。

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天神山からの遠望 ②

2019年07月05日 | 「廿日市地区」ぶらり

 


天神山の天満神社境内から南方面を遠望すると横に赤線・青線が続く部分が旧西国街道(旧国道)で、赤線内が江戸期の廿日市本陣跡で、青線内の中央市民センターの地には明治・大正期の佐伯郡役所があったところである。
赤線(廿日市本陣跡)の向うには廿日市港がみられ、中ほどの大きなマンションの先には宮島がうっすらとみられる。

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天神山からの遠望 ①

2019年07月04日 | 「廿日市地区」ぶらり

 


天神山の天満神社境内から北西方面を遠望すると看板横向こうにみえる茶色の帯状屋根が広電廿日市駅舎で、その向こうに山形屋根のJR廿日市駅舎がみられる。その後方のマンション右後ろに山添の佐方小学校がみられ、その後方の高い山は極楽寺山系星ケ城跡である。
天神山の擁壁下には蓮教寺の一部と廿日市駅通線(廿日市停車場線)の一部がみられ、左側向こうには西広島バイパスの廿日市高架橋がみられる。ほぼ中央向うの高い山が野貝原山でかつて標高733mの三角点があったが現在は削平されて低くなっている。

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天満神社-二の狛犬・三の狛犬

2019年07月03日 | 「廿日市地区」ぶらり

二の狛犬

二の狛犬

三の狛犬

 三の狛犬


天満神社の随身門前にある石段の踊り場部分の両側に建立されている二の狛犬は花崗岩製のものである。尻上がりで尾が立って襲い掛かるような姿であるが、顔面が平面的であり迫力に欠ける狛犬である。
随身門の両脇にある三の狛犬は凝灰岩製のものであり、台石に大きく大坂鈴木と刻されている。周辺にある玉垣の刻銘などから江戸期に廿日市港を介して大坂との交易もあったことが伺えるのである。

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