『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

校倉造の宝蔵

2015年04月15日 | 「宮島地区」ぶらり


昨日紹介した筋違橋のすぐ近くにある校倉造の宝蔵を裏手方面から撮影したもので、室町時代相応の様式のようで国の重要文化財に指定されている。
校倉造で校子といわれる壁体を形成する横架材の形は不等辺六角形と不等辺五角形があるようで、厳島神社の宝蔵は不等辺五角形であり同様の校倉造は全国で18棟あるようである。

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紅葉谷川に架かる筋違橋

2015年04月14日 | 「宮島地区」ぶらり


厳島神社裏手から滝町・大聖院に向かう道の紅葉谷川に架かる筋違橋で、現在の橋は昭和36年(1961)3月に竣工したようである。
筋違橋は江戸期の文政10年(1827)安芸州厳島図会にみられ、橋の袂には明治期に築造されたと思われる筋違橋の親柱が残されている。筋違橋の橋名はどのような理由で名付けられたものであろうか。

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川末川・長野川合流地の水生植物

2015年04月13日 | 「廿日市地区」ぶらり


原地区と平良地区境で川末川(左側)と長野川(右側)が合流して可愛川(速谷川と言われていたこともある)となる。長野川には時折り紹介している国道433号線の仮称長野川橋の架橋工事が行われている。
長野川筋には今までの水生植物とは異なった水草が異常繁茂しており、源流により近い原地区でも河川の富栄養化でこのように異常繁茂するのであろうか。

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潜龍門と桜

2015年04月12日 | 「宮島地区」ぶらり


宮島桟橋待合所前広場の前面に潜龍門という小さなトンネルが見られ桜が綺麗に咲いていた。要害山の尾根先(行者山)に設けられトンネルで池浦、長浜方面に通じていたが、昭和40年代に地先海岸が埋め立てられ現在のようになった。
明治末期の絵図には要害山岩鼻には潜龍門はみられず、大正12年(1923)の絵図には潜龍門がみられるので大正時代に長浜方面への道が築造されたものとみられる。

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遊びの菜園―廿日市10代目桜島大根の今

2015年04月11日 | その他


時折り紹介している廿日市10代目の桜島大根で現在花盛りであり、種を採って来年は廿日市11代目の桜島大根を栽培する予定である。
花の上では蝶や蜂が舞っているのでどのように交配していくものであろうか楽しみであるが、丸10年間畑耕や肥料散布、草取りなど何と無駄なことをしているものだ。

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宮島杓子制作

2015年04月10日 | 「宮島地区」ぶらり


宮島の裏通り町並みを歩いていると板材に宮島名産品の杓子の型どりをされていた。木材は北海道や東北地方産の栓の木のようである。
板材から切り取って積み上げて自然乾燥させ杓子に加工していくようで、下画像は以前に撮影したものである。

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弘法川

2015年04月09日 | 「廿日市地区」ぶらり


平良山手地区を弘法川が流れていることを知る人は多くないであろう。弘法川は常念寺裏でワシ川と合流して潮音寺川となって廿日市港に流出しているが、西広島バイパス側道から少し下った付近から暗渠にされ道路敷きとなっている。
弘法川の名残りとして広電宮島線の弘法踏切があり、潮音寺川の名残りとして廿日市1丁目11番の裏手に暗渠上の緑地帯がつくられている。

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上市辻の胡子神社

2015年04月08日 | その他


先日、竹原市重要伝統的建造物群保存地区の町並みを散策したら上市の辻に市神である胡子神社が祀られていた。
市場集落には必ずといって良いほど集落中心の辻に市神としてえびす様が祭ってある。廿日市町並みにもかつて四辻に胡子神社(下画像、現在天満神社境内にある)が祀られて、20日の御開帳がある日の市立てが著名となって廿日市地名が付いたものと思われる。

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吉野山遠望

2015年04月07日 | 「廿日市地区」ぶらり


さくらのおか公園からの遠望で遠くの高い山が中世の星ケ城跡で手前の低い山が吉野山である。
吉野山は明治期の地図には寺山とあるので速田社(速谷神社)供僧十二坊の一つである寺山宝泉寺があったものとみられる。また、江戸期の芸藩通志には吉野廃祠が記され、かつて吉野の森に小祠があったようでその地中に小瓶があったようで古くは葬所だったのか?とある。現在墓地が多くみられるのは古くから葬所とされていたからであろう。

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虫道廿日市線3級基準点

2015年04月06日 | 「廿日市地区」ぶらり


広島県道294号虫道廿日市線の速谷橋手前から旧平良小学校方面に向かう市道を50m位進んだ道路脇に「3級基準点、№2、広島県、H.18、虫道廿日市線」とある基準点標識があった。
虫道廿日市線は榎浦橋東詰から西広島バイパス速谷交差点を通っているのになぜ県道虫道廿日市線を外れた市道にこのような基準点標識があるのだろうか。

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御手洗川に架かる石橋

2015年04月05日 | 「宮島地区」ぶらり


厳島神社西廻廊の出口前にある御手洗川に架かる石橋で親柱の刻銘によると明治13年(1880)7月に築造されたようである。
この石橋は廻廊からと御手洗川の土手道から(現在は通行止めとなっている)合流するような変わった石橋である。当初は石造りの橋であったのだろうが橋下をみるとコンクリートで補強されており銘文より昭和60年(1985)に改修されたものとみられる。

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桂公園・住吉土手桜満開

2015年04月04日 | 「廿日市地区」ぶらり


昨日の天候は生憎の雨天であったが一昨日はまずまずの天候で花見日和であった。
桂公園には車がずらりと並んで多くの花見客が繰り出しており、住吉土手でも多くの花見客で賑わっていた。住吉土手では潮廻し護岸の補強工事をするのであろうか鋼矢板が打ち込まれていたので水辺を含めた画像にはならなかった。

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JR廿日市駅改築工事の今

2015年04月03日 | 「廿日市地区」ぶらり


時折JR廿日市駅の改築工事について紹介しているが、現在、橋上駅舎と自由通路の鉄骨骨組みの組み立て作業が行われていた。
上り線プラットホーム脇にある桜は満開であるが、明治30年(1897)の駅舎開業時に植栽されたものとみられ老木となって一部は花の無い枯れ木となっている。

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大元神社奉納絵馬―曳馬の図

2015年04月02日 | 「宮島地区」ぶらり


大元神社拝殿に掲額されている奉納絵馬の曳馬の図2面で、神馬の口取り綱を左右の二人で曳いている図である。
上絵馬は剥落が激しいので奉納年など不明であるが額縁に飾り金具が取り付けられているものである。下絵馬は文久2年(1862)に奉納されたもので絵師の名前が記されているが退色して読み取ることができない。

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大元神社の鳥居

2015年04月01日 | 「宮島地区」ぶらり


大元公園にある大元神社の鳥居は神明鳥居であるが江戸期に記された厳島図会の大元神社絵図をみると台輪鳥居が描かれており、明治期の絵葉書には神明鳥居が写っているがいつの時代に神明鳥居となったのであろうか。
鳥居は海に面して建立されており拝殿・本殿は鳥居に対して直角に折れ曲がって配置されている。

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