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『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

広島湾要塞第三地帯標石

2021年01月19日 | 近代戦争遺跡

 

 

大野鉱山跡に向かう途中の林道脇に地蔵堂があり、その隣に陸軍省と刻された標石がみられる。標石には「陸軍省」「広島湾要塞第三地帯標」「第五号」「明治三十二年六月」と刻されている。(現在は埋め込まれて一部しか読み取れない)一部では大野鉱山との関りを記されているものもみられるが全く異なった目的で建立されたものである。この標石は要塞地帯法の第三区域を示すもので大野瀬戸に設置された室浜砲台(現広大宮島自然植物実験所ケ所)からの距離2250間(4095m)の区域線上に建立されたものである。参照「呉要塞区域標石

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潮岬特設見張所跡

2016年02月22日 | 近代戦争遺跡


明治期に設置された潮岬望楼の地には太平洋戦争時に特設見張所が設置されている。潮岬特設見張所絵図によると昨日紹介した望楼建物は見張台として使用されている。
望楼の芝内に画像のような基礎が残されており、特設見張所には電波警戒機が3ケ所と機銃陣地が3ケ所設置されていたので電波警戒機アンテナ基礎か機銃基礎のようである。
 
(潮岬特設見張所絵図-アジア歴史資料センター)

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潮岬海軍望楼跡

2016年02月21日 | 近代戦争遺跡


本州最南端の碑がある潮岬望楼の芝脇にある旭の森の中に日清戦争開戦に備えて設置された海軍望楼跡が残っている。明治27年(1894)全国海岸の要所に海岸望楼を設置して陸上と艦船との信号及び海上見張り、気象観測などをしたようで、この望楼は明治33年(1900)に海軍望楼と改称されており呉鎮守府の所管であった。
望楼位置図(上絵図)の中央付近に望楼がみられ片側が半円状になっており上画像が半円側の遺構である。望楼姿図(下絵図)の高台にある望楼の裏壁面が下画像のように残存している。
   (潮岬望楼絵図-アジア歴史資料センター)

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