子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

かずちゃんが帰って来た   

2014年06月30日 | 中、高時代
高1のころ、校舎の陰に立っている男子がいました。
学生帽の上の部分、ここはなんという名前か知りませんが、油をべったり付けてテカテカ光らせています。つばを折り曲げて被っていました。

わたしは見た瞬間、ああ、かずちゃんとわかりました。ブログの第1回「押入れから跳びおり」に登場したかずちゃんです。小学生のころにはよく遊んでいました。
小学5年の終業式以降は会っていませんでした。かずちゃんも疎開したように聞いていました。
高校になって転校して帰って来たのでしょう。

わたしはかずちゃんに駆け寄ることができませんでした。どう見ても軟派です。

そのころは大きくは硬派と軟派に分かれていました。どっちつかずのわたしのような学生もいましたが。目立つのは軟派、硬派です。

確かにかずちゃんですが、かずちゃんでなければいいとわたしは心の中で思いました。
こちらから声をかけませんでした。かずちゃんも声をかけてきませんでした。そして、やはりと言いますか、軟派の仲間に入っていきました。

わたしは心の狭い人間で、清濁併せて呑むことができませんでした。これは今も同じで、死ぬまで変わりそうにありません。

ちょっと不良じみている、軟派みたい、それだけでかずちゃんに声をかけられませんでした。

かずちゃんに声をかけて、話すようになったのは何回目かの同期会ででした。高校時代には何事もなかったように話の中にはいりました。