子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

おっかさんはあずき買いに

2014年06月22日 | 中、高時代
わたしたちが夏豆(ソラマメ)を買いに行った少し前と覚えていますが、おっかさんと伯母さん(疎開でお世話になった)は国鉄(今のJR)に乗ってあずきを買いに行きました。叔母さんの家は農家ですので、あずきを買う必要はないのですが、おっかさんに付き合ったのです。

買って帰りの汽車の中でのことです。
警察が車内を見て回りはじめました。

食糧管理法という法律が昭和17(1942)年2月に制定され、米、はだか麦、大麦、小麦などが対象の食糧になりました。昭和22(47)年12月には馬鈴薯、甘藷、雑穀などが加わりました。今回ネットで調べてこれを知りました。おっかさんが買い売りしていた米やカライモは食管法違反とわかりますが、あずきや夏豆が統制されているかどうかはわかりませんでした。

夏豆を買ったわたしたちはキョロキョロ辺りを見回したり電車の中ではしっかりリックを抱いたりしていました。売ってしまうまではヒヤヒヤでした。

おっかさんたちもこれはダメだと思ったそうです。警察に没収されると。でも、年の功でしょうか。すぐに、窓を開けてあずきを入れた袋を投げました。

警察の目は逃れました。

おっかさんと伯母さんは次の駅で降り、線路を歩いてあずきの袋を探しました。

食べ物が少なく統制されていた時代です。山口判事がヤミのものは食べないと栄養失調で亡くなられたのは昭和22(47)年のことです。