goo blog サービス終了のお知らせ 

子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

75. 聴診器当てられる

2013年07月13日 | 余談
後期高齢者の健康診査を受診しました。生活習慣病を早期に発見しようとワンコインで受診できる健康診査です。

朝食抜きで病院に行き、身長、体重、腹囲などの測定と血液を採取されました。オプションで骨粗鬆症検査とヘモグロビンA1cの検査も受けました。

健診の結果説明のとき、思いもよらないことが起きました。
説明の前に、担当の医師が「シャツを上にあげてください」と言って、胸に聴診器を当てたのです。「大きく息を吸って。はい、吐いて」
2回大きな呼吸をさせられました。

え、え、え、びっくりしました。最近は内科の医師でもなかなか聴診器を当てません。かかりつけの医師はいつもパソコンのデータを見ながら「次は何月に胃の透視をします」とか「くすりは飲んでいますか」とか、言われます。
聴診器を当てられたのはいつだったか覚えていないほどです。

医師の聴診器は今は飾りみたいですね。訪問して下さったあなたのかかりつけの医師はいかがですか。

62. 最後の食事は

2013年05月23日 | 余談
5月22日のNHK「クローズアップ現代」で大阪のあるホスピスでは患者のリクエストに応えて食事を出す日を決めていると報じていました。バッテラを食べたいとか、すき焼きを食べたいとか、それぞれの患者がリクエストしていました。

人生の最後になにを食べたいか、人それぞれでしょうが、これを見ながらわたしはなにをリクエストするだろうかと考えました。
飢餓世代のわたしは腹いっぱい食べたいという欲望しかなかったように思います。一流料亭の食事や値段の高い食事は食べたことがありません。

4月18日のブログに書きました「じゃがいもとえんどう豆とたけのこ」がおいしかったと今でも思っています。戦後はかあちゃんが作った混ぜご飯ーにんじん、ごぼう、油揚げが入った白米のご飯ーを何杯もおかわりしたことを思い出しました。

貧弱な食生活でした。

これから人生最後の食事にリクエストしたくなる食べものに出会えればいいなと思いました。

48. 三池典太の鎌

2013年03月31日 | 余談
前回の「初めての麦刈りで」は、♪あなたが噛んだ小指が痛い のようないろけのある話でなく、いつもの恥ずかしい話になってしまいました。

話の中に出ました「三池典太の鎌」の話をします。
三池典太は、みいけてんたまたはみいけでんたと呼ばれる、平安時代末期の筑後の国(福岡県南部)の刀工です。今の大牟田市の三池に住んでいたと言われています。

お百姓さんが典太に鎌を作ってほしいと頼みます。典太は快く引き受け鎌を作りました。お百姓さんはこの鎌を持って農作業に行きました。農作業で疲れたのでしょう。畑でウトウト寝てしまいました。そこに大きな蛇が出てきて、お百姓さんに襲いかかろうとしました。

その時、くだんの鎌がひとりでに蛇に向かっていき、蛇に切りかかりました。
間一髪、お百姓さんは難を逃れました。

話はこれだけでは終わりません。

一部始終を見ていたお侍がいました。この侍が「鎌をぜひ譲ってほしい」と頼みました。
お百姓さんは断わります。侍はぜひにと頼みます。
お百姓さんは出来っこないだろうと、「ここに山のように米俵を積み、それと引き換えなら」と言いました。

お侍は承諾して、山のように米俵を積みあげました。

ここを「米の山」と言い、今も地名が残っています。

46.映画の只見

2013年03月18日 | 余談

3月17日、柳川市で「無声映画を活弁付きで上映」という催しがありました。無声映画を知らない人も多いでしょう。今の映画は初めのころは登場人物はセリフをしゃべらないで、字幕が出たり弁士がセリフを言ったりしたものです。

写真はこの催しの簡単なパンフレットです。活弁士は麻生八咫(やた)とその子麻生子八咫の二人、上映します映画は『チャップリンの冒険』、『国定忠治』、『チャップリンの霊泉』、『瞼の母』の4本でした。

活動弁士の語りで見る活動写真は2度目と記憶しています。弁士の熱演を書きたい思いもありますが、子どものころの映画の只見を思い出したので書きます。

「映画見に行くけん金くれんね」とは言えませんでした。娯楽費は家計の中にはありませんでした。でも、チャンバラ映画は見たかったですね。

では、どうする。遊び仲間で映画館の前で看板見たり、映画の写真を見たりしたものです。
そのうち、運よく大人の横に子どものように付いて入る仲間もいました。わたしはそれは出来ませんでした。

映画館の近くにはぶらぶらしている青年たちも多かったです。その兄ちゃんの中には、便所から小さいわたしたちを押し入れてくれる人がいました。便所は裏側の人通りの少ない場所にあり、大体窓枠が壊されていました。そこから中に押し込んでくれるのです。こうして只見したこともありました。

1度目の活動写真は只見か、どうかは記憶にありません。もちろん映画のタイトルも。

43. 塩 小売りの看板

2013年03月08日 | 余談
散歩をしていると「塩」を売っている看板がありました。
これも昭和の匂いがするものだと写真を撮りました。年代を感じさせる看板でしょう。ずいぶん古くなっています。

いまはどこのスーパーでも塩は売っていますが、以前は塩は専売制で、どこでもは売られませんでした。


この看板のある小売店で売っていました。この店は煙草も売っていました。塩も煙草も専売品でしたので、いっしょに売っていたのでしょう。
いまは店じまいしています。このような看板もやがて見られなくなるかもしれません。