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子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

劣等感のかたまり

2015年04月06日 | 大人になって
子どものころから大人になっても劣等感のかたまりです。
体はどこをとっても劣等感で溢れています。

人前で話すのが苦手です。
人前で話すと声が震えます。小学生のころから人前で話すことがなかった、級長も副級長も経験したことがなく、先生に指されて発表したこともない生徒でした。

中学も高校も目立たない成績でしたから、人前で発表した経験がありません。
もしも知っていることがあっても、先生に指されないように手を上げないないで済ましました。
手を挙げる勇気がありませんでした。

今でも改まって人前で話すと声が震えます。

声が震えてもよい時があります。震えると真に迫るときがあります。
それは弔辞を読むときです。友人のために3回弔辞を読みました。
このときは参列者にも震えた声が目だたないで、友人を偲んでのことと思われたようです。(これも自分の思いで、みなさんの真意はわかりません)

同じような理由でしょうか、人前で字を書くと手が震えるのです。もともと下手な字がますます下手になります。
人前では出来るならば字を書かないようにしています。これもやはり葬儀のときですが受付で住所と名前を書かされます。
これは曲がったりしても故人を偲んでというわけにもいきません。書きたくない、印刷で替えられないかと思います




正月

2015年01月10日 | 大人になって
1月10日にもなると正月気分もなくなります。
正月気分は3,4日まででしょうか。

同じ市内のものが一緒になっても違いますね。
若水(元日の朝、最初に汲む水)は家の主人が汲むはツレと同じですが、
ツレはいろいろしきたりを言います。

最初の電話には男が出る、家から最初に出るのも男などです。
理由はわかりませんが、毎年同じことを言いますし、それを守ります。

元日に新しい洋服、下着、靴・下駄などをおろす、このような習慣があると
知ってはいますが、貧乏だったわが家ではなかなかそれは出来ませんでした。

今年も洗濯した下着類を着ることにしました。

いまはいつもがハレの日みたいですから正月に新しい洋服をおろすなどはないでしょうね。
正月は改まる日でもないようです。いつもきれいな洋服で、いつもごちそう食べて、ハレの日の
人が多いようです。元日も365日の1日でしょう。

でも元旦は初日の出を拝む、新しい物を身に着ける、氏神様に参るなどの特別な1日であってもいいですね。

男女共学1回生は卒業後も仲良し

2014年04月29日 | 大人になって
男女共学1回生は卒業後も仲良しです。5月には博多で同期会(同じ学年だけの集まり)があります。地元だけでなく関東地区からも参加があるようです。
1年下級生の同期会がもう歳だからと数年前にやめられたと聞きますが、共学1回生はまだまだ続きそうです。

遠方からの参加者にも便利のよいように前回は熊本市で開かれました。同期会プラスゴルフ、同期会プラス旅行などオプションを加えて遠来の友を歓迎しています。今回はゴルフはないようです(わたしはゴルフをしないので、グループでやっているのはわかりません)。

お世話役さんたちが仲良しでよく世話が届くので長続きするのでしょう。定期的に会食しているとも聞きます。


同期会では高校時代にかえります。男子とは中学時代にかえることもあります。
まだ現役のときに大学教授になっているTくんに「君の家に遊びに行き漫画を見せてもらったことがある」と言われました。
わたしは「それはないよ。Tくんの記憶違いじゃない」と答えました。
「いや、見せてもらった」

大学教授だから記憶はいいと思いますが、これは教授の間違いと思います。
わたしの家はこのブログでも書いているように貧乏でしたので、友だちを家に呼ぶことはありませんでした。漫画を買う余裕もありませんでした。

天の川を見に行きました

2013年11月02日 | 大人になって
今年の4月26日のブログ「肝試し」で「壮大できれいな天の川を見ました。その後天の川を見たことがありません。この年に見たような天の川をもう1度見たいと思っています」と書きました。

現役時代は星を見る余裕がなく、下ばかり見て生きていました。

今見なくていつ見るか、見るなら今でしょ、そう思って八女市星野村の「星の文化館」に10月末に行きました。わが家の近くでは町の灯りが多くて天の川は見えそうにありません。

夜8時ごろ、文化館の外で西から東へと見上げました。多くの星が見えますが、小さい星は見えません。1945(昭和20)年の天の川ほどではありませんでした。文化館の職員さんの話では夏の方がよく見えるそうです。

文化館で撮影の天の川の写真をいただきました。


そのあと、天体望遠鏡で七夕伝説のおりひめ(ベガ)とひこぼし(アルタイル)のほかスバルや木星などを見せてもらいました。

時には、空を見上げて星たちを見るのもいいですね。

公民館の結婚式

2013年09月28日 | 大人になって
前回の「昭和初期の料理カルタ」で昭和初期に「生活改善運動」があったことを初めて知りました。

戦後にも「生活改善運動」がありました。わたしが知っているのは農村の生活改善運動で、かまどの改善、台所や風呂の改善、給水設備の設置などがありました。疎開先も台地でしたが水道が引かれました。かまどや風呂も改善されました。

昭和30年代に公民館で結婚式が行われていましたが、これも新生活運動だったかもしれません。(断定はできませんが)

こんな結婚式でした。
公民館の和室に新郎新婦、両方の親兄弟、親戚、仲人、両方で20人くらいが出席します。司会者は公民館の職員、お謡い、雄蝶雌蝶(おちょうめちょう。婚礼のとき銚子で三々九度の酌をする人)も公民館の職員か市の職員。これで式が進み、誓いの言葉を色紙に書いて式は終了です。
そのあと両方で会食しました。銚子は1人に2本、料理も質素。初めての顔合わせで、歌も出ませんでした。

こんな結婚式でした。友だち、職場の上司、同僚は式の後で会費制での披露宴でした。

わたしとかみさんはこの公民館での結婚式と会費制の披露宴で結ばれました。

このころも貧乏でした。3万円の結納金がなくてかみさんに借りました。新婚旅行のカネがなく義兄からのお祝い3万円を持ってでかけました。かみさんも最初はやさしかったです。

でも、でも。綾小路きみまろ風に言えば「あれから五十年、今では……」(-_-;)

*このブログは高校生で終わるつもりです。新生活運動で結婚式のことを思い出したので書きました。