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子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

終わりよければ

2017年02月21日 | 大人になって
ツレ達三婆は寝たきりになっても認知症にはなりたくない、
と言っていると前回書きました。

わたしは寝たきりにはなりたくない、と思っています。
そのために歩いたり、下手なブログに頭を使ったり、努力(?)の
毎日です。

わたしが思うのは、終わり良ければすべて良しです。

どんな終わり方?
寝付くのは1週間くらい、最後まで意識ははっきりしている、最後に枕元の人たちに礼を言う、そして息絶える、それがわたしの理想です。

歩くのやパソコンで頭を使うのは結局その終末を迎えるため、と
思っています。

かかりつけのお医者さんにも、延命治療はしないでください。でも、1週間くらいは生かしてください。と頼んでいます。
エンディング・ノートにはまだ書いていませんので、これは書いておくべきと思っています。

ツレにも礼を言うべきでしょう。その礼はどう言うかはまだ決めていませんが。
1週間くらい看病しないと見送った人も喪失感を抱え込むそうです。
逝く人としてそこまで考えましょう。!(^^)!

毎日の雑用に追われて、エンディング・ノートなどなかなか手につきませんが、少しずつ始めねばと思っています。

寝たきりになっても

2017年01月29日 | 大人になって
ツレの友だち3人が集まったときの話です。

3人とも、「寝たきりになってもアワアワと言うように
ならないといいね」
アワアワは認知症を指すそうです。
だれも認知症になりたくてなってはいないでしょう。

寝たきりになることも、認知症になることも望まなくて
なるのでしょう。

父と母を最後まで、いとこを最後近くまで見ました。
母は寝付く前からボケ(当時はそう言っていました)ました。

いとこは記憶力抜群の多恵ちゃんと紹介していますが
(ブログ・わが家の蓄音器 2014.10.04)、
頭もよく、世渡りもうまく、親戚中で一番財を成したと
わたしは思っています。

そんな彼女も寝たきりになり、だんだん思考力も落ちていきました。
口も利かなくなり、わたしの顔もわからなくなりました。
夫の「ほら、いとこのHEIさんの来てもろとるよ」にも、
反応しなくなりました。

ツレの三婆たちが寝たきりになってもと、いつまでも意識や記憶力が
落ちないことを願っても、そうなるとは限りませんでしょう。
天のみぞ知るでしょうね。

わたしは脳トレ、筋トレに励むことが大事と思いますが。

声がきれいか

2017年01月09日 | 大人になって
昨日(8日)の朝のことです。
8時過ぎに電話のベルが鳴りました。

わたしが受けて「お早うございます。hei_bon2です」
「〇〇です。奥さんはいられますか」
「いつもお世話になっています。別の部屋にいます。
ちょっとお待ちください」

まだツレは床の中でした。「〇〇さんから電話よ」と
受話器を渡しました。

ただこれだけでした。
電話が終わって「〇〇さんが、声がきれいと言われた」

「まさかぁ、今まで声がきれいと言われたことはなか」

「2,3年前やったね。××さんやったかね。電話の声が
小さくて聞こえんやった。病気じゃなかとね、と言われたじゃん」

ツレもそれを覚えていました。
「そうたいね」

「〇〇さんに喜んでいたと言うといて。声ば褒められたこつは
初めてタイ」

人生にはこんなこともあるのですね。!!!

出物腫れ物……

2016年12月28日 | 大人になって
「大人になって」と言うより最近のことです。
おなら、屁がよく出るようになりました。
おっかさんは晩年によく屁をふりました
(私たちの地方では屁はふると言います)。

「また屁ふって」とわたしが言うと
「出物腫れ物所嫌わず」と言い返します。

今回調べて見ますと、出物はおならのこと、
腫れ物はおできやニキビのことと分かりました。
小学校に4年までしか行っていないおっかさんも
知っている言葉だったのです。
付け加えますとおっかさんのころは小学4年生までで
行かなくてもよかったそうです。

余談になりました。

出物が所嫌わずに出るのです。困っています。
ある時列を作って、歩いていました。
その時に出てしまったのです。聞こえないだろうと
澄まして歩いていると、後ろにいたご婦人が急いで私を追い抜き
列の前の方に行きました。
しまった、ばれたかと思いました。その後はそのご婦人は
私に遅れないように常に急いで歩いていました。

家ではもちろんよく出ます。
これがまた物議を醸すのです。それはまたの日に。

この投稿が今年の最後っ屁になりました。(;一_一)

懐かしい医院の看板

2016年11月21日 | 大人になって
4,5日前のことです。
少し時間があったので、初めての町を歩いてみました。

歩いている途中で懐かしい看板に出会いました。



それは家の板壁にありました。路地で斜めの写真しか撮れませんでした。
「耳鼻科西藤医院」の文字が見えます。
この西藤医院と耳鼻科の文字がわたしを改めて子どものころに
引き戻してくれました。

くわしいことはこのブログ「のどに魚の骨の常習者」(2012.03.08 
小学校入学前)を読んでいただきたいです。

西藤医院にはよく行きました。お世話になった所です。
今は廃業されています(それもブログに書いています)。

まさか、偶然その医院の看板に出会うとは思っていませんでした。
初めての町で、初めて歩いた道で西藤医院の看板に出会うとは。

知らない町も歩いてみるものですね。
西藤医院の看板に出会うとはよい日でした。