此れは禅昌寺の開山の慶屋定紹禅師の墓ということになります。山口に来て10年目の77歳のとき死期が近いと自覚してお寺ら奥にはいり、この地で座禅を組んだまま入寂されてそのままの姿で埋葬されたといわれています。
禅師は67歳のとき石川から山口のこの地に来て大内義弘は師の弟子となって支援をしていました。禅師の教えを得た人々が700人も当時いたといわれています。人徳の高いお坊さんであったことでしょう。
室町時代中期の墓で装飾もなく簡素なお墓ですが逆にどっしり感は強いです。
「山口ところどころ」参照
禅師は67歳のとき石川から山口のこの地に来て大内義弘は師の弟子となって支援をしていました。禅師の教えを得た人々が700人も当時いたといわれています。人徳の高いお坊さんであったことでしょう。
室町時代中期の墓で装飾もなく簡素なお墓ですが逆にどっしり感は強いです。
「山口ところどころ」参照
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