霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

太田垣蓮月の墓

2011-12-01 14:04:14 | 歴史/古文書
西方寺の小谷墓地にあります。山に向かって登ると池の左の墓地を少し上った桜の老樹のふもとにひっそりとありました。
 石の玉垣も、囲いもなくなんと質素のお墓でした。でも墓碑の彫刻は富岡鉄斎が精魂込めて書いた墓碑で見応えはあります。

 蓮月は晩年近くの神光院に75歳から85歳まで約10年余りを過ごして85歳で亡くなっています。

 2度の結婚で都合4人の子を設けるのですが夭折や幼年死で子どもと二人の夫に先立たれ義父とともに33歳のとき出家します。それまでは誠(のぶ)と呼ばれていました。

 和歌と焼き物に秀でていて蓮月焼も京土産として売れるなど人気を取っていました。

 特に和歌は幕末女流歌人として有名です。富岡鉄斎が10歳のころ童侍として一緒に住まわせ人格形成の一助として教育した期間があります。その縁で墓碑の字は富岡鉄斎が書いたものです。


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