霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

ビリオン神父について

2005-08-15 07:14:25 | 歴史/古文書
 山口や津和野の近くに住んでいるとどこか聞き覚えのある名前だなと記憶に残っているのである。過日、萩に行った時、ビリオン神父に関する本の購入をせがまれ1000円で購入した。読んでみると山口や津和野・地福に関することが載っていて興味を湧かせてくれた。

ビリオン神父は1843.09.02 天保14 南フランスリオンに近くに生まれ、父は裁判官で姉と4人家族であったが4歳の時母がなくなりリオンに移る。

1862.06.08 文久2 日本26聖人列聖式 1597.02.05
殉教した、列聖式はキリスト教の東洋布教のために大きな励みになる。神父も深い関心を持って4年後に日本に向かうことになる。

1864.02.19元治01 大浦天主堂献堂式
1865.03.17元治02長崎でキリシタン発見
1868.10 明治01 25歳のビリオン神父長崎上陸
1868-1870 キリシタン萩、津和野などに流刑 
1872.03.14 明治5 キリスト教解禁令
1889.02.18明治22 46歳の時山口に来る89.04失意山口を去り香港へ行く静養。89.07.24再び山口に来る。津和野、萩の流刑地、山口のサビエル布教の足跡を発掘に意を注ぐ。
1891.夏 明治24 48歳 津和野キリシタン墓を見つける。
1892 明治25 49歳 萩キリシタン墓と記念碑を建てる。
1898,04.17 明治31 阿東町地福出身者初めて津和野の「個人の家」受洗。
1908.02.24 明治41 地福「個人の家」初めての洗礼。
1908.12.25 明治41 ペトロ原正之受洗。尊敬された地福村の医者で、心の医者、地福カトトリック協会の父、とも呼ばれる。
1912.02.11 明治45 69歳 山口サビエル記念碑協力者であるゴードン貴婦人山口を訪れる。
1913.09.13 大正02 サビエルの足跡山口大道寺跡購入
1926.10.16 大正15 83歳 山口サビエル記念碑除幕式。ビリオン神父出席。
1932.04.01 昭和07 89歳 ビリオン神父大阪で永眠、帰天。

 第2のサビエルといわれているビリオン神父の簡単な足跡を追ってみたが叔母の話では山口から津和野あるいは萩から津和野に行く時は必ず地福村の用路というところで休憩をされていた。よく馬の神父さんといわれていたらしい。地福に信者が多いのはその休憩で立ち寄り講演会や幻灯機で説明を行ったことによろう。

 今でも医者の原先生のやっていた原医院がありその横に地福カトリック教会が建立されている。原正之先生の娘が若くして夭逝した為その子を悼んで安賀多教会を建立したのが始まりで今でも記念碑があるらしい。

 馬の神父さんといわれる前は人力車で津和野まで来ていたその車夫は、山口の米屋町近くに住んでいた吉武為四という人で1895,04,14 明治28年夫婦で受洗。山口受洗台帳№150 徳佐出身。妻はシズ 浜田出身で 喘息で車夫を辞めた後も神父の身の回り世話をしていて代父を12回、妻は代母を7回もしている。神父と親しい間柄であった。

参考文献「今ビリオン神父を追う」ホセ・パラシオス著

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