霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

小さな発見、大道寺跡は二つある?

2011-01-12 16:54:23 | 歴史/古文書
 去る12月28日のことです。中央郵便局の帰りのウオーキングを兼ねて商店街をブラブラしました。書店、文具店2店、百貨店,百均と道草しながらです。西門前では半月前に銅版をつけていたのですがその銅板を今日はじっくり見ました。

 ビックリです。あの大内義長がキリスト教布教のための教会の裁許状を発行したときに記載されている大道寺はこの西門前にあったというのである。

 通説では明治に宣教師ビリオン神父が西門前の安倍家の別宅にある襖の下張りから発見された。延文5年に山口を京都を模した街づくりがされたと記載のある山口古図のよると大道寺は今の自衛隊の敷地内に地図上は記載されておりそこが布教に地といわれてきた。

 それに対する異説が出てきて銅板で街の商店街に表示されたのである。この根拠はサビエルらと伴に山口に布教に来ていた宣教師フロイスの書いた「日本史」にその根拠を見出している。フロイスの日本史第11巻78章・・・山口において司祭や修道士が立ち去ったあとに生じた幾つかの顕著なことについての項目でーーーー山口の我等の教会の正面に、釈迦を拝む本圀寺という法華宗の寺院があり、キリスト教徒でない彼等はキリスト教徒の四句節と同様の彼岸という行事があるが、そのときはたくさんの信者が集まり参詣しお布施をして帰る云々と書いてあるらしい。フロイスの日本史をまだ読んだことがないので確信はもてないがその掲示してる銅板ではそういうことを根拠にしている。

 私としては山口古図を信じるか、はたまたこのフロイスの日本史を信じるかとなれば、実際に山口まで来て布教した人たちの記録を重視せざるを得ないと思う。山口古図にある自衛隊駐屯地内にある大道寺後跡の発掘とか、西門前の発掘とかで実証しないと明確なことはいえないが、当時の山口の賑わいを考えると、布教に適した場所となると賑わいのある西門前か中市とか人々の集まる場所をどうしても布教の場所としてサビエル側は求めるであろう。したがって大道寺は西門前にあった。その賑わいのある大道寺でキリスト教を布教したということが素直に受け入れられる気がする。


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
懐かしいブログ (senniti)
2015-05-08 20:41:52
こねえな懐かしいブログに偶然おうた、山高57期じゃあやよろしゅう頼むで
返信する

コメントを投稿