15日にビリオン神父と交流のあった地福カトリック教会の安賀多教会を訪ねてみた。
ビリオン神父に受洗を受けた原医院、小さな医院でいまもそこに家系の人がひっそりと医院を続けておられるようであったがその隣には広い原っぱと小さな分教場のような建物が奥に一軒建っているのみである。よく近づいてみると入口いわゆる玄関側に大きな十字架が屋根に掲げてあった。また裏に回ると左右二つに分かれたステンドグラスの窓がありまさに安賀多教会であった。当時の教会のにぎわいは感じられないが細々と信仰が続けられているようである。
石碑は「安賀多記念 + 天主公教会 大正10年12月3日」と記録されている。今から85年前のことである。
ビリオン神父に受洗を受けた原医院、小さな医院でいまもそこに家系の人がひっそりと医院を続けておられるようであったがその隣には広い原っぱと小さな分教場のような建物が奥に一軒建っているのみである。よく近づいてみると入口いわゆる玄関側に大きな十字架が屋根に掲げてあった。また裏に回ると左右二つに分かれたステンドグラスの窓がありまさに安賀多教会であった。当時の教会のにぎわいは感じられないが細々と信仰が続けられているようである。
石碑は「安賀多記念 + 天主公教会 大正10年12月3日」と記録されている。今から85年前のことである。
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