ここの土地一帯は山口中学校があったところである。現在は山口高校で糸米に移っている。山中のちに山高が火災で焼失した跡、こちは山口大学の文理学部の校舎に変わった。
明治28年 私立防長教育会の私立山口学校の校舎生徒を引き継ぐ、山口県尋常中学校と称す。
明治30年 私立萩学校、徳山学校、豊浦学校、岩国学校を本校の分校とする。
明治32年 萩、豊浦分校が独立し尋常中学校と改称す。
明治32年 徳山、岩国分校が独立する。
明治34年 山口県立山口中学校と改称す。
昭和23年 学制改革で山口県立山口高等学校となる。
昭和27年1月22日夜、災禍により東校舎大半を焼失した。
昭和28年1月末、旧東校舎あとに新校舎4棟新築す。
昭和29年9月 山口大学文理学部校舎と東校舎を交換し山口高校は糸米に移る。
180503
明治28年 私立防長教育会の私立山口学校の校舎生徒を引き継ぐ、山口県尋常中学校と称す。
明治30年 私立萩学校、徳山学校、豊浦学校、岩国学校を本校の分校とする。
明治32年 萩、豊浦分校が独立し尋常中学校と改称す。
明治32年 徳山、岩国分校が独立する。
明治34年 山口県立山口中学校と改称す。
昭和23年 学制改革で山口県立山口高等学校となる。
昭和27年1月22日夜、災禍により東校舎大半を焼失した。
昭和28年1月末、旧東校舎あとに新校舎4棟新築す。
昭和29年9月 山口大学文理学部校舎と東校舎を交換し山口高校は糸米に移る。
180503
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます