霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

瑠璃光寺五重塔考

2007-10-05 19:18:55 | 歴史/古文書
瑠璃光寺五重塔は実は香積寺五重塔というのが正しい。この五重塔の菩提主は大内義弘です。大内義弘が堺において足利義満と戦い討ち死にした(1399年)応永の乱の中心人物である。

 大内義弘は義満のために南北朝の統一に力を発揮し統一をさせた第一の功労者であるのであるが金閣寺建立のときに人夫を供応せず足利義満に大内義弘は「武士は戦で貢献するが土木工事では協力すべきでない」と批判をしたのがきっかけかどうか定かでないが足利義満からにらまれてついには攻められ応永の乱で自刃したというか負け戦となり激戦のすえ散ったのである。

 その義弘公のお墓としてこの五重塔が建立されたのである。当時ここにあったお寺は香積寺(こうしゃくじ)という名の義弘の菩提寺であった。

 義弘の弟盛見が香積寺を創建したのである。この塔は何年かけて造ったのか記録はないがおそらく4年~10年ぐらいをかけて嘉吉2年(1442)2月6日に竣工したのである。義弘の子、大内教弘の時世にこの塔は完成したのである。大正4年の修復で竣工年月が判明。室町時代中期の優れた建築の1つである。

 桧皮葺の緩やかな屋根の重なりは、全国の古塔のうちで最も美しい塔であるといわれており、美しさは日本三塔の1つといわれている。

 この塔を中心に大内文化遺産として世界遺産登録運動が始められている。その趣旨が一般人によく分からないのでもっとその意義や価値をもっと一般の人に広めてほしいものである。


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