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霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

安城の五目御飯

2007-12-22 21:05:20 | 交流/講演
 ふるさと館で昼食をとったが、折角遠いところから安城まで来て、地元の食事が満足に取れないと何か落ち着かないので店長に100円引きは不要ですので五目御飯を差し支えないなら少し食したいと希望を述べたところ、快くとまではいかないがとにかく了解をしてくれ写真のような五目御飯が食されたのです。

 「ところ変われば品変わる」ということばもありますが。名古屋コーチンでも入っていれば高級な五目御飯といえましよう。はて鶏肉は確かに入っていましたよ。それと地元の野菜やごぼうもでした。まあ名古屋コーチンが入っていたと思うことにしよう。いずれにしても地元に地産品を食べることは一応できたのです。

 しかし伝統の味【ひきずり鍋】は店長の策略でまんまと食すことができなかったのです。

ソンドラマキシマパリエガータ

2007-12-18 20:20:58 | 交流/講演
 この長い名の花はナス科の植物です。ちょっとナスの花に似ていませんか?

 メキシコが原産国です。熱帯低木で高さは3から5メートルになります、花は巨大なラッパ状の黄色い色の花で鼻を近づけるとなんか甘いケーキのようなにおいがしていておいしそうです。

 此花は蕾の期間が長く一ヶ月以上蕾でその後ぱっと咲いてなんと2日で変色してしおれていきます。

 「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」といっているかどうか知りませんがはかない花の命です。花が咲いている2日間の間に遭遇し運良く此花が見られた幸運を感謝するしだいです。

 此花は【班入り品種】です。

 デンパークの公園の中で

07忘年会

2007-12-16 11:53:47 | 交流/講演
 昨日は、OB会の忘年会が共済組合であった。一年ぶりに会うとさまざまなことがあったようである。

 息子が40歳で急死して残念がっていた人、退職して四国88ヶ所めぐりを始め36番札所まで歩いた人。朝6期から9時までのパートを始めた人。毎日身体を鍛えている人、初孫ができた人などと悲喜こもごもであったが、みんな一日一日一所懸命に生きているようであった。

 来年も良い年であるように、今年の嫌なことは早く忘れるようにしましょう。

S君と2次会にいきつれづれなるままに話し、ラーメンを食べて帰りました。楽しいひと時でした。

ムクナ ベネッテイ

2007-12-14 18:07:00 | 交流/講演
 12月8日デンパークを散策していると情熱の炎の花といわれるこの豆科の植物はをみつけた。ニューギニアの原産である。つる性であるので高木となる。

 世界で一番美しい花ともいわれまた花の色が鮮やかであるし、たくさんの花を咲かせて派手なものである。高温でないと育たないのである。育てるのが難しい植物でもある。あまり頻繁には見られないので何か得をしたような感じです。

デンパーク

2007-12-12 17:58:44 | 交流/講演
 安城市の産業文化公園デンパークに行ってみました。

 名鉄新安城駅で循環バスに乗りJR三河安城駅で下車しJR線でJR安城駅に着いた。デンパーク行きのバスは出た直後。一分前に出て行った。(JR三河安城駅でバスを降りることなくJR安城駅まで循環バスで行けばよかったのであるが、間違ったのである)あとは一時間待ちのため5キロの道を歩いていくことになった。大変な旅である。

 くたびれてようやく着いたこの公園は日本のデンマークと戦前いわれた安城市の田園地帯にありました。(財)安城市農業振興協会が運営管理をしているのです。

 この写真は正面ゲートの前にある水のステージでの子供向けのショーの一こまです。

コンシネ

2007-12-11 22:00:59 | 交流/講演
 このコンシネは南アフリカのモーリシャス島が原産であると聞いている。別の資料ではマダガスカルが原生地とかかれている。今では方々で栽培されているのではなかろうか。いずれにしてもこの近辺が原産地であろう。

 このコンシネがこんなによく成長しているのも珍しい。持ち主に聞くと早10年は育てているとのこと。見事なコンシネでした。

 しかしやや栄養不足気味かなー、何かひょろりとしてどっしりしていないのです。そこが残念ですが、でも10年も育てたことが立派です。

宮参り

2007-12-10 19:08:28 | 交流/講演
 昨日は孫の宮参りで愛知県岡崎市まで行っていました。総持寺の守り神であった岡崎宮に参詣しました。

 この神社は南北朝時代の高師泰など一族が建立した総持寺の一部であったもので、来歴は古い神社である。建保5年(1217)に創建し岡崎宿の守り神。

 総持寺は現在はなくなっているが岡崎周辺一帯もその当時は足利氏の勢力圏内であったのです。

 この神社は元禄3年(1690)に菅原道真公を合祀して天満宮と称するようになったが社務は総持寺が取り仕切ってた。しかし明治維新の廃仏毀釈令で神社として残り第2次大戦での岡崎空襲で焼失しその後再建され今日に至っている。

 宮参りは、私たちの親族だけでのご祈祷であり、専属的な祝詞となりました。落ち着いた雰囲気で思う存分に宮参りができてよかったです。

 学問の神様である天満宮に参り孫はきっと頭の良い子になるでしょう!!